今日は、まじめに働いたのコーチあねごです。30日までお仕事というか、ゴミ出しが残っているので、セッションも含めて大掃除を来週に繰り越します。
今日は珍しく、朝10時から夜20時まで10時間、働いた。働いたっていうのも、今日は来年冒頭になる研修の準備の資料作り。
2つ仕上げました。
机の周りを観る、先週たまっていた新聞や雑誌、DMを開けていましたが、作業領域が狭すぎたので、ちょっと片付けたこともあり、作業しやすかったなと思いました。
先週、ちょっとだけお掃除。本もブックオフりました。115冊。7000円ほど。ちょうど消費税分ぐらい。
ここ1年ほど、事務所の片づけ。手が回らなかった。
ファイリングもできず、本も本棚に片付けることもなく、調べ物のために出したファイルはそのまま。ラベルもつけられておらず、散々な事務所。
手が回らなかったというより、気持ちがそこに行きつきませんでした。余裕がない。本当にそうだったんだなって。今を思うと。
渦中ではわからなかったです。
やっぱりあれは異常だったのかもしれません。自分ひとりきりで挑むのは。
そんな強くない。そんなしっかりしていない。そんな頑張りが利かない。
出てきた言葉は、過信。
これまでの蓄積では、やっていけないのだろうなと、そんな考えがふと頭をよぎりました。
深い意識の中で、私はずっと一人なんだなって思っていました。(一応過去形で(^^♪)
いつもというよりも、小さいころから、誰かに手を引かれることなく、どこかでだれも待っていないという意識が強くありました。
3姉妹の真ん中。私の意識の中では、母親は妹がかわいい。父親は姉が最初の子供で、慣れ親しんでいる。私は?私はだれにとっても一番じゃなかった。
って思っていました。(これも一応過去形ね(^^♪)
姉になついていましたが、彼女だって彼女の時間がある。私は寂しがりの怖がり。
でもそうは見えてなかった。
(というのも、6月に母から「あんたは、しっかりしてるから、それにいつも自由にしていたそうやったから・・・」と言われ、人が見る自分と自分の知っている自分の違いに驚いた。それも明らかにジョハリの窓の「自分が知っていて、相手が知らない自分」と「自分が知らなくて、相手が知っている(見えている)自分」とのギャップに40うん年して、驚く。さらに驚きは、自分の親がそうやったってこと。全然話してないし、話聞いても暮れてないからそらそうやって感じですが・・・・・(^_-)-☆)
なんやったっけ?????
そうそう、自分は一人だったってところ。
高校のクラブでも、一人になることになる。同級生が全員やめてしまうという突如のハプニング。一番上手だった中学部からの子もやめていった。私が嫌だったんだろうか、私自身が何かしたんだろうか・・・・いろいろと考えたけれども、答えは出るわけもなく。
15~6歳の女子にとっては、一人はきつかったと思う。
なぜか、自分は一人になるんだって。いつも思っていました。
でも、最近読んだ「嫌われる勇気」にあった。人と接するのが怖いから、一人でいることをという状態を選んでいる、ともいえるかもしれないのでした。
一人でいることを選んでいる。自分が大変なんだって言いたいのかもしれないし、自分だけ頑張っているってことをアピールしたいのかもしれない。私の目的はともかくとして。
本題の徐々に戻していくと、私はやっぱり一人ではダメなんだって思うようになりました。この数か月で、やっぱり違うのだなって思いました。
10月に自分との仲直りができて、人との関係も今は少しずつ変わっていくような気がしています。母の言う通り、私は一人で飛び回っているのが好きなのかもしれませんが、人に助けを求めたり、誰かに何かをお願いしたりして、ちょっとずつ人と共有できる時間をゆるく作っていきたいなと思いました。
その根底に、「自分を大切にする」ということなんだと思います。片付けられないほど、疲れてしまい、精神的にへとへとになっている。余裕もない。この1年半は、休日という休日、ずっとベットで休んで体力を回復させることだけに専念している。そんな状態でした。
観たくない現実もあったのも確かです。自分に自信もない。他人と仕事を一緒にやっていけるとも思えず、できることといえば、コーチが大事だということがあるだけ。
過信。自信がないのに、過信とは此れいかに、です。自分がよくわかっていなかったんだろうと思います。
過信せず、自分を大事にすること。ちょっと前に書いた「疲れるまでやらない」も含めて、自分の時間の分け方を変えていく。
時間の配分を変えるということは、生き方を変えるということ。
やるときはやる。休む時は休む。そして自分のキャパと、人の力を借りること。
そうすることで、他人の存在する人生に慣れていこうかなと思う。
人は、妙な変わり方をするものですね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。心からの感謝と愛をこめて。
