★アンナ・オクサ (vf) Anna Oxa

本名アイリリンナ・ホッジャ (Iliriana Hoxha) 1961年4月28日長靴の踵プーリァ州の州都バリ生、アルバニア系イタリア歌手、TV司会者。

 1985年76才で亡くなったアルバニアで鎖国政策を取った大統領、独裁者のエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)の孫娘と言われている。

 

 

活動期間:1978 – 現在

所属レコード会社:RCA Italiana, CBS, Columbia, Sony BMG, EMI, Cose di Musica e suoni coscienti

サンレモ音楽祭出場14回,(内優勝2回):1978年第2位,82年入賞,84年7位, 85年7位,86年5位,88年7位,89年優勝(ファウスト・レアーリとデュエット)、90年入賞、97年第2位,99年優勝,2001年10位,03年14位,06年参加,11年参加,

オフィシャル・サイト: https://myspace.com/annaoxa 

 

 アルバニア中部クルヤ出身で洋装店を経営する父親とイタリア人の母との間に8人兄弟の末っ子として1961年4月28日南部プーリァ州州都バリで生まれました。

 

 子供の頃からバロックの巨匠サビーノ・シャネッリ(Sabino Sciannelli)にピアノを習い、やがて彼女は街のピアノバーで演奏し始めました。

 

 15才の時にマリオ・パンゼリ(Mario Panzeri)とヴィットリオ・マスケローニ(Vittorio Mascheroni)が作った“草原の花 (Fiorellin Del Prato)”の歌をバリ小さなレコード会社で最初のシングルを録音しました。

 そして芸術高校に通いながら、プーリアの新人コンテストに出場し、歌っているところをRCAイタリアーナのスカウトに認められました。

 16才のアイリリンナのデビューは翌78年のサンレモ音楽祭に決まり、アルバニア語の本名からイタリア語のアンナ・オクサの芸名に変えて、“青春 (Un'Emozione Da Poco)”を歌うことになりました。

 

 RCAイタリアーナは70年代半ばから台頭したパンクロックの流れに乗りイタリアのパンクロック女性歌手として売り出す戦略を取ります。舞台衣装もだぶだぶの男性用スーツ、歌舞伎の隈取のようなメイクに意味ありげな腰を振るいかにも世間に挑戦する演出で歌を歌わせました。これは新人歌手を売り出すレコード会社の方針として彼女は受容れましたが、アンナ自身はセックスピストルズ(Sex Pistols)のシド・ヴィシャス(Sid Vicious)よりはブライアン・フェリー(Brian Ferry)やイギー・ポップ(Iggy Pop)などを好んでいたようです。

 

 この年のサンレモ音楽祭で一番センセーショナルな舞台となり、騒然として話題の中心となります。61年のアドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)がサンレモにデビューして以来の出来事です。

 

 曲はデリリウム (Delirium)を脱退してソロのカンタウトゥーリになったもののイマイチ冴えなかったイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)とグイド・グリエルネッティ(Guido Guglielminetti)が作った“青春”でしたが、78年年間ヒット・ランク14位になってフォッサーティにも脚光が当たるようになりました。この年のサンレモ音楽祭出場曲中でリノ・ガエターノ(Rino Gaetano)同13位の“ジャンナ(GIANNA)” に次ぐ、およそ55万枚を売上げたメガ・ヒットになりました。

 

PB-6144 (1978 年1月RCA Italiana - RCA Italiana) Un'Emozione Da Poco (青春)/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ)

*PB-6144 (2018 年4月21日 RCA Italiana - Sony Music) Un'Emozione Da Poco/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ) [190758334578]

74321-64983・2 (?年 RCA Italiana - BMG Ricordi) Un'Emozione Da Poco/ Questa È Vita (Livin' Thing (オーロラの救世主) ELO=エレクトリック・ライト・オーケストラ)

  

                              PB-6144                   74321-64983・2

 

 ファースト・アルバムは“青春”を書いたイヴァノ・フォッサーティが4曲提供し、レオ・セイアーの“It's Over”、レックレス・エリックの“Whole Wide World”、ジョン・ヴァスタノの“There Isn't Anything”の外国曲3曲をイタリア語カヴァーした曲を含みます。タイトルを「Oxanna」として出し、この中からイヴァノ・フォッサーティの“Fatelo Con Me”とクラウディオ・マットーネの“Pelle Di Serpente”をシングル・カットして発売しました。この“Fatelo Con Me”は78年年間ヒット・ランク88位となっています。

 

PL-31384 (1978年RCA Italiana - RCA Italiana) Oxanna

74321-87261・2 (2001年RCA Italiana – BMG Ricordi) CD Oxanna

1.Fatelo Con Me

2.Dove (It's Over - レオ・セイヤー)

3.Un Cielo A Metà (Whole Wide World - Wreckless Eric)

4.Sara Non Piange Mai

5.Tu Non Sei L'America (There Isn't Anything - John Vastano)

6.Un'Emozione Da Poco

7.Pelle Di Serpente

8.Così Va Se Ti Va E Questo Finchè Mi Andrà

9.Un Click D'Ironia

10.Se Devo Andare Via

    

