今回は、現時点で最新号となる、2008年4月17-23日号(通巻2267)に掲載された、教育に関する記事です。
今週号には、教育に関する対談が2本ありますが、そのうちの短いほう A l’école de l’Europe です。長い方(ダルコス現教育相とラング元教育相の対談 Quels choix pour l’école ? 学校にどのような選択?)は、5週前に掲載された、2人の元教育相(右派のリュック・フェリーと左派のジャック・ラング)の共同執筆、 Non aux nouveaux programmes de l’école primaire ! (小学校の新課程にノー)という記事を前提にしており、こちらの方は訳し切れていません。
A l’école de l’Europe
par Nathalie Mons
フランスは近隣諸国の教育政策から着想を得るべきだった
Le Nouvel Observateur. –言語の習熟のために、他のOECD加盟国も、刷り込みを基本にした方法よりも(語彙、文法の)体系的な教育を採用していますか?
Nathalie Mons. –2007年には、他の全てのOECD加盟国で、両方が行われています。例えばフィンランドは、生徒がフィンランド語のイロハを何度も繰り返し覚えたというだけで、良い結果に達したのではなく、学習が読書にも向けられていたからです。同様にカナダは、PISAで良い位置につけていますが、革新的な教育法で知られています。
N. O. – フランスでは、2002年の初等教育課程だけが、生徒の低水準の原因なのでしょうか?
N. Mons. – この低下を説明するのが、教育課程なのか、教育方法なのか、さらに別のことなのかは誰も知りません。というのは、我々は調査しなかったからです。非常にフランス的な欠点です。各政権は、予め結果を評価することもなく前政権が実現した政策を白紙にします。我々の時代遅れの教育政策を改善し続けることなどできません。成功している国々は、少なくとも義務教育においては、教育の価値と目的に関して15年以上前から右派と左派の政治的合意に達している国です。フィンランド、英国・・・ より最近では、米国で、No Child Left Behind(道端に放り出された子供がいない)基本法が2002年、民主党と共和党の両方によって可決されました。
N. O. – グザビエ・ダルコスが提案するように、目的を定めることと、目的に達した生徒の検証をすることは有効でしょうか?そしてそれを公表することは?
N. Mons. – 生徒の評価には誰も反対しません。しかし、いくつかの問題をまとめて考えなければいけません。まず、何をテストするのか?動詞の活用のような、単純すぎる能力をテストするとしたら、非常に強い悪質な効果があるでしょう。教師がテストで問われることしか教えなくなる、「カリキュラムの狭窄」に至ることが、外国で示されました。別の問題は、生徒自身と学校の生のままのテスト結果を父兄に伝えなければならないか?という問題です。OECDの半数以上の国がこのような方針を採っていません。なぜなら、特に結果の公表と学校間競争には強い関連があり、それによる悪い効果が作り出されることが、調査によって示されたからです。フランスでも外国の経験の結果から着想を得られれば素晴らしいでしょう。我々はOECD諸国の大部分と比べて10年遅れでこの領域に達しています!彼らと同じ誤りを再び犯さないように。
N. O. – 教員という職業は、外国ではどのように変化していますか?
N. Mons. – ヨーロッパの大半の国では、教師の使命は重くなってきています。教員にはより長く学校にいることが求められ、同僚の代わりをすること、学校の共通評価に参加することが求められ・・・ それと引き換えに、多くの国で、政府は持続的な教育に投資し、報酬を増やしています。フィンランドの場合ですが、ずっと前から仕事を再評価してきました。英国では、教員の労働時間を増大させた新たな責任が課され、それが意欲低下と新規採用の困難に至ったことが確認された後、政府が政策を見直しました。2003年、英国政府はより良い給料を払い、困難な状況にある生徒を受け持つ教師を助けるための助手を採用し、持続的な教育のための予算を割り当てることを約束しました・・・
