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「のぼうの城」ブルーレイ&DVD発売

近代兵器である情報端末を駆使し日夜、城関連情報にアンテナを張り巡らしている方ならご存知かと思いますが、昨年暮れにタイアップイベントを実施した、映画「のぼうの城」のブルーレイ&DVDの発売が早くも決定致しました(・ω・)/

発売日は、2013年5月2日“完全初回限定生産”の豪華版については、初回限定版だけのことはあって、様々な“論功行賞”が付属しています。その一部を抜粋すると…

▼映像・音声特典
メイキング/攻略!映画「のぼうの城」の世界/未公開シーン集/ビデオコンテ/田楽踊り完全版などなど

▼封入特典
・ブックレット:監督の絵コンテ、キャラクター・イメージ・イラスト、美術ボード他で本編を大解剖
・忍城の絵図【劇中使用版】
・完成台本(本編完成後に、撮影内容・演出内容を全て反映させた脚本)

あぁ
(;д;)、なんて豪華なんだ…。特に田楽踊り完全版」忍城の絵図」はすごい興味をそそられるじゃないか…。今回のブログは宣伝ではなくて、好きで書いているだけなので、関係者の役得もないから自ら買いに走らねばなりません(←あたりまえです)。

流れでAmazonで調べてみたら定価8,190円が6,061円で予約受付してました。魔性の割引率です…。映画をさんざん観たのに、この上まだブルーレイまで買うのか、と親に怒られてしまいそうですが、10分後には予約完了していることでしょう
( ̄Д ̄;

ところで、実は映画自体、まだ上映されていることご存知でした?劇場数は減ったものの、おおむね、今日または2/15までやってますので、「俺は大画面じゃないと満足できねぇんだぜ」という方はぜひ滑り込んでみて下さい。

2/14~【クエストイベント】上田原の戦い

1月はなかったクエストイベントですが、2月は1つ開催が決定しました。

その名も「上田原の戦い」です。実はこの戦い、ちょうど1年前にクエストイベント(旧:野戦イベント)として初めて開催されたもので、その後、いろんな野戦のイベントが続いてきたわけですが、当初はまだ1日限定の開催でした。

なので、その日を逃すとたとえ次の日に古戦場近くをさまよっても、武将を見つけることはできないという仕様でした。が、その後「期間を長くして欲しい」というリクエストにお応えしまして、今ではほとんどのクエストイベントが、1~2週間開催されるようになりました。

ちなみに、今回の「上田原の戦い」は、合戦のあった2月14日から、2月24日まで開催します。場所はこのあたり(長野県上田市)です。上田城観光など偶然考えている方は、城から3kmほどのところに古戦場跡がありますので、ぜひとも立ち寄ってみて下さい。

それでは今日は、ヒストリア風にエピローグを…

「上田原の戦い」と言えば武田信玄生涯初の負け戦として有名ですが、信玄は負けた後も実に20日あまりも戦場にとどまり続けました。追撃を恐れたからなどの説がありますが、自分が負けたことを認めたくなかったとも言われます。最後は、母親の説得によってようやく撤退しています。

一方、大勝したイメージのある相手方の村上義清も、実は名のある家臣数名を含む多くの死傷者を出していました。この後、「戸石崩れ」で再度信玄を破りますが、最終的には信玄に信濃を追い出されます。

それでも義清は諦めず、後年、上杉軍の一員として信濃に現れ、川中島の戦いでみたび信玄と相まみえました。生涯信玄に膝を屈することなく戦い続けたのは、野戦では決して信玄に引けを取らなかったという意地とプライドだったのかも知れません。

トイレ事情

リアルな城めぐりは意外と時間のかかるものです。大規模な城であれば、1時間や2時間じゃとてもじゃないけど足りません。そんな時、ナーバスな事態となってくるのが「トイレ問題」です。

観光地化された平城であれば、各所に立派なトイレが設置されているので、心おきなく城めぐりに没頭できるのですが、ひっそりと山中に佇む廃城だと“いかに麓で出し切っておくか”にすべてがかかってきます。昨年のオフィシャルツアーで訪れた戸石城なんかは、登城口前に簡易トイレが普請されていたのでまだ心のゆとりがありましたが、それすらない所の方が多いです。

