香川のガイドブックに金刀比羅宮は載ってるけど、
こちらは全く載ってなかった。
・・・観光的要素が薄いから?
そんなものなのかな?
って言うか、ガイドブック載ってないと行かないか。
HPよりマップです。
金堂が本堂なので、まずはそちらへ向かいます。
駐車場へ停めて
こちらの済生橋を渡って境内へ
画像共にHPより引用:境内西側の参拝者用駐車場から西院(誕生院)にかかる橋。昭和53年(1978)に、西門にあたる「正覚門(しょうがくもん)」と共に建設されました。橋の欄干には、真言八祖の名号をあらわす種子が刻まれています
流石の広さ。
くぐります。
金堂
お線香、全部文字が入ってる。
私は、勿論・・・!!
合格祈願。
子が受験生なもので。
最近のお参りは95%くらい合格祈願。
え?残り5%?
それは、ライブチケ。いやいや(笑)
それはいつもそうなんだけどね←
たまに合格祈願とか全く関係ない所で拝んでもな~。って言うのは、
健康だよね。
それでも、受験で健康に。とかだったりするからな~。
やっぱり5%くらい自分のやつだね。うん。
なんと!金堂は薬師如来じゃないですか!!!
合格祈願と健康、当病平癒お参りさせていただきました。5%分。
では、ゆっくりと境内を。
やはりひときわ目立つ五重塔
意外と新しかった五重塔
外から眺めてみます。南大門
あ~。コチラ側から来ると、納得な感じだ。
お寺の山号。好きなんだよね。
由来が分かるし、ああ、地域に根付いてるんだな~と。
右手に五重塔、正面に金堂
お遍路さんもここから来たら、ああ、ここまで来たか。とか思うのかな?
幟のは、残念ながら、御影堂の御開帳時期には伺えませんでした。
実際御開帳は混雑するだろうから、良かったのかも。
さっきくぐった所。金堂(東院側)からが正解?かな。
善通寺と書いてあって立派な門なのに、境内案内に載ってない。
え?ただの門?こんなに立派なのに??
こちらは仁王門。
遍照金剛閣
この回廊素敵。正面が御影堂
内陣画像、文 HPより。
御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院です。江戸時代まで独立した寺院として善通寺全体を監督、管理していました。その中心となるのが御影堂です。現在の建物は天保2年(1831)の建立で、昭和12年(1937)に大規模な改修を行っています。
「御影」とは、一般的には祖師そしてそのお姿をいいます。真言宗では弘法大師空海のお姿を指し、御影堂奥殿の厨子内には秘仏・瞬目大師(めひきだいし)像がおまつりされています。寺伝では、空海が唐にわたる際、寂しがり心配する母上のために、池に映る我が身を写した画像だと伝えられています。そしてその厨子前には木造の弘法大師像と四天王像を安置し、幼少時のお大師さまの姿をあらわした稚児大師像やご両親の佐伯善通、玉寄御前の像もあわせて奉安されています。この奥殿は玉寄御前のお部屋があった場所と伝えられており、まさにここが大師信仰の聖地なのです。
誕生の地と聞いていたけど、
広い敷地の邸宅だったんだな。と。
そして、ここから空海の歴史が始まったんだな~と。
納経所へ
流石です。直書きして頂けます。
ただ、四国八十八ヶ所のお寺は要注意があって、
日付が入らないの。
こちらでは、弘法大師様の御朱印にのみ日付を入れて頂けるみたいです。
初公開御開帳ポスター。ある意味記念。
いつもはご本尊を頂くのですが、今回頂いたのは薬師如来ではないです。
270個目 善通寺
令和5年10月13日奉拝
右「御誕生所」「日付」
中央「弘法大師」
左「善通寺」
印
右「同行二人」
中央「ユ(梵字)弥勒菩薩印」
左「弘法大師御誕生所屏風浦善通寺之印」
こちらの書置。ご神木が練りこまれているらしい。凄い。
さっきまで知らなかった笑
印刷だけどね。日付だけ入れて頂けます。
こちらの限定御影ホログラム付きだったんだけど・・・
どうしたら良いのだろう?
飾るのかな?とか思いつつも御朱印と一緒におさめてあります。
大師三大霊跡 善通寺、京都東寺、高野山金剛峯寺
東寺は中学生の修学旅行で行っただけかも。
そのうち御朱印を頂きに行こう。
そろそろ京都も行きたい。
そういえば・・・
四国へ行ったけど、今回徳島の御朱印頂いてないな。
高知も頂いてない。
これくらい温い感じの御朱印を頂く感じです。
それなのに、気付けば既に270過ぎました。
更に今月既に増えています。
またゆっくりとアップします。