暴力に脅かされるフランスの教員【3】暴力の実情(2) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の 暴力に脅かされるフランスの教員【2】暴力の実情(1)  の続きです。 

今回は原文 の Malgré ces précautions, ils subissent régulièrement insultes et formules injurieuses. で始まる段落からです。

なお、文中の数字(1)(2)・・・は参考文献の数字です。原文 を参照してください。


『神経発作の瀬戸際にある教師たち』(つづき)

Ecole, attention baston

Profs au bord de la crise de nerfs


(つづき)


 こうした用心にも関わらず、教員たちは絶えず侮辱と侮蔑的な言葉に苦しめられている。「おまえは、手帳を食えるだろう」、ラ・ガレンヌ・コロンブのこの生徒は、彼の遅刻を記すために成績簿を求める数学の教師に、こう言葉を投げつけた。「女性はより性的な言葉を投げつけられる羽目になる。『汚いメス犬』、『太った淫売、ぶち込んでやる』とか」、マルセイユの職業高校の女性教員は語る。教師が侮辱の直接的な標的になっているとすれば、見過ごすことの出来ない男性優位主義的な下品さを目撃していることになる。パリ19区の中学の第5学級(中学の2年目、日本の中1に相当)にいる、クリスティァンは、仲間と言い争い、教師の前で言葉を発した。「略(出て行って淫売の中の淫売のお前の母親を犯して来い、というような意味)!」 そのとき仲介すべきだろうか? 「彼らの行動と言葉の程度は、我々のものと同じではない」、マティアス・ガヴァリーは説明する。「生徒たちは一日中ののしりあい、非常に親しげに互いをホモだのレズだの扱いし、非常に友好的に殴り合っている。」 このような状況で、どのように教えるのだろうか?

 狡猾で、永続的で、神経には地獄のような無秩序、そこで授業を行うことは試練になっている。国際校内暴力研究所の所長、エリック・ドバルビユーが説明する、「彼らの日常は小さな自尊心の傷つきから成り立っている、私が犯罪前と呼ぶ、うんざりするようなちょっとした無作法だ。」 22年間教職にあるスペイン語教師シャンタルは、住居を得るために、小さな村の中学校で真面目と評判だったが、リヨン中心部、庶民的な地区の中学への移籍を得た。彼女は告白する、「全くの別世界でした。生徒は話を聞かないで、教室の反対側でしゃべっている。私は自分が何者でもないように感じました。」 数ヵ月後、「スーパー・プロ」は転落する。漠然と傷つけられた、屑の中にある自己の評価、抗うつ剤による治療と、繰り返す病気による中断・・・ 昨年6月、彼女はタオルを投げた。苦悩する教員に対する教育者、セルジュ・ポワニャン (1) は、「迫害のシステム、本当の精神的嫌がらせ、自己陶酔的傷害」を記述する。教員たちはそのことについて敢えて話そうとしない。「教員はどんな場合でも一人で抱え込もうとする。」

 昨年11月のある土曜日、怒りっぽい父親に殴れた、メッツに誓い村の学校の校長が訴訟を起こす。続きは?「アカデミーの誰も学校に来なかった」、この校長は嘆く。「加害者はアカデミーの視学官からの連絡を全く受けなかった。私は行政からも見捨てられたと感じている。」 多くの教師が同じように見捨てられた感じを抱いている。フランシス・レックとクロード・ルリエーヴルは書いている(2)、「教師には自分の訴訟の結果に関する情報が不足していて、加害者とその家族の責任が問われていないと感じている。」

 制度は、ふさわしくない母親か?単に無力なだけなのか?それでも20年前から、校内暴力に対する裁判による対抗手段は絶えず充実し続けている。公務員保護に関する7月13日の法から、「学校内での暴力の予防と対抗手段」の通達まで。明らかな効果はない。2006年夏から、「学校内での暴力に対して抵抗する」という実用的な手引きが、教育省のサイトで得られるようになる。SOS暴力という、フリーダイヤルも、各アカデミーに存在する。ただ一つのアカデミー、ヴェルサイユのアカデミーだけが、暴力の被害者に対して効果的な支援を提供している。そこでは、学校支援センターが設置され、訴状の提出から授業への復帰まで、個人に対する追跡調査を保証している。さらに、教師が必要としているなら、授業の最初の数時間付き添うということも提供している(3)。理論的には、全てが準備されている。現実には、空回りしている。

 信じられない事実だが、IUFM(Institut universitaire de Formation des Maîtres 教員養成大学院)の教育では、暴力の問題に関して一言も言わない。「私たちが授業で経験するだろうことに対して、何も準備されていない」、ある教育実習生は要約する。紛争の管理、青少年の心理学、集団力学?欠けている!いくつかの先進的な実験を除いては。例えば、アキテーヌのIUFMでは、教育実習生は極端な暴力の状況に置かれる。ある実習生は2人の生徒(実際には俳優だが)と対立する。「俳優たちは不安定な状況を一通り演じる。ここでは、紛争の状況が悪化し得ることを経験する」、別の実習生が説明する。