緊急時、男性であれば最悪ごめんなさいして…、ということも可能ですが(決してオススメしているわけではない)、女性の場合はより深刻です。

そんな現代のトイレ問題もありますが、では当時の人たちは城内でどのように「していた」のでしょうか?遺構の観点から見ると、例えば現在修理中の姫路城天守には厠と言われるものがあったり…

 

 

備中松山城には、雪隠跡と言われる遺構があります。

 

 

“と言われる”というのは、実はトイレ跡じゃなくて、抜け穴とか何とか別の説もあったりするのです。いずれにしても直接的なトイレ跡は遺構として非常に珍しいもので、基本的には城内では側溝を掘ってそこに排泄していたようです。他には江戸城平川門のように糞尿や死人を排出するための不浄門というものが残っていたりします。

このように排泄物は忌み嫌われるものとして扱われていたわけですが、江戸時代には庶民の「もの」より大名屋敷から出た「もの」の方が高く取引されたという肥料としての利用があったり、時代はさかのぼって、ご存知、楠木正成の千早赤坂城の籠城戦では、「それ」を大量に敵に浴びせかけて撃退しているのです。どちらも“エコ”な!?使い方です。

これ関連の逸話は他にもいくつかありますが、あまりやり過ぎると不浄なブログと言われかねませんので、このあたりにしておきます。ということで、今月は城アバターの施設カテゴリに「雪隠」が登場予定です(そこに手を出したか…)。

お食事中、失礼つかまつりましたm(_ _ )m

カバー率

「早いもので」って言葉は、すでにこのブログで100万回言いましたが、今年も早いもので、こないだ初詣したと思ったらもう2月です。

さて、今日は城の攻略範囲について。ヘルプにも記載の通り、3000城の攻略範囲は常時見直しが行われていますが、2013年1月から、主に人口カバー率の向上と、境界の厳密化を目的とした微調整を行っています。

人口カバー率の向上”とは携帯会社の電波の話でよく聞く用語ですが、城めぐり的には、「どの城の攻略範囲にも含まれていない場所」を可能な限り減らそうという試みです。カバー率をできるだけ向上させてゲームを楽しめない方を減らしたいという意図です。とは言っても、ガッツリした埋め立て地(例えば羽田空港)とかはどうしても限界があります。史実に反してかつて海だった場所に城を建てる訳にもいきませんので、その辺りはご了承頂ければと思います。

境界の厳密化”は、城の攻略範囲と攻略範囲の境目を1メートル単位まで調整することを言います。現状はよくよく確認すると攻略範囲の境界が数メートル空いていたりする場合があります(調整が甘いというだけの理由です。すいませんm(_ _ )m)。これも最終的には微妙な空白地帯を無くす目的で行っています。

今回の微調整は来月いっぱいまで行われる予定です。ただし、城主争いに大きな影響を与えることはあってはなりませんので、あくまでほとんどの場合微調整にとどまっています(一部、山間部などでは1km範囲が広がった城もありますが)。

城めぐりも嬉しいことにご利用頂く方が増えてきまして、今後もより多くの方が楽しめるよう努力しておりますので、ご理解とご了承のほど、何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _ )m

【お詫び】
先日、上記作業中に千葉県の「中沢城(鎌ヶ谷市)」の設定を誤って広大な範囲で登録しておりました。現在は修正が完了しております。大変ご迷惑をお掛け致しました。

攻城兵器

昨日たまたま我が社の三国志のサイトを見ていたらイイのがありましたので、こっちのブログで紹介させてもらうことにしました。“番宣”ということで(。・ω・)ノ゙

その名も「中国の攻城兵器」。日本の攻城戦では意外とお目に掛かりません。ぱっと思いつくところでは、神吉城攻めで使われた井楼とか、晋州城の戦い(文禄の役)で使われたという亀甲車とかですかね。国崩しも攻城兵器といえば攻城兵器か…。

いずれにしても、山が多い日本ではあまり普及しませんでしたが、中国はスケールが違いました。「This is the 重機」です。では、見てみましょう。
(情報提供・画像提供「三国志のすべて」)

【投石機(とうせきき)】石弾を空高く飛ばす攻城兵器。一般には「砲」という。頑丈で反発性の高い木製のアーム(梢)の先端に皮袋を下げ、そこに載せた石弾を城へ向けて発射する。

