この前の本の続き。
サッカーは布陣でするものではない、と言うがそうではないと思う。と著者は言う。
しかし、私は選手あっての布陣だと思うしフォーメーションだと思う。
たとえば、攻撃を重視した布陣にしたいと、それなりの布陣を考えたとする。ところが、日本の場合、他国と違って非常に偏っている。とくに中央に人材が豊富にいる。しかし、FWは、DFは、GKは、というと数が知れている。
世界レベルの選手を並べたと思っても、格差は歴然としている。
そもそも、著者もそこに触れてはいるが、はっきり言ってしまえば、監督の戦術を理解できる人、いわゆる十を聞いて百を知る、選手が欧州や南米に大勢いるのだ。しかし、日本の場合は・・・。である。
だから、欧州と日本を比べるのはまだ50年ほど早いのではないかと思うのだ。
それに選手の質という問題でもまだ比べるのは早いと思う。著者は、中盤に偏っている人材を把握した上で構成や育成をしていくべきだ。としているが、結局のところ日本のスタイルは、攻撃よりも守備重視のイタリア式でしか機能しないのが現実だと思う。
オランダ式にしても欧州や日本のどの監督がやってきても日本の場合は日本人という特性からか守備重視にならざるを得ないのだ。守備からの攻撃というものだ。
攻撃にシフトチェンジすればするほど守備が崩壊する傾向にあるのが日本の現実。さらに左サイドの人材不足はいかんともしがたい状況だ。
「4-2-3-1」ではそこがはっきりと明言されていない。
結局のところ選手自身が問題点を自覚し、自分達で分析し克服していかないと意味がないのだ。
ただし、日本の躍進は確かにほめられるべき健闘だ。でも欧州からは「なにを贅沢をいっているのだ、プロリーグが誕生して僅か15年で3大会も出られること自体すばらしいことだ」と言われている。
たとえそれが含みがあるものだとしても、確かに驚異的な飛躍であることは確かだ。しかし、それは、はっきり言ってしまえば、選手たちがまだ国際レベルに達していないのに戦術での監督批判は、いかがなものかと思うのだが。
私はそこまでいっていない選手たちを起用してW杯に出場させたトルシエやジーコをあえて評価したいと思うのだ。
それに私は、安易に監督批判を展開する風潮には、異議を唱えたい。そもそも、選手が国際レベルまでに達しているとは言えない状況で批判するのはいかがなものかと・・・。
たしかに監督批判すべきときもあるが、そもそも絶好機にシュートミスをする現状、またパスをしてしまう現状などなど監督批判する以前の選手たちの問題が横たわっているのだ。それは監督批判、戦術批判してもかいけつするものでもない。
ようは選手自身の問題だと思うのだ。ジーコがいっていたプロとしての“自覚”である。