結婚とは、ルールである。 | デザインは筋肉だ

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「結婚」とは、「ルール」である。





「恋愛対象は?」に、体の相性、心のつながり、見た目、守ってあげたい、時めきがある…。
「結婚相手の条件は?」に、安定志向、家庭的/経済的、優しい、親と同居OK、価値観…。
「離婚の原因は?」に、洗濯物のたたみ方、小さい事の積み重なり、性格の不一致、浮気…。
「どこまでが浮気?」に、手をつないだら、キス迄OK、気持ちが持っていかれた時点で…。


『恋愛』における「ルール」は、ない。まるで、バーリ・トゥード。


みんなそれぞれの『価値観』で、つまり、それぞれの『ルール』の上で、関係を設けている。
ハグはOKだけど手をつないだらアウト、キスまでOKでも2人きりでの食事はなぜかダメ。
個人対個人のやりとりでは、それぞれの『ルール(価値観)』のなかで、折り合いをつける。
関係が長引くほど『価値観』は自然と似てくるが、一致することはない。「似ている」だけ。


『価値観』を「認めている」、自分の中に新しい『価値観(ルール)』が、「増えている」。





1から100まである価値観のうち、
Aさんは36~40番、51~60番、76~85番がありません。
Bさんは、45~50番、78番と90番がありません。

Aさんは、はっきりと、Bさんが自分にないものを持っていることを感じていました。
Bさんは、すこしだけ、Aさんが自分にないものを持っていることを感じていました。
Aさんは25個、Bさんは7個、『価値観』に出会っていませんでした。

Aさんは、Bさんと一緒に居て嫌なときもありましたが、『新しい価値観』=自分にないものを持っているので、一緒に居る時間がとても楽しかったのです。
一方、Bさんも『自分の価値観』が認められているような気がして、一緒に居て楽しそうでした。しかし、時折、自分にはまだ足りない何かがあるはずだと、ものたりなさを感じていました。

ある日、AさんとBさんはいつものようにお話をしていました。
3回目の「40番」の話をBさんがしています。Bさんは同じ話をすることにちょっと飽きていましたが、それでも話を終えました。
すると、Aさんから1、2回目になかった角度から「それはこういうこと?!」と返されました。
「?」と頭に浮かべるBさん、続けてAさんは「だからこうこうで、こうなって…」と説明を続けます。それは、Bさんがこれまで気づけなかった視点でした。
Bさんはそれが自分にはない『新しい価値観』だと気づきましたが、「78番」であるとわかるのに、1年かかりました。





コミュニケーションが“充実”していれば、『価値観』が似てくるのは“必然”。

「気づいている」ことと「わかっている」ことを混合してしまうと、『価値観の相違』は必然と生じます。
「何々(モノ)が苦手」は見てわかることですが、「何故(理由)苦手か」は話さなければわかりません。

人は、関係性を持つ時、性格や趣味思考の合致をもちろん重要視するが、その先に形成されている『価値観』を、もっと、見ています。
家庭的であっても、やさしくても、肉体的な相性が良くても、『ルール(価値観)』の違いが多いほど、比例して話す機会は多いはず。





浮気の「定義」も「線引き」も、老若男女、環境・文化が違えば、ばらばら。

その『ばらばら』をまとめるために、共通の「ルール」を設け、適応します。






「結婚」に際して必要な3つ「婚姻届」「結婚式」「誓いの言葉」。

物的証拠の「書類」、知人が証人と成る「儀式」、本人の「証言」。

幾ら、誰に、反対されようと「書類」を出せば、概ね結婚「成立」。

「結婚」が「ルール」だから、『書類の効果が強い』と感じるのだ。





書類を要するものは、「ルール」を決めている。

雇用契約書で給与・時間帯・交通費諸々その会社のルールをお互いで認識し、後々に半年、1年と、雇用期間を設けていく。
ポイントカードを使用する前に記入する書類には、ポイントの貯め方が書いてあり、それに準じないとポイントはもらえない。
履歴書には、自分のことを事細かに書き記すというルールがあり、そのルールを破れば(履歴詐称)内定は貰えないだろう。

お互いで納得できる「ルール」を書き記す物的証拠が、書類。





子供が大きくなる迄、父親か母親か、どちらかが面倒を見てくれなくなるかもしれない。
「結婚」という「ルール」がなければ、男は「責任」を持つ事がなかったかもしれない。
「結婚」という「ルール」がなければ、女性は、男を簡単に捨ててしまうかもしれない。
育った環境・価値観も異なる人間同士、子ども、互いの親の面倒を見合うかもしれない。

他人同士が「家族」となり、死が二人を分つ迄生きていく誓ったのならば、お互いで共通となる「ルール」は必要なのだろう。
この世は「ルール」で持って成り立ち、「ルール(制約)」を破っては破れた部分を補強し、その繰返しで秩序は成長している。






「結婚」という「ルール」が『合わなかった』場合は、「一夫多妻」「一妻多夫」「夫婦別姓」「サンボ(スウェーデン)」、その他の「ルール」が合っていたかもしれない。

「結婚生活」という「2人のルール」が『合わなかった』場合は、一概に互いの価値観の相違といえない。「結婚」と「結婚生活」とでは、意味がガラリと変わってくるからだ。

「結婚生活」において、○○に我慢できない、洗濯くらいしてほしい、料理は交代で作るって決めたのに…と、お互いで決めた事、もしくは個人で決めていた『やってほしい当たり前の事』などを相手が『しない』ってことは、ルールを決めていた側にとっては、相手を「ルール違反」と見なすだろう。

「結婚」という公のルールの元では、街に出れば「既婚者」となるが、家に戻れば独自のルールが適用された空間に戻るだけ。
「家が息苦しい」「リラックスできない」などの圧迫感は、どちらか片方のルールが、家庭の多くの割合を占めているからだ。

「結婚」という「ルール」が合っていないのか、「結婚生活」という「2人のルール」が合っていないのか、判断を見誤ると同じことが待っている。

一緒に居たい人と長く居たいのなら、その方法、形はいくらでもあるはず。「一緒に居たい」=「結婚」という「ルール」に縛られる必要はない。







「結婚は我慢」「相手を思いやる」「人生の墓場」
そこだけよく聞く、印象に残っているその質問の答えの意図するところは、『結婚生活を続けていく』秘訣であって、「結婚とは」の答えではない。

「『結婚』をする」ことは2人に共通の「『ルール』を決める」ができること。=始まり。

「『結婚生活』を続けていく」ことは「『2人のルール』で生活する」こと。=歩く。
一緒に歩くからこそ、相手を『思いやる』心と『我慢』が必要なのだろう。

「離婚する」ことは「『ルール』がなくなる」ということ。=戻る。
恋愛に戻るということで、=終わり、ではないはず。











「結婚」とは、「ルール」である。