今日は珍しく、朝10時から夜20時まで10時間、働いた。働いたっていうのも、今日は来年冒頭になる研修の準備の資料作り。
2つ仕上げました。
机の周りを観る、先週たまっていた新聞や雑誌、DMを開けていましたが、作業領域が狭すぎたので、ちょっと片付けたこともあり、作業しやすかったなと思いました。
先週、ちょっとだけお掃除。本もブックオフりました。115冊。7000円ほど。ちょうど消費税分ぐらい。
ここ1年ほど、事務所の片づけ。手が回らなかった。
ファイリングもできず、本も本棚に片付けることもなく、調べ物のために出したファイルはそのまま。ラベルもつけられておらず、散々な事務所。
手が回らなかったというより、気持ちがそこに行きつきませんでした。余裕がない。本当にそうだったんだなって。今を思うと。
渦中ではわからなかったです。
やっぱりあれは異常だったのかもしれません。自分ひとりきりで挑むのは。
そんな強くない。そんなしっかりしていない。そんな頑張りが利かない。
出てきた言葉は、過信。
これまでの蓄積では、やっていけないのだろうなと、そんな考えがふと頭をよぎりました。
深い意識の中で、私はずっと一人なんだなって思っていました。(一応過去形で(^^♪)
いつもというよりも、小さいころから、誰かに手を引かれることなく、どこかでだれも待っていないという意識が強くありました。
3姉妹の真ん中。私の意識の中では、母親は妹がかわいい。父親は姉が最初の子供で、慣れ親しんでいる。私は?私はだれにとっても一番じゃなかった。
って思っていました。(これも一応過去形ね(^^♪)
姉になついていましたが、彼女だって彼女の時間がある。私は寂しがりの怖がり。
でもそうは見えてなかった。
(というのも、6月に母から「あんたは、しっかりしてるから、それにいつも自由にしていたそうやったから・・・」と言われ、人が見る自分と自分の知っている自分の違いに驚いた。それも明らかにジョハリの窓の「自分が知っていて、相手が知らない自分」と「自分が知らなくて、相手が知っている(見えている)自分」とのギャップに40うん年して、驚く。さらに驚きは、自分の親がそうやったってこと。全然話してないし、話聞いても暮れてないからそらそうやって感じですが・・・・・(^_-)-☆)
なんやったっけ?????
そうそう、自分は一人だったってところ。
高校のクラブでも、一人になることになる。同級生が全員やめてしまうという突如のハプニング。一番上手だった中学部からの子もやめていった。私が嫌だったんだろうか、私自身が何かしたんだろうか・・・・いろいろと考えたけれども、答えは出るわけもなく。
15~6歳の女子にとっては、一人はきつかったと思う。
なぜか、自分は一人になるんだって。いつも思っていました。
でも、最近読んだ「嫌われる勇気」にあった。人と接するのが怖いから、一人でいることをという状態を選んでいる、ともいえるかもしれないのでした。
一人でいることを選んでいる。自分が大変なんだって言いたいのかもしれないし、自分だけ頑張っているってことをアピールしたいのかもしれない。私の目的はともかくとして。
本題の徐々に戻していくと、私はやっぱり一人ではダメなんだって思うようになりました。この数か月で、やっぱり違うのだなって思いました。
10月に自分との仲直りができて、人との関係も今は少しずつ変わっていくような気がしています。母の言う通り、私は一人で飛び回っているのが好きなのかもしれませんが、人に助けを求めたり、誰かに何かをお願いしたりして、ちょっとずつ人と共有できる時間をゆるく作っていきたいなと思いました。
その根底に、「自分を大切にする」ということなんだと思います。片付けられないほど、疲れてしまい、精神的にへとへとになっている。余裕もない。この1年半は、休日という休日、ずっとベットで休んで体力を回復させることだけに専念している。そんな状態でした。
観たくない現実もあったのも確かです。自分に自信もない。他人と仕事を一緒にやっていけるとも思えず、できることといえば、コーチが大事だということがあるだけ。
過信。自信がないのに、過信とは此れいかに、です。自分がよくわかっていなかったんだろうと思います。
過信せず、自分を大事にすること。ちょっと前に書いた「疲れるまでやらない」も含めて、自分の時間の分け方を変えていく。
時間の配分を変えるということは、生き方を変えるということ。
やるときはやる。休む時は休む。そして自分のキャパと、人の力を借りること。
そうすることで、他人の存在する人生に慣れていこうかなと思う。
人は、妙な変わり方をするものですね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。心からの感謝と愛をこめて。