令和2年(2020)あけましておめでとうございます!
あ、あ、あ、あけましておめでとうございます!!令和となってはじめての、元日のブログ更新であります(*´∀`)//
今年も、福袋に同梱される干支缶バッジのイラストを貼り付けてみました。というのも、毎年新年一発目のブログでは特に新しい告知もなく、干支にちなんだネタを投入することでなんとか乗り切っているからです。
2020年の干支は「子年(ねどし)」。
ネズミは、古くは『古事記』にも登場し、あるときは神の使者となり、あるときは秀吉のあだ名にもなる、良くも悪くもいつの時代も日本人の生活において、常に身近な存在であり続けています。
ただ、その昔授業に出てきた高床式倉庫の“ねずみ返し”に代表されるように、人々の生活に害をもたらす、圧倒的に負のイメージが強い動物と言えるでしょう。
それがよく現れた戦国時代の話がありました。否、慶長7年(1602)のことなので、江戸時代初期と言った方が良いでしょうか。
当時、都であった京都では、ネズミによって家屋や穀物、書物などを食い荒らされる被害が続出し、庶民を悩ませていました。
この頃の京都の民政を担っていたのは、徳川家康の家臣・板倉勝重。勝重はこのネズミの被害に対して一体どのような対策を取ったのか?
そこは、後に大岡越前とともに名奉行として語られる勝重。発想力が段違いでした。
勝重が繰り出した施策は、まさかの「猫放し飼い令」(゚∀゚)//
猫は、当時すでに人気のペットとしてよく飼われていましたが、基本的には逃げないように首輪と紐で繋がれた状態で飼われていたようです。
勝重はこれを政策によって放し飼いにするように命じたのです。京都の市中に、一度にハンターが大量投入されたわけですから、文字通り“袋の鼠”となったネズミたちも相当数いたことでしょう。と同時に、愛猫が行方不明になって悲しみに暮れる飼い主が続出したことも想像に難くありませんが…。
奈良時代にネズミの害から経典を守るために中国から輸入されたという猫。人懐っこい性格から、愛玩動物へと変貌を遂げていたその猫ちゃんたちに、改めて本来のミッションを付与した板倉勝重の豪腕には驚くばかりです。
ん?よく見返してみたら、ネズミの話というよりむしろ猫の話のような…。確かに、2017年、干支である「トリ」の話を書くうち、先走って翌年の「イヌ」のエピソードまで書いてしまうという失態を犯した過去があります。
でも今年は大丈夫そうです。「猫年」はありませんので(・∀・)
2020年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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