【テン壕車(てんごうしゃ)】前方の衝立で守城兵の攻撃を避けつつ、城の壕に接近し、後ろに積んだ土などで壕を埋めた。

【衝車(しょうしゃ)】城門を打ち砕く破城鎚。台車の上に屋根型の覆いをかけ、城内からの投石をしのいで城門に接近し、内部に吊るされた大型の槍状鎚で門を砕く。

【井闌(せいらん)】城壁上の敵を攻撃する兵器。城壁と同じ高さだったとすると地上から10メートル以上の高さと推測できる。

【壕橋(ごうきょう)】城外に巡らされた壕を突破するための兵器。数人の兵士が押していき、車輪は壕の中にはまりこむような形となる。

【雲梯(うんてい)】高い城壁に登攀するための梯子車。斜めに単体の梯子を架けただけの「行天橋」、梯子が折りたたみ式の「搭天車」、搭天車の大型版の「雲梯」があった。

【摺畳橋(しょうじょうきょう)】壕を渡るための架設橋。城外の橋は戦時には取り外せるので、このような兵器が必要となる。

【フンオン車(ふんおんしゃ)】城内に突入する兵士を運搬する車両。船でいえば元代の揚陸艇に相当する。機動性を重視し、床を簀の子状にすることにより、内部からも押して前進できるようになっていた。

【巣車(そうしゃ)】城内の偵察に用いられた兵器。兵士を乗せた小屋を、滑車を利用して引っ張り上げ、高所から城内の様子を窺った。

うーん、圧巻です。もはや↑これとか、エレベーターだし…( ̄□ ̄;) こんなもんで攻め立てられたらたまったもんじゃありません。

それでは長くなってしまいましたが、これから籠城しようとお考え方は対策の参考にしてみて下さい。

以上、「三国志のすべて」の提供でお送りしました(・ω・)/

【籠城戦】周辺諸侯を震え上がらせた政宗の撫で斬り

うーん、実に久しぶりな気がします。「ピックアップ籠城戦」。大変ご無沙汰しております(((゜д゜;)))

特にこれといった理由もないのですが時間が空いてしまいました。今回は、今までにこのシリーズで取り扱ったことのなかった、東北地方の戦いをピックアップしてみました。お・そ・ろ・し・やー\(゜□゜)/

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周辺諸侯を震え上がらせた政宗の撫で斬り
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後に東北の雄となる伊達政宗が、父輝宗から家督を相続したのは弱冠18歳の時であった。天正12年(1584)、輝宗もまだ41歳の働き盛りの頃である。

これだけ早い家督相続には理由があった。ひとつは政宗の母である義姫に、政宗弟の竺丸を次期当主に据えようとする動きがあり、これを抑えるためであり、さらには、当時の伊達氏を取り巻く状況にもその訳があった。

陸奥・出羽を制するには、白河から岩瀬・安積・安達、信夫を経て仙台へと続く長大な仙道地方を制覇することが必須であったが、この頃の仙道、特に南奥州の各地では、蘆名・二階堂・結城・岩城・石川・白川らの諸氏が割拠し、伊達氏の南進を阻んでいた。これらの勢力との対決を考えると、情勢が安定しているうちに家督移譲を行い、輝宗の後援の下、家中一丸となって戦う体制を構築する必要があったのである。

政宗が正式に家督を譲られると、直後からこれを祝賀する者が米沢城に相次いで訪れた。その中に、安達郡小浜城主、大内定綱という武将がいた。定綱は蘆名や佐竹らの間を渡り歩く小勢力であったが、今後は米沢に居を移して伊達氏に従属したいと申し出たのだ。

政宗はこの申し出に大いに喜んだ。定綱の小浜塩松は仙道の中央にあって、これを抑えられれば仙道制覇への大きな一歩となるからであった。政宗は定綱に米沢城下において屋敷を与え、これを丁重に遇した。定綱もこれに対して謝礼を述べるとともに、そのまま米沢で越年した。

天正13年(1585)正月、定綱は諸事始末を終えた上で妻子を伴って改めて戻ってくると言い残し小浜城へ帰っていった。しかし、それを最後に定綱が再び米沢に現れることはなかった。不審に思った政宗は小浜へ使者を差し向けその真意を質すが、定綱の答えは「伊達に服するつもりなど毛頭無い」というものであった。蘆名氏の圧迫に服して再び誼を通じていたのだった。

この変節に激怒した政宗は、家中の反対を押し切って裏で糸を引く蘆名領への侵攻を行ったが、これが不首尾に終わるとすぐさま矛先を変え、この謀反の張本人である定綱の討伐に乗り出した。

同年閏8月、政宗軍は小浜城の支城である小手森城へ襲いかかった。小手森城は標高500m程の山に築かれた城塞であったが、その実態は砦のようなもので要害堅固とは言い難く、城兵もわずかに500名を数えるのみであった。

伊達軍の攻撃は苛烈を極めた。蘆名氏の援軍なしでは定綱も単独で後詰めはできない。孤立した小手森城では、城主である菊池顕綱が城を開けて降伏することを申し出たが、政宗はこれを許すことなく力攻めを断行、城方の抵抗をものともせずに即座に落城させた。

しかし、定綱に愚弄された政宗の怒りは小城をひとつ落としたくらいでは収まらなかった。城主菊池氏以下、城兵は言うに及ばず、女子供に至るまで、城内に避難していた者のすべてを殺害したのである。さらには、牛や馬など“生”のあるものはすべてその刃から逃れることはできなかったという。

800余人を切り捨てたとも言われるこの殺戮は、「小手森城の撫で切り」と呼ばれ、周辺の敵対勢力を戦慄させた。大内定綱も、恐怖のあまり小浜城を自焼して蘆名氏のもとへ落ち延びる始末であった。

これまで敵同士であっても、数代前からの複雑な姻戚関係で結ばれていた東北諸豪族の間には、戦をしても一方が壊滅的になるまでの勝敗はつけないという暗黙の了解が存在した。しかし政宗はこれを否定し、自分に敵対する者がどのような末路を辿るのか、この戦いでまざまざと見せつけたのであった。

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当時の人々にとってはまさに、新人類登場という気分だったでしょう。まぁ、新当主ということでわりと張り切っていたということも考えられますが...。

関係ないですけど、天正13年(1585)って本能寺の変の3年後ですから、すでにこの頃信長はいないんですねー。改めて、政宗が遅れてきたヒーローであることを実感(゚Д゚)!

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絵文字

近頃周りでもスマホが多くなってきて、パカパカ世代の私としては(いや、ポケベル世代か…)、いささか複雑な心境であります。火縄銃が普及してきたときの武田信玄の気持ちがやっと分かってあげられた気がします(*゚0゚)ハッ!!

さて、今日は絵文字についてです。従来型携帯で使える絵文字は、基本的に城めぐりのニックネームや自己紹介、伝言板や一筆啓上など、あらゆる“入力”のシーンでご利用頂けますが、スマホではそれらが再現されませんのでご注意下さい、という話です。

ただ、それらも使い方次第で結果が変わってきます。「」を絵文字に見立てて、具体例を見てみましょう↓

【ほぼ支障ないケース】
従来型で書込み:「今日は星がキレイだった!」
スマホで見ると:「今日は星がキレイだった!」

【意味が通じなくなってしまうケース】
従来型で書込み:「今日はがキレイだった!」
スマホで見ると:「今日はがキレイだった!」

ということで、いったい何がキレイだったのか気になって眠れなくなります。つまり、言葉をそっくり絵文字で代用する場合は、意味が通じなくなってしまいます。

また、文末などに装飾的に使う場合でも、顔絵文字を使って感情を表す際には注意が必要です。「(^O^)」を絵文字に見立てると…

「早く帰ってこい(^O^)」なら、すごく帰宅を心待ちにしてる感が出ますが、「早く帰ってこい」だと、単なる召還命令となってしまいます。これは恐ろしい( ̄□ ̄;)

以上のことから、予期せぬトラブルなどを防ぐ意味でも、絵文字を使われる際にはそんなことを気に掛けて頂けたらと思います(・ω・)/

 

 


ニッポン城めぐり まとめ記事

 

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戦国武将コレクション

 

雪山

その昔、柴田勝家は雪に行く手を阻まれて秀吉に遅れをとったわけですが、今や、交通機関が発達したおかげで秀吉に遅れをとることもない時代になりました。

とはいえ先日の関東の大雪のように、いまだに雪によって交通網が遮断されることはしばしば起こります。それでも果敢にリアル城めぐりをされているユーザーのみなさんの勇猛さに感服している今日この頃です\(゜□゜)/

最近は、フォトギャラリーにも雪化粧の城写真が多くアップされていて、中には「よくこの季節にここに行きましたねー!」という、ただならぬ情熱を感じさせる写真もあります。

ただし、この季節の城めぐりはいろいろと気を付けねばならないことがあります。特に、山城は山だけあって雪も積もりやすく、難敵です。一例を見てみましょう…

【地味にたどり着けないパターン( ̄_ ̄ i)
公共交通機関がストップした、冬限定の時刻表の存在を知らず帰りのバスが来なかった、車でアタックしたら通行止めになっていた、そもそも山全体が冬季閉山していた、前日に風邪を引いた…
などなど、これではせっかく最高潮にまで高めたテンションも台無しです。

【現地でヒヤッとするパターン( ̄□ ̄;)
ノーマルタイヤで挑むもノーマルな道ではなかった、見渡す限り雪でリアルに遭難しかかった、本郭から二ノ郭を覗き込んだら滑って落下した、高いカメラが吹雪でビショビショになっていた…
などなど、楽しいはずの城めぐりもこれでは全く楽しくありません。

【とっても残念なパターン( ̄Д ̄;;
麓の資料館が冬季休館中だった、堀が雪で埋まり堀ではなくなっていた、石垣に雪が吹き付けていて何積みかよく分からなかった、スキーヤーが気持ちよさそうに滑っていた…
などなど、まぁこれは旅の思い出といえば思い出ですかね。

ということで、夏は夏で危険生物が出没して危ない城めぐり、冬は冬でいろいろと苦労が絶えません。みなさんも、無理せず“適度な”リアル登城をお心掛け下さい。

クエスト的には…

先週告知しました通り、本日、無事「家臣団コレクションβ」の家臣団クエストが追加されました(・ω・)/

すでにご存知かと思いますが、クエストにはそれぞれ出現条件があるので、本日追加されたものすべてが全員に出現するとは限りません。なので、今回は清水の舞台から飛び降りる覚悟で、このブログで何が追加されたのか発表してしまいましょう(ノ゚ο゚)ノ

大坂の冬の陣の幕府方武将を30人登用せよ!
大坂の冬の陣の大坂方武将を15人登用せよ!
三方ヶ原の戦いに参戦した武将を25人登用せよ!
戸次川の戦いに参戦した武将を10人登用せよ!
根白坂の戦いに参戦した武将を20人登用せよ!

この中でも特に難易度が高いのは、見てお分かりの通り、冬の陣の幕府方30人です。

家康の指令で全国から大名が集結しているので、人数が多いのもさることながら、地域性がまったくないので、これをコレクションするのはかなり大変です。しかも、徳川・伊達・上杉など、もれなく大物武将たちも多く含まれています…。強敵揃い!

余談ですが、関ヶ原で家康にすごーく協力したのに、福島正則とか黒田長政とか加藤嘉明とかは、寝返りを警戒されて江戸城に留め置かれています。うーん、何とも不憫。

でも、クエスト的にはちょっと助かる、か…。

税と使い道

今月からいよいよ「復興増税」がはじまりました。有無を言わさず所得税に上乗せされて天引きされるのですが、恐ろしいことにこれが2037年!まで続きます。車が空を飛んで、ロボットが暴言を吐いている時代ですよ( ̄□ ̄;)

ちょっと前まで、その不適切な使い道をマスコミに鋭く突っ込まれてましたが、25年間も収めるのだから、ぜひ適切な使い方でお願いしたいところです。ちなみに、文化庁の資料によると、この復興増税が財源の一部でもある「東日本大震災復興特別会計」に被災文化財の復旧ももちろん含まれています。

被災地のみならず、全国の文化財も当然毎年その整備・保存のための予算が組まれているのですが、来年度の同庁の概算要求には、新たに「文化財等の公開活用推進地域活性化事業」や「史跡等を活かした魅力ある地域づくり総合活用支援推進事業」などといった事業が盛り込まれています。

かいつまんで言うと、文化財の耐震・防災対策や案内板等の設置が含まれていて、石垣の再構築なんてのも一例として示されています。廃城フリークとしては、ぜひとも実現してもらいたい事業といえますよ、これは(・ω・)/

そういえば、先日館山城(千葉県)のしゃちほこが落下したという衝撃ニュースが走りました。うーん確かに館山城も築30年…。全国的に再建天守も老朽化してますね。安倍内閣による国土強靱化計画ならぬ、お城強靱化計画もよろしくお願い申し上げます。