「4-2-3-1」サッカーを戦術から理解する
杉山茂樹・著
を読んでいる。
日本初の布陣の教科書。全ての答えは“布陣”にある。と銘打ってはいるが、読んでみて思ったのは、江戸時代に議論された軍学に通じるのではないかということ。とうの軍学は、平和な江戸時代に活発な議論が交わされたものの幕末期になると衰退し、歴史のなかに埋もれていった。いまじゃ、知る人は歴史学者か戦術研究家くらいだろう。
軍学とは、大雑把にいえば、戦国時代の様々な合戦で使用された陣形図などをもとにシュミレートしたものだ。
で、「4-2-3-1」サッカーを戦術から理解する、では、様々なフォーメーションが図解でしめされていた。
サッカーのフォーメーションの特徴は、三角形かV字型などに集約される。軍学的に言えば、鶴翼か魚鱗などに分けられる。
この本では、日本代表の布陣に問題があるとしている。
そこで思ったのだが、日本人の指導者に江戸時代に著名だった甲州流、山鹿流などの軍学書を読ませてみるのひとつではないのか。
案外、日本オリジナルのフォーメーションができるのではないかと思うのだが。
とくにサイドからの攻撃の重要性が見て取れる。これは、現代サッカーに通じるところがある。
例えば、桶狭間の戦いは、前線と中盤が空きすぎたことにより織田信長のサイドからによる速攻にやられた。
また、姉川の戦いでは、徳川・織田連合軍と浅井・朝倉連合軍が正面でぶつかり合っているときに、朝倉軍が徐々に織田軍を圧倒し始めた。そこで家康は、徳川軍の左翼(だたっかは?)部隊を精強といわれた朝倉軍へサイド攻撃をかけ切り崩しに成功し、勝利に導いた。
さらに川中島の第四回戦では、武田信玄が合戦中に戦術転換をはかっていた。
当初は、妻女山から降りてくる上杉勢をたたくため魚鱗の陣を布いていた。サッカー風にいえば、3-4-3厳密に言えば、4-2-3-1的な布陣をとっていた。
しかし、突如の上杉勢の襲来に急遽4-4-2へ変更。それも06~07シーズンのCLでPSVvsアーセナル戦でPSVがとったFWを完全に引っ込ませた形にして、両サイドがあがる布陣に。鶴翼型に変更したのだ。鶴翼は、攻撃してくる相手に包囲し殲滅するところがある。相手のいいところを潰すという効果があるものの薄い中央が突破される危険性をはらんでいた。
事実、川中島決戦では、手薄になった信玄本陣を単騎で切り込んできた謙信が、信玄と一騎打ち(史実かどうかは?)を展開するという事態になった。が、多くの重臣たちの犠牲のもとなんとかしのいだ。
一方、謙信の戦い方は車がかりの陣で切り崩そうとした。この車かがりの陣はいまだにはっきりしたものはないのだが、謙信を軸に円形型でくるくると回転していたといわれている。
ただ、サッカーのフォーメーション的に言えばオランダ型といえる。つまり前線に攻撃の人数をさいた3-4-3。日韓ワールドカップでセンセーションを巻き起こしたヒディンクのフォーメーションだ。攻守が一体となった戦いで武田勢を圧倒したが、別働隊あえてサッカー風にいえば、ベンチ入りのメンバーが加入し試合の流れを変えたともいえる。
このときの上杉勢は、交代枠を使い切ったことから後退したといえるだろう。
そんなこんなで、意外と戦国時代の陣形といまのサッカーの陣形は共通する点が多いと思うのだが。