書類の作成仕事が沢山で辟易しているコーチあねごです。




先日高校の同窓会があるという案内がきました。



うん十年記念だそうです。




ああ~



精神的には、私はまだまだ高校生レベルだなって思う今日この頃。




家庭も持たず、独立して仕事ばかりしてきて、友人たちは、すでに家庭を持ち、家族環境が変わって、いろんな経験をしてきている。私には、そんなものは一つもない。




ああ、このうん十年を振り返り、何やってきたんだろうって、黄昏てしまった。




逆に、あの頃の私では、今の私の状況は想像だにしなかった。



まさか、独立して仕事をしているとは・・・・・


先生稼業?のようなものをしているとは・・・・・



年に何回か海外に仕事とはいえ旅行しているとは・・・・・



くっきり描いたことは手に入っている。不思議。ぼんやりしていたものは、今もぼんやりしている。ぼんやり、というより、描く通りになったら怖いことは、かなっていない。



未来は、その通りになるって実は本当にそうかもしれません。





最近、読んだ「極楽飯店」には、そこに書かれている逸話のようなことをちょっとどこかでわかっていたかもしれません。




でも、何かがどうなって、今このような状況になったのかは、昔のいやな出来事や理不尽な出来事も含めて、全てが「まるがまま」なんだなと思えています。



かなわなかった想いのかけらをまだ心に持ちつつ、どうしようもなく、自分が何もできないものだと痛感していますが、でもどこかでいい形になるだろうって思っていたりします。




1999年~2000年にかけて、どん底に足を踏み入れ、体調も崩し、ずっと死ぬことばかり考えて、人とも関われなくなった自分が、人とのかかわりについては、いまだ恐怖感を捨て切れずにいるのもありますが、今の状況になったのは、極楽飯店に書かれていたこととまさに同じことをやっていたなあと振り返っています。




神社に行けば、関わる人がうまく行きますようにと祈り、瞑想を繰り返す。私がやったことなどどこにもない。こうなりたいと思うように、そうなるように口に出し、ただがむしゃらに行動していただけでした。そして、感謝をするだけ。恩返しをするだけ。お話をいただいた方の顔に泥を塗らないということを考えて動いていました。




でも、その頃から2010年から12年にかけての強制終了の時間があり、なんで好きな仕事をしているのに、どうしてうまくいかないのか?どうして体が動かないのか、どうして思ったように動けなくなっちゃったの?



ここ数年のもがきが、一つの自分のうまくいかない考え方を見つめなおすきっかけになりました。当たり前のように、どうせダメになると。どうせ愛されるわけないということを思っていた自分。どうせ一番になれるわけないっていう思い込み。このことを書くと、周りから「傲慢だね
」とか「甘え」と言われるのもよくわかります。病名はついてないにしろ、うつっぽい自分の性質から考えると、自分ではどうしようもないという他責、他律的で依存的で、かつ、被害者意識と罪悪感と劣等感でぐるぐる巻きになっている状態でした。そりゃ、恋愛というか濃い人間関係を持てば持つほど、この心構えだと相手もこちらもつらい。うまく行くわけない。ってことで、全てうまくいかなかったわけです。距離は縮まらず、相手を信じることもできず、自分を信じることもできないので泥沼。




この2回目の強制終了からここ1年半で見えてきた、今と違うのは、一つの視点。



高校時代からあった「自分ってダメ」という枠組みを、どん底の時期に腹をくくった時には「私には何もないから素直に聞き入れよう」とした自分の前提「私にはないもないから、できることだけやれることを精一杯やる」というところ。「ない」を前提に動いていた。これを、ここ1年半で逆転させる考え方に出会った。




今は、「すべてある」「自分がないと思っていたものではなく、実はあったんだ」ということ。それは、経験はないし、ないものはたくさんある。(ないものがあるってすごい表現)
でも、一番前提として必要な「自分に価値がないから頑張らなきゃ」という「価値」や「気にかけられるような存在じゃない」という大前提を持っていることを、ここ1年で見つめなおす事ができました。



ないものもあるけど、自分がいちばんなくて、拗ねていたところ「愛されていない」「誰からも一番に愛されるはずがない」という前提は、すべて変わったわけではないけれど、「私は愛される時も、そういう瞬間もある」ぐらいには変化してきたように思います。




さかのぼることうん十年。高校時代に、あるとかないとか、そんなことを思ってもみませんでしたが、「自分はできないダメ人間」と思いこむきっかけになったテニス部での経験から始まった思いこみは、今思えば、逆を体験することで、あるものにアクセスすることの大切さを教えてくれるためにあったんだろうか、なんて、都合良く思えるようになりました。



だから、現実は変わらず、欲しいものはなんら変わらず、自分の手元には来るはずもなく、気配すらないって感じ。よけい悪くなってるんじゃなかろうかっていうニュースが入ってくる。でも、そうでもないこともちらほらと見えてくるし、どっちやねん!っていう感じですが、おおむね良好って感じです。楽しいしね。思わぬところから、思わぬ話が飛び出てくるし~





卒業してうん十年。思えば遠くへ来たもんだ。環境として、私は変わっていない若輩者ですが、こうして振り返ると私なりの苦節うん十年だったなあと、いい悪いは関係なく、かけがえのない思い出です。



今は、まだまだしんどいですし、自分を受け入れて許して行く道のりの途中ですが、できることをできるだけやること。そして、自分に優しくしてあげることにしたいと思います。




独白気味のだらだら文でご容赦を。




そして、テニスしたーい病、継続中☆


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。心からの感謝と愛をこめて。