『指導者には命をかけてことにあたるほどの心境が必要である』


命をかけて何かをやり通すということは難しいことだろうか?


僕らは限りある命の時間をかけて生活をしているのだから、全てのことが命がけなのではないか。



ある日、友人に、自分の作っている商品を是非穿いてもらいたく思い、


「プレゼントをするから是非穿いてもらいたい。」


と伝えた。すると、


「二階堂が人生をかけて作っているものだから買いたい。」


と言う言葉が返ってきた。


なんとも嬉しいことに、自分が人生かけて行っていることを友人に認めてもらっえたのである。




「多くのお客様に商品を手にとってもらいたい!」という考えだけでは、自己満足だけでしかないことに気づいた。


多くのお客様に、認められるというのは、一人一人に認められた結果でしかなかったのだ。


お客様一人満足させられないのに、多くの人に喜んでもらえるはずがないのである。




それから、お客様一人一人に喜んでもらえる

商品、自分自身を認めてもらうにはどうしたら良いか日々考える事が週間になった。




品質の徹底、追求、向上。




サンプルであれ何であれ、徹底的にこだわり抜く。


自信のない商品は市場には出さない。



もちろん自分達が縫製や加工をするわけではないが、工場に出向き、直接相談、時には指導もする。



作りたいものをいかにアウトプットするかが、僕らの役目。


アウトプットされたものを具現化していくのが技術者の役目。


僕らの商品はそんな人と人との意思の疎通と役割分担で、

些細な部分だが、一番貴重な自社だけの『こだわり』の部分が完成した。



『何でこんなものもつくれないんだ?』

『何でこんなミスをするんだ?』


『何でそんな要求をするんだ?』

『何でこんな些細なミスを気にするんだ?』



お互いの意思の疎通ができてないと、こんな風なやりとりになってしまうことも、

意思の疎通、同じゴールを目指せれば感動と達成感を共有することができるのである。




それはほんの些細な部分で、

大半のお客様には気づかれないかもしれない些細な部分。


でもそこが弊社のこだわりと、工場の技術の結晶なのである。




20そこらのクソガキと、70過ぎのおじいちゃんで感動と達成感を共有することができる。


こんな仕事なかなか無い、すばらしい仕事とだと自負できる。


ただこの時点ではクソガキとおじいちゃんの自己満足なだけ。



その達成感と、感動で生まれた商品をお客様の手に届けるのが僕らの仕事。


お客様一人一人に喜んでもらえるためには、

商品力だけでなく、サービスの徹底、追求、向上が必要なのである。




僕はこの仕事に命をかける。かけている。





『指導者は敵をも愛するゆたかな心を持ちたい』


個人的にこのページはかなりお気に入り。



指導者の条件の本の中では、上杉謙信と武田信玄の話が例に出されているが、


やはり、武将というのは自分が思っているよりも遥かに器の大きい人達だったのだと思う。


ただ戦に強いだけでは、武将になんかならないのだから。


理由があって戦っている。


血を見るため? 戦い好きな武将はいたと思うが違う。


国を良くする為、自分の描いた国を作るために戦ってきたのだ。





会社、団体、政治も同じ。


相手を蹴落として自分たちが優位になるために競争や対立するのか?


そうではない。


自分達の生活を豊かにするために頑張っているんだということを忘れなければ、


自然と一視同仁の心は生まれると思う。









『指導者は指導者としての公の怒りを持たなくてはならない』


「指導者たるものいたずらに私の感情で原をたてるということはもちろん好ましくない。


しかし指導者としての公の立場において何が正しいかを考えた上でこれは許せないということに対しては


大いなる怒りをたてなくてはいけないといっているのであろう」 と記載させている。



一個人としての怒りではなく、経営者として、会社の代表としての怒り。


それはきちんと経営理念に基づいた怒りや、公の問題に対しての怒り。



『怒りを持つ』という題に対して自分の器の小ささが伺える。


自分が経営者として会社を育てた上で社会に何ができるかということが、まだまだ不明確。


もちろん事業計画書に描いてきたころは、色々な夢や、社会貢献を考えていたが、


どうしても、毎日の仕事に追いやられている自分がいる。


それは小さなことをコツコツとこなしていくことには非常に大切なことだが、


もっと大きく全体を見なければいけないと再確認させられた。