四国村
日本の江戸時代から明治時代の民家を中心とする、古建築をテーマとする博物館。
建物は、四国各県と兵庫県から移築・復元。
《集落の共同施設・藩の施設》
四国村石舟のアーチ橋 綾歌郡国分寺町新名石舟
金毘羅街道に架かっていた橋の材料を移設、復元。
潟元消防組第四部新馬場消防屯所
警鐘台
もと護衛空母「しまね丸」の無線マストだったもの。
「志度町消防団 鴨庄台部屯所」前にあったのを移設。
しまね丸は、全長160.5メートル、幅20メートル、排水量20.469トン、速力18.5ノットの大型油槽船で、飛行甲板を取り付けて対潜哨戒機の発着を可能とした民間籍(石原汽船)の空母であった。
船団に加わり、自ら油を運びつつ護衛空母も兼ねようというもの。九三式中間練習機12機が搭載可能であった。
昭和20年2月28日、神戸の川崎重工で完成後、使用の機会の無いまま同年4月3日志度湾の長浜沖に隠された。
このころから本格的な連合軍の空襲が始まり、7月4日は高松空襲、次いで7月27日にしまね丸は4隻の英空母艦載機の集中攻撃を受け二つに折れ沈没した。
昭和23年、現場で解体されることとなり、その際、地元・志度町の有志が貰い受け警鐘台として活用してきたものである。
出典:http://ki43.on.coocan.jp/injapan/heiki/simane/simane.html
警鐘台下方部には、弾痕が見られるらしい。
もう一度、見に行かねば・・・。
屋島中町新馬場に所在した消防車庫
向かって右側;小豆島北浦村の石蔵
旧丸亀藩斥候番所 三豊郡箕浦
讃岐と伊予の境には、二つの番所が置かれていた。
その一つ。地元民の詰めていた番所。
火の見櫓
旧丸亀藩御用蔵 香川県丸亀市通町
海鼠壁なまこかべ
この盛り上がった漆喰の形状(白色)が海に住む海鼠(なまこ)に似ているから名づけられたと言われています。
雨に弱い土壁の表面に、防湿のために平瓦(黒色)を並べて貼り、その目地を漆喰(白色)で厚く塗ることで耐久性も高まり、長い年月の風雨に耐える造りになっています。
火災の延焼も防ぐ目的もあります。
この建物は、もともと京極藩御用の米蔵でした。
江戸後期の建築であると推定されます。 現在は資料館として使用しています。
小豆島農村歌舞伎舞台
《 その他施設 》
かずら橋
サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使って架けられた原始的な吊り橋。
平家の落人村としても知られる、
徳島県三好市西祖谷山村善徳にある、
祖谷のかずら橋。
出典:Wikipedia
本日は、手ぶらで来ました。
ポケットには、財布・鍵・携帯・ハンカチ・ティッシュが入っております。
先ほど、ズボンの紐を引っ張ってしまい、抜けてしまいました。
色々、重要な物を 落としてしまうかもしれないので、はしは渡りません。(真ん中も渡りません。)
廻り道します。
橋は渡らず、反対側の様子を見に行きます。
うーーーむ。
…見てもわからぬ 安全性。
民謡で…
『ゆらゆら揺れど 主と手をひきや こわくない』
と唄われるように、いつも揺れているらしい。
《 石の芸術 》
香川県は庵治石をはじめとする石の産地です。
墓石、石碑、石畳、彫刻、さまざまなものや場所に使われています。
四国村でも、多く目にすると思います。
染が滝、流れ坂他は、石彫家、流政之氏の作品です。
染が滝
明治、大正期の石(民家の基礎に使われていた)を多く用いています。
『 慌てずに 耳を澄ませて 目的地 』
短歌でもないし… 季語がないので俳句でもないし、標語でもないのよ。
何がいいたいのさ
迷ったのよ。地図持ってるのに迷ったのよ。
何度来れば覚えるのさ
ふふ… さあね。
出口
異人館 神戸市生田区北野町
日本郵船(株)の船員寮として改造、使用されていました。
現在、ティーハウスとして利用されています。
ポスト ロンドン西南部チェルシーより
わら家(村外。隣接地)
まずは、ここが出発点でしょ。
ぶっかけうどん(温)
以前は、天ぷら盛り合わせだけだったのに…
天ぷらうどんがあるじゃないかっ!!
① わら家(階段下)
② 四国村出口
③ 四国村入り口
水仙・梅・桜・チューリップ・あじさい・睡蓮…四国村は、季節の花が美しい。
一番花の多い季節は、春なんですって。
次は、桜とチューリップかな
また、来なくっちゃ。
☆ ぶらり四国村
☆ 続 四国村