PL-31384                        74321-87261・2                  PB-6195

PB-6195 (1978 年6月 RCA Italiana - RCA Italiana) Fatelo Con Me/Pelle Di Serpente

 

 サンレモ・デビューで大成功したものの、余りにも強烈な舞台衣装のためトランスジェンダーの噂も出回りました、何しろ40年前の事ですし18才の少女への世間の風当たりは想像を絶するものだったでしょう。

 

 レコード会社も一時のものでは済まされず徐々にメイクも大人しくしたものの、女性パンクロッカーの価値は大きくアンナはそのギャップを重圧と感じていました。

 

 79年セカンド・アルバム「Anna Oxa」を出しました。今回、鮮烈イメー“青春”を作ったイヴァノ・フォッサーティの曲は“Matto”の1曲だけになり、外国曲のカヴァーでは75年のニール・セダカ(Neil Sedaka)の曲“The Other Side Of Me”、クリフ・リチャード(Cliff Richard)も取上げた“Can't Take The Hurt Anymore”、ボブ・シーガー(Bob Seger)の“街の孤独(Till It Shines)”、ジニアス(Genius)の“If We Could Go Right Back Again”の5曲を取入れて変化に富んだアルアム作りをしたようです。

 

 同時に“街の孤独”とRCAイタリアーナのカンタウトゥーリ、マウリツィオ・モンティ(Maurizio Monti)の作った“La Sonnambula”をシングル・カットしました。しかし年間ヒット100にランク・インすることはありませんでした。

 

PL-31444 (1979年RCA Italiana - RCA Italiana) Anna Oxa

74321-91319・2 (2002年RCA Italiana – BMG Ricordi) CD Anna Oxa

1.La Sonnambula

2.Codice Uomo

3.Un'Altra Me (The Other Side Of Me – ニール・セダカ)

4.Tango

5.Guidare Un Treno (Can't Take The Hurt Anymore)

6.Il Pagliaccio Azzurro (Till It Shines街の孤独 - ボブ・シーガー)

7.Matto

8.Notti Per Due (Because The Nightビコ-ズ・ザ・ナイト - パティ・スミス・グループ)

9.Un Sogno In Tasca (If We Could Go Right Back Again)

  

PL-31444                        74321-91319・2                 PB-6341

PB-6341 (1979年 RCA Italiana - RCA Italiana) Il Pagliaccio Azzurro /La Sonnambula

 

 80年、完全に女性イメージのジャケット・カヴァーでQ-ディスクと呼ばれるミニ・アルバムを出しています。ファースト・アルアム「Oxanna」から“Tu Non Sei L'America”、セカンド・アルバム「Anna Oxa」から“Matto”の2曲と、新曲の2曲“Controllo Totale”と“Metropolitana”を収録しています。

 

PG-33411 (1980年 - RCA Italiana) Q-Disc Controllo Totale

82876-59280・2 (2004年 RCA Italiana – BMG Ricordi) Q-Disc Controllo Totale [0 828765 928021]

1.Controllo Totale (Total Controlモーテルズ)

2.Matto

3.Tu Non Sei L'America (There Isn't Anything)

4.Metropolitana (You Might Need Somebodyとどかぬ想い)

PG-33411  82876-59280・2

 

 Q-Discの新曲を80年5月にシングル・カットして発売し、“Controllo Totale (Total Control)”は80年年間ヒット・ランク81位になりRCAイタリアーナ時代で最後のヒット・チャート・ランク曲でした。

 

PB-6455 (1980年5月 RCA Italiana - RCA Italiana) Controllo Totale (Total Controlモーテルズ)/Metropolitana (You Might Need Somebodyとどかぬ想い)

PB-6455  PB-6513

PB-6513 (1981年4月 RCA Italiana - RCA Italiana) Toledo/Proprio Tu

 

 81年4月RCAイタリアーナで最後のシングル盤を出しました。A面の“Toledo”はすでにCBBSイタリアーナに移籍していたアメディオ・ミンギ(Amedeo Minghi)の曲、B面はイギリスの曲をイタリア語カヴァーしています。

 

 こうしてアンナ・オクサは激闘の時代を過ごしたRCAイタリアーナからCBSイタリアーナに移籍、イメージ・チェンジをして82年サンレモ音楽祭の舞台に立ちます。

 

 

アンナ・オクサの国内盤

GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978)

2.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO) [アンナ・オクサ (ANNA OXA) RCA ITALIANA]

 

GP- 566 CM-  130

 

CM-  130 (1978年6月 SEVENSEAS - キング) 青春 (UN'EMOZIONE DA POCO)/ジャンナ(GIANNA) [アンナ・オクサ (ANNA OXA)/リーノ・ガエターノ]

 

GXC-9027~8 (1978年10月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP最新決定盤/カンツォーネ (CANZONE GOLD SUPERDISC)

2-7.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO)

 

GXC-9027~8  GXF-  81~90

 

GXF-  81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LPサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

10-18.青春 (UN'EMOZIONE DA POCO)

 

 

 

アンナ・オクサ 2は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます