【陣触れ】決戦に備えよ(2023年03月)
肥前国、島原半島。この地を治める有馬晴信の運命は、“五州二島の太守”龍造寺隆信の攻勢により風前の灯火となっていた。
天正12年3月、晴信の救援を決意した島津義久は、弟・家久以下3千の精兵に八代海を渡らせた。
一方、島津・有馬両氏を一気に屠る好機と見た隆信も、自ら3万とも5万ともいわれる大軍を率い海陸から島原半島に押し寄せた。
両者が相まみえたのは、無数の湿地が散在する沖田畷。
智将・鍋島直茂擁する龍造寺軍は、即座に全軍を三手に分けて展開する。対する島津・有馬連合軍は厳重に柵を構えてこれを待ち受ける ―。
九州の戦国時代に終止符を打つのは誰か? それは参戦する者一人一人の戦働きにかかっている!
突如として陣触れがやってきました!
2023年の初戦となる合戦イベント!
第25弾は、「沖田畷の戦い」です!!
「沖田畷(おきたなわて)の戦い」は、島原を舞台とした龍造寺軍 vs. 島津・有馬連合軍の戦いです。
九州の戦国時代は、群雄割拠の争乱期を経て、やがて“九州三国志”ともいわれる大友・龍造寺・島津の三強に収斂されました。しかし、天正6年(1578)の耳川(高城川)の戦いで島津に大敗した大友が衰退すると、事実上、龍造寺と島津の二強時代に突入します。
ざっくりいうと北の龍造寺と南の島津。こうなるともう両者の激突は時間の問題となります。互いの支配域の境目でもある島原の領主・有馬晴信が龍造寺から離反すると、これを支援する島津と龍造寺による直接対決が引き起こされました。これが「沖田畷の戦い」です。
龍造寺軍は最大6万ともいわれる(実際は2万5千程度ヵ)大軍で、島津・有馬軍は5~6千ほど。兵力的には圧倒的に連合軍が不利だったものの、島津軍を率いるのは戦上手で知られる島津家久―。
史実ではこのような形で戦いの火蓋が切られましたが、果たして今回の合戦イベントはどんな戦いが繰り広げられるのか…。
合戦イベントは来月行われます。4月6日には城の日も控えているので、通常年度末となる3月にはあまりイベントをやらないんですが、神流川の戦い以来の3月開催となります。
今回もまた詳細が決定次第順次このブログでお知らせしていきます。それまでは、予習・復習ができるように以下にリンクを貼っておきますので活用して下さい。
ちなみにWikiの中で、信長に登用されたことで有名な黒人・弥助が、“有馬軍として参戦”って書かれてますが、これはどの資料にも見当たらない事実で、新規武将とかで登場しませんのであしからず。
※憶測呼ぶといけないのであえて先回りして否定しておきます。
それではまた次のお知らせをお待ち下さい!!
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