父の日 | 津田紘彰のブログ

津田紘彰のブログ

日本コーチングセンター所長の津田紘彰(つだひろあき)が、コーチングを中心に生きることや日々学ばせて頂いたことについてお話しさせて頂きます。
少しでも皆様の気づきや元気に繋がりますように。

------------------------------------

あなたにしか出来ないことがあります。

あなたにしか歩めない人生があります。

そして、未来のあなたにしか助けられない誰かが待っています。

頑張ろう日本。
頑張ろう、東北。

------------------------------------

『日本コーチングセンター理念』

◆いのちと心を生み育て、社会生活の基盤を与えて下さった全ての恩恵に感謝し、御恩返しの仕事と人生を歩みます

◆無数の先人がたの御苦労と努力に思いを馳せ、その心を継承し発展させる仕事と生き方をします

◆自社と相手と無限の第三者、全ての幸せに貢献出来る仕事と事業をします

 
------------------------------------

こんにちは。日本コーチングセンター所長の津田紘彰です。

少しでも皆様が人生の質を向上できるような気づきや学びを分かち合い、

そしてほんのちょっとでもどなたかの心の中に生きる勇気や元気が湧いて来られますように。

そんな願いで、今日も心を込めてメルマガを書かせて頂きます。

後に続く子どもたちに、永続可能な地球を譲り渡し、

そして現代に生きる私たち一人ひとりが、夢や目的や使命を達成し、素晴らしい人生を歩まれるお手伝いができますように。

------------------------------------

◆平成25年6月17日
【父の日】

昨日は父の日でした。

父の日や、自分の誕生日には襟を正し、手を付いてお礼を言います。

はじめのうちは照れくさいし、勇気もいりました。

しかし、「たとえ相手にどんな態度を取られようと、どうしても思いを伝えたい」

その一念で始めました。

誤解しないで下さい、私は親孝行者でもなんでもありません。

むしろその対極、親の願う長男としての道も、人としての道も大きく踏み外し、他人に迷惑をかけ、散々寄り道をして、ようやく戻ってこれた、そんな人間です。

だからこそ、親に一生ぶんの迷惑と心配をかけたことを謝りたい、どうしても産んでくれて育ててくれてありがとう、自分は幸せな息子だ、と心から伝えたかったのです。

それを父母が真剣に受け取ってくれた時から、今は毎回の恒例行事のようになりました。

僭越ながら、今日は少し私と父のことを書かせて頂きます。

父の性格は、私はあまり似ていなくて、どちらかというと正反対、おとなしい、静かな人です。

公務員として32年間、県庁勤めをしてくれました。

父が勤めていた頃は特に学閥が強かったそうで、口下手で人間関係も器用ではない父は、誰もやりたがらない部署へと異動させられてしまいました。

数字に強く、几帳面なきっちりとした性格ですので、もし事務の仕事でも任せられたらとても能力を発揮出来たでしょう。

しかし父に与えられた仕事は、彼の資質を考えると「最も向いていないであろう、つらい仕事」であったのだと思います。

それを逃げることなく、家族のために何十年と勤め上げてくれました。

そんな父の家族への思いを、ずっと長いこと気づかなかった自分が何と愚かだったのか、と恥ずかしくなります。

でも家で、父から仕事の愚痴は一切聞いたことはありません。

本当は毎日辞めたかったのではないだろうか、と今になると思います。

つらい、辞めてしまいたい…。でも家族がいる、踏ん張らねば…。

自分の思いを伝えることも苦手な父は、家では「俺は家族のために頑張っている」というような態度を取ることはなく、静かに、いつも淡々としていました。

お父さんは、何を考えているのかわからない…。

それが、父に対する私の正直な印象でした。

そんな父の思いも知らず、私は大学まで出してもらいながら、「夢を叶える」と言ってミュージシャンへの道をひた走りました。

どれだけ両親は悲しかったことでしょう。

そして五年の月日を経て、プロデビュー直後に父は目を患って入院します。

「紘彰、もう一度名古屋で生き直せよ。お前がいるべき場所はそこじゃない」

父が、自分の身を犠牲にしてでも息子に伝えてくれたメッセージだったのでしょう。

私は、夢を諦め、名古屋に帰る決意をしました。

ミュージシャン崩れで帰郷した私が、一般社会にいきなり馴染めるわけもなく、いつも何かに苛立ちながら、ギラギラとした目つきで生きていました。

当時の写真をみると、まるで別人です。見た方は皆驚かれます。

些細なことで父と怒鳴り合いの大喧嘩になり、母を悲しませたこともありました。

もう一度名古屋で生き直すんだ、俺は、もう一回生きるんだ…。

心を鎮め、心を込めて仕事をすることに一転集中し、もがきながら、毎日がむしゃらに働きました。

名古屋に帰郷して数年後のある日、仕事中にふと父のことを考えました。

父は、どれだけ大変な思いで働いてくれていたのだろうか…

愛する家族のために、どれだけ犠牲を払ってくれていたのだろうかと。

何と当たり前のことに今まで自分は気づかなかったのだろう。

心の底から父への申し訳なさと感謝の思いが溢れてきて、涙が止まらなくなり、家に帰り、手を付いて心から謝りました。そしてありがとう、と。

父が生きているうちに伝えられて良かった、と思います。

そして、ほんの少しだけ勇気を出して良かった、と。

あれから月日は流れ、父母や、師や皆様の励ましとお支えを頂きな、私は人生を変えることができました。

産まれてから父母にもらった恩を、返しきることなどとてもできません。

でもいつか、父が旅立つ日に、「本当に紘彰の父親で良かった、家族になれて良かった」と心からの幸せを感じてもらえるように。

そして父母や、祖父母、ご先祖様から頂いた恩を子どもたちに送ること。

父がくれたこの命を生ききって、全ての方が、最高の笑顔で暮らせる地球を遺してゆくために。

また、使命を燃やして参ります。

今日は最高の父の日でした。本当にありがとうございました。
心から、感謝致します。

明日はまた新しい一日、どうか皆様が幸せでありますように。

おやすみなさい。


日本コーチングセンター所長
津田 紘彰

http://www.japan-coaching-center.info