あの食品はあぶない
そのやり方は間違っている
どの主張も今となっては意味がない
「気づき」を与えるこを目的としていても、「否定」から入ることは100→1にすることで、そのモノ・コトについて1から考えなければならない。
1から考えるための時間が日常にあれば良い。子供がいながら子育てにほぼ関わっていないような、家事育児の大変さを知らない、赤ちゃんと出かける前の「小バッグ」の準備をしたことがないような、不安ばかり並べて解決策を提示しない夫(男)側の主張は、日常生活においてとても邪魔になる。子育て真っ最中で、日々の生活で1から新しいモノ・コトを考え始めるのはとても難しい。共働きが当たり前になりつつあり、年収も平均的に下がっている現代では特に難しい。
そんな中、テレビやWEBは、解消していない不安の種をばら撒いて「それについて各々考えましょう」と、問題提起していますよとこちらの都合は気にせずに、「考え続ける・関心を持ち続けることが大事なんですね」と、“祈り”と同じような解決策を示して綺麗な去り際を演出する。
子供=未来
未来を育てている最中は、未来のことを考えるのが最優先。
未来を0から育てるのは、1から育てるより難しい。
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不安が残りそうなら、問題を提起するなら、その数だけ解決策も示すべき。「ほら言ったじゃないか!」と叱責のように言い続けるだけでは、健全には育たない。厳格で対話を許さない昭和の父親の子育てのような“人間関係”が、今の社会でもまだまだ見られる。安易な思考で「優しく教えろってことか」ではなく、子育てに関わる時間が少ない「男」だったからこそ、子育てに関わる時間が多かった「女」に育て方・方法を倣うべき。そういった観点からも、奇しくも女性の社会進出が必要になっている気がする。お母さんに育てられておいて、今度は育て方を学ばなければいけないどこまで行っても「男」は子どもだというのが解る気がする。
人の育て方が、現代に合っていない。20年前からすでに「古い」ということ。アップデートされていないということ。
昭和を生きた人々は、不安で焚き付けられてもその不安を凌ぐ未来を想像できる「想像力」があった、負けるか何クソという「根性」があった。
令和を生きる人々には、そのどちらも薄くなった地力。絵筆の運び、文章ですらAIで補完され「想像力」は画一化し、「根性」を敬遠する。
必要ない・古い。では、今を生きる人間の「地力」は、なにが強いのか。「根性」の時代を生きた人間が、あんな思いはさせない・したくないからと「根性」を排除。「想像力」を膨らませ「理想」を追う輩が出ないように、AIで抑える。
子供=未来
未来を想像する。
未来に根性を見せる。
それで未来が決まる。
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※文中の「男」「女」は、男性社会全盛期の昭和のイメージを想起しやすいようにです。男尊女卑ではありません。