 「教師が紛争の解決について良く教育され、そしてその立場に立つときに、同僚が現実的な支援をしてくれれば、攻撃される機会は半分になるだろう。」、エリック・デバルビユーは支持する。連鎖の反対側で、精神疾患に苦しむ教師を治療するラ・ヴァリエール(イヴリーヌ)の精神病院の院長、リシャール・レクトマン、さらに進んで言う。「学校には、岩より硬い人間が必要だ。少しでも弱いところがあれば、生徒に悪用される。」と明確に述べる。この臨床医は学校で成人が決定的に不足していることも告発する。基本的なことは、権威を再建するためには、頭数を揃えなければならないということだ。教員組合はそれ以外のことを言わない。彼らはまた、父兄が自らの責任を引き受けるべきだとも言う。最近の2冊の本が、親の権威の復権を称賛している。「子供たちに限度を決めることが、彼らの成長を可能にする」と精神分析家クロード・ハルモスは説明する(5)。「それが子供を尊重する方法だ。」 同じ警鐘は精神科医フィリップ・ジャメからも出されている。彼は、大人が子供に対する地位を保つことの緊急性を呼びかける(6)。

 学校教育社会学者は、それほど深刻ではない。父兄はあらゆることに責任を持たない。教育困難校での暴力?それは社会的排除、学校での挫折という侮辱、いつも最後尾にいるという欲求不満から来るものだ。そこで教師は、この嘘の社会、彼らを誰も行きたがらない地区に閉じ込めておいて、機会の平等についての演説を売り物にする社会を体現している。パリ地区のあるZEPで文学教師を務める、33歳のヴェロニック・ブズーは分析する、「彼らのゾーンに入ると、誰も彼らの仲間に入らない、彼らのようには物を見ない、そして彼らが断固として拒否する知識を押し付ける。」 パリの家具つきホテルで兄弟姉妹とともに暮らす、母親がエイズでしにかけているような、見捨てられた子供に、どうやってヴォルテールを教えるのか?家族が住居を追い出されて外で寝泊りするような少年に、どうやってピタゴラスの定理を伝えるのか?「私たちは毎日、別の形の暴力を受けている」、パリ、テオフィル・ゴティエ職業高校の数理科学教師、クリスティーヌ・ゲスナールは認める。痛ましい二つの事例を経験した。「我々が軽減することのできない社会的悲惨に直面させられるという暴力だ。」

CAROLINE BRIZARD



出典

LE NOUVEL OBSERVATEUR 2259 21-27 FÉVRIER 2008

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2259/articles/a367043-profs_au_bord_de_la_crise_de_nerfs.html


前回のエントリーで、「数回に分けて」と予告していましたが、2回で終わることになりました。申し訳ありません。

フランスの学校における暴力に関する、今回の特集をまとめておきます。

暴力に脅かされるフランスの教員【序】「平手打ち」事件について

暴力に脅かされるフランスの教員【1】数字と巨大な軋轢

暴力に脅かされるフランスの教員【2】暴力の実情(1)

暴力に脅かされるフランスの教員【3】暴力の実情(2) (今回)



今回のシリーズの最初、 暴力に脅かされるフランスの教員【序】「平手打ち」事件について  に対して、村野瀬玲奈 さんから頂いたコメントの一部を紹介します。


・・・教育の問題は、息の長い取り組みですし、結果がすぐに出るわけではありませんから、言葉や文化が違っても、他国で起こっていることもすべて参考にすることができると思います。イギリス、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、フランス、ドイツ、あらゆる国の取り組みが失敗例であれ成功例であれ参考になるはずです。 ・・・

今回は、フランスの教育の失敗例についての紹介になってしまったような気がしますが、暴力に対して教師と親が協力して立ち向かうなど、少しは参考になることもあるかと思います。

教育に限らず日本の為政者には、他国の成功にも失敗にも学ばず、失敗したものを猿真似して、それほどひどくなかった制度を破綻させるという、ダブルスタンダードに支えられた特徴があります。既に失敗に終わったニュージーランドの郵政民営化、極端な医療費抑制策により崩壊した英国医療、これも同じく失敗に終わって立て直しに懸命なサッチャー後の英国の公教育、サービス業化して私企業の餌食となったアメリカの公教育・・・ そして、フィンランド等の成功例には、決して学ぼうとしません。

フランスの教育がサルコジ「改革」によって仮に破滅に追いやられたとしたら、日本の政治家が猿真似しようとするのではないでしょうか。(ただし、欧州諸国の正当な学費という事実は無視して日本の法外な高学費を放置したまま)