N. O. – フランスでは、collège unique唯一の中学(全国一律の中学)が批判されています。これを捨てなければならないでしょうか?
N. Mons. – いいえ。唯一の中学校を採用した国はPisaの分類で上位にいます。これらの国々が生徒間の違いをフランスとは別の仕方で管理していることは確かです。わが国では、唯一の中学の調整手段を構成するのは、主として留年、能力別学級、そして最後に資格なしで教育制度から出て行くこと、です。ところが、困難にある生徒のためのこうした課程は、非効率であることが明らかになっています。なぜなら、たとえ当初の目的ではなかったとしても、それは常に学校と社会のゲットーとなって終わるからです。わが国の義務教育制度を、全体として非効率で不平等なものにしています。困難な状況にある生徒だけでなく、他の生徒も含めて、全ての人が損失を被っています。スカンジナビアやアジアの国々では、逆に、個人化された教育が重視されています。生徒は個人的に見守られ、彼らの問題は現れるやいなや手当てされ、留年させたり、能力別の学級に振り分けたりする理由は全くありません。
Propos recueillis par CAROLINE BRIZARD
出典
LE NOUVEL OBSERVATEUR 2262 13-19 MARS 2008
http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2267/articles/a372892-.html
文中に出てくる米国、英国の政策は、言ってみれば過去の新自由主義的政策によって壊滅状態に陥った公教育を再生するためのものと思われます(日本では、英国の公教育をズタズタにした殺チャーの「改革」をやたら持ち上げる勢力が、教育「再生」会議とやらを作って税金をドブに捨てましたが)。
フランスの現政権の不思議は、成功した国(北欧など)から学ばず、一度大失敗して立て直そうとしている国(英米など)の、失敗に至る政策を真似しているように見えることです。これは、日本でも言えることですが。
PISA (Programme international pour le Suivi des Acquis des Elèves) で上位にある国は、国内の中学校に差を作らず、どこの学校に入っても同じ、という傾向にあることがわかりますが、敢えて逆のことをしつつある、あるいは既に部分的にしているのが、フランスであり、日本であるようです。特に後者は、教育予算を減らす努力をしつつ、一部の地域では学校間に格差を設けようとしています。学校の「自由」選択は、選択したところに必ず入れるというものではなく、希望者の多い学校を希望する場合、公立中学なのに直前まで進学先が決まらないという事態が、私の住んでいる区でも生じています。
少なくともフランスは、学力の低下に悩み、向上させようと努力している(方向性が間違っているとしても)という点で他の西欧諸国と価値観を共有しているようですが、日本の場合、別の価値観を持っているのかもしれません。マスコミを使った情報操作は巧みであり、「ヨーロッパの多くの国では大学の学費も無料か極めて安い」という話をすると驚く人が多いことにも、それは現れています。
偶然ですが、今日4月22日は全国一斉の「学力テスト」なるものが行われました。小6の娘は、無邪気にも「テストが楽しみ」などと言っていました。背後にある国家と一部民間企業の邪悪な意図を知ることもなく。結果が出るのが9月と言われていますが、これでは本人にとって何の役に立つのか疑問です。もちろん、国家と一部企業のためのテストであって、受ける本人のためのものでなど、最初からありません。親としては、こんな無駄なものに時間を取らせるくらいなら、学校を休んで家で勉強させたかったところですが、「休む理由がない」と言われてしまいました。皆勤賞を狙っている(らしい)ので仕方ありませんが。
【追記】
5月30日にもなって、釣本直紀と名乗る方からコメントを頂きました。学力テストが国家と一部民間企業のためのテストであって、受ける本人のためではない、できれば休ませたかった、と書いたことに対して、
陰謀論もここまで来ると病気だな。
「進化論を教える学校には通わせない」と子供にカルト思想を押し付ける親と同じだ。
自身がどんな思想を持とうと勝手だが、それを子供に押し付けるべきではない。
だそうです。URLも記載されていないので、原則として承認しない方針でしたが、とりあえず晒し物lにしておきます。このコメントにコメントで返答することはしません。
この程度で陰謀論と言われるなら、学力テストに反対して私より過激な論を展開されている方のすべてに、同じようなコメントを今さらのように送っていただきたいと、釣本直紀氏には要望しておきます。・・・要望するまでもなく、あちこちのブログに、URLを記載することもなくコメントを書かれている方のようです。非常にご多忙な方のようですから、当ブログのような弱小ブログには今後一切、構わないでおいて頂きたいと思います。