子供の出す音に不寛容な社会―少子化は望み? | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

日本のニュースをフランス語で紹介するサイト、Aujourd'hui le Japon  (今日の日本)は、時々、日本でも知られていない日本の記事が載っていたりして、時々このブログでも引用させていただいています。最近では、鳩山邦夫が、絞首刑に代わる死刑執行方法が必要と発言したらしい  で記事を使わせていただきました。

先日、別の面白い記事を見つけました。


『子供:騒音公害』

Enfants: les nuisances sonores

le 24/10/2007 à 10h49 par Jean-Paul Porret

日本の都市では、子供が休み時間や公園で出す音に対して、次第に多くの住民が苦情を訴えている。社会的合意の国では、市町村の役所がしばしば「公共の秩序に関するトラブル」を終わらせるために介入することを強いられている。


日刊紙『讀賣新聞』は、73の都市を調査し、48の都市で子供の騒音に苛立つ住民からの苦情を受けている、という結果を発表した。

例えば、7月にある市では、近隣住民が水の中ではしゃぐ子供が出す騒音に対して苦情を訴えるという理由で公園の中の噴水を止めた。

別の公共の公園では住民が、全ての未来のサッカー選手がボールを跳ね返すパートナーとして公園の金網を使っているという事実に苦情を訴えた。近隣順民の怒りに対して、市は公園の使用者に対して公園の門に向かってサッカーをすることは禁止されていると呼びかける看板を設置することを強いられた・・・

しかし公園だけが対立の場ではない。学校にも容赦はない。
どんな口実でも、苦情を訴えるのに十分だ。窓を開けて体育館での音楽演奏会、野球の試合・・・運動場の近隣住民の一部は、ボールがバットに当たる時に出る音にさえ文句を言う。

別の学校は、野球の試合の時に、生徒がお互いに励まし合うのを禁止することを強いられた。

保育園と保育士もまた、近隣住民の激怒を蒙らなければならない。多くの保育園で、窓は常に閉めたままにされ、付き添い者は命令として一切声を大きくすることを警告される。

一方でこの報告は、よりうるさくなったのが子供なのか、あるいは寛容でなくなったのが近隣住民なのかを明らかにしていない。それがどうであれ、出生率の低下によって、この問題は結局それ自身で解決されるに違いない。

http://www.aujourdhuilejapon.com/article.asp?IdArticle=2119




念のため補足しておくと、「噴水」の事例は、最初から民家が建っている土地の横に後からできた広い公園で、わざわざその民家の近くに噴水を設置したために起きたトラブルであり、住民側を一方的に非難すべきではありません。

しかし、一般的に「公園が近くにあって環境が良い」などと思って、あるいは不動産屋のそういう宣伝に惹かれて公園の近くに、後から引っ越してきながら、公園で遊ぶ子供がうるさいという大人が多いことは事実です。実際、私の家の近所でもそのような事例はあります。

学校にしても保育園にしても、後から住んできて文句を言うのは筋違いでしょう。しかし、その筋違いが通ってしまうのが、子供嫌いな日本社会の現実です。その一方で、学校に理不尽な要求をするバカ親、その子供であるクソガキが増えているのも現実です。先に親があるから、子があるのですが。


こういう記事をフランス語圏の人がどれだけ読んでいるか知りませんが、日本に対してどういう印象を抱くでしょうか。日本というのは、死刑制度がある野蛮国で、子供には不寛容。実際そうだから仕方ありません。


二児の親という立場で言わせてもらえば、日本人は実は心の底から少子化を望んでいるように思えます。特に、子供が小さくてベビーカーに乗せていた頃の、バリアフリーどころかバリアフルな街の構造、バスの運転手の態度(ベビーカーを抱えて乗ると急発進、特に都バス)、デパートのエレベーターで乗り合わせた他の客の挙動(満員でも無理矢理乗り込んでくるため、非常に危険)などを思い出します。また、東京23区でも平均年齢の高い区で見かける、一部高齢者の態度などを見れば一目瞭然。この記事にあるように、子供の騒音という問題は、いずれ必然的に解決するでしょう。否応なく。


この記事のタイトル、「・・・少子化は望み?」は、Jean-Jacques Goldmanの歌、『赤ちゃんは望み』(原題:Fais des bébés)から取りました。



Fais des bébés 88



本文とは関係ないですが、この歌の最後の方、


Tu leur diras jamais qu'y a des guerres qui sont saintes

que la raison d'Etat efface des cris et des plaintes

(聖なる戦争があるなんて、決して言うな

国家の意思は叫びも訴えも潰してしまうから)


これは忘れてはいけないことですね。