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想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

何でも書こう
 (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性、)(哲学思想)(政治経済)などなど、

このように、我が国が皇道の原理に当てはまった国体を保持し、その中心に天皇を戴き、天皇の率先的言動に国民が一丸となって応じる、いわゆる師資相乗(ししそうじょう)道議国家を形成して来たことにこそ、我が国の二千年以上にわたる歴史の尊さがあるのであり、またそこにこそ、天皇の大いなる存在意義があるのであります。


しかし、一体、現代の日本人は中国のこの状態を笑い、自国のかってのこの歴史を誇ることができるのでしょうか。


私はそうは思いません。私はむしろ逆に、我が国は今や、過去幾度か訪れた国家存亡の危機に直面していると考えておるのであります。


戦後われわれは日本国憲法を始め、幾多の西欧民主主義的諸制度の下で二十有余年(昭和40年初期の頃のこと)を過ごしてまいりました。


国民の多くは物質的に満たされ、中には戦前の諸制度がすべて欺瞞に満ちたものであり、今や我が国は、進んだ西欧の文化を採り入れたのだと主張する者すらおるのであります。


だが、果たして統貫史的法に基ずく建国の理想に向かって再び大きく歩み出したのでしょうか。


残念ながら、如何に経済的に発展しようとも、豊かな精神文化の根付いた国家とは程遠い状況であると言わざるを得ません。


それは言うまでもなく、、、続く


本来、国会議員の使命は 国民に成り代わって『住みよい社会環境を国民に提供すべく、邁進すること』では、ないでしょうか。

では、住みよい社会 とは何か。

外交・防衛を確立した国家運営と 国民が生活に於いて、幸福感を感じることが出来る社会環境造り。

また、これが、党利党略を越えた国会議員の 共通の目標でしょう。

その目標に向かって、各政党が切磋琢磨することが、政党政治。 しかし、手段が目標に成りがちが目立つ。

新体制を運営するに当たって、根っこの部分を 明確に 再認識して 住みよい社会を 造って欲しいと お願いしたいです。

根っこの部分とは、勿論,家族、伝統、文化など日本社会、先祖伝来の日本国の国体。



永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案、選択的夫婦別姓を可能にする民法改正案、人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)-の3法案 断固阻止すべき。


  

これに対して我が国は、少なくとも戦前までは、中心人格たる天皇を戴き、『異なりを認めながら一つを自覚する』社会を建国の理想、社会正義として、その具現化への絶ゆ間ぬ努力の道を歩んで来たのであります。


だから、我が国の二千有余の歴史の尊さは、決して、その歴史の長さや伝統にあるのではなく、この宇宙自然の原理に最もよく当てはまった国体を保持して来たこと、及び中心人格としての天皇を戴いて来たことにあるのであります。


確かに、我が国とてこの原理を二千年以上にわたって常に具現化していた訳ではありません。


例えば、上宮太子の時代はまさに国家分断の一大危機のただ中にありました。しかし推古天皇は上宮太子が上梓した『推古憲法』によって、武力に拠らずにこの原理への回帰と天皇への中心帰一を訴えました。


もしこの時、一見無力な天皇がいなければわが国はどうなっていたでしょうか。恐らく、我が国は曽我氏と物部氏を二大勢力とする二つの国に分かれ、その両国に他国が干渉することによって宗教戦争は凄惨を極め、ついには両国とも滅亡の途を辿っていったはずであります。


また明治天皇の時代は亜細亜が欧米列強による植民地と化し、中国は既に分裂国家に成りはてていたのであります。


残るは我が国と韓国など数カ国のみでありました。明治天皇は『誓文五ケ条』や『教育勅語』によって、日本国民が一丸となって欧米による植民地化の危機から国の独立を守ることを饗導(きょうどう)致しました。


もしこの時、公平無視なる立場の天皇が詔を発していなければ、我が国はどうなっていたでしょうか。当然、各藩の抗争に列強が干渉し、中国の如く分断国家となるか、ハワイの如く完全に一国の統治領となっていたことは火を見るより明らかであります。


このように、我が国が皇道の原理、、、、続く

これを国家的規模で申しますなれば、第一に天皇を持つこと、第二に上下本末を自覚したる社会、則ち、共通の基盤を形成すること、第三に建国の理想を持ち、天皇がそれを時に応じて、自らの名に於いて具体化することであります。

ここで最も重要な役割を果たすのが中心人格たる天皇であります。

中心人格とは、一つの集まりに於いて、超権力・超党派、則ち、唯一公平無私なる立場に立ち、その人格の高さとそれに由来する確かな判断力に於いてのみ仰慕心服される存在なのです。

またそれは、こうした役割を担うが故に、最も自由や権利のない存在であり、それ故にまた、権力を用いず前進全霊を賭けたその言動によって下の者を納得させ、その情理を整え、以て上下心を一つにして、目標実現に一丸となって行動することを可能ならしめる扇の要、  十六紋菊の中心点なのであります。

従って、中心人格は、力による序列に於ける頂点としての支配者ではないのであります。

この、一見無力なる天皇がなかりせば、国民は自由主義・個人主義・利己主義に走り、人間機械化への途、衰滅への途を辿るのです。

また逆に、それを防ごうとして、個人の権利を否定したる社会主義・全体主義に走り、一層、衰滅への歩みを速めるのであります。

無論、自由主義や社会主義は生活体系に於ける方便であり、それ自体が悪いと言うのではありません。

しかし、問題は、この生活体系に於ける方便をもって、生活体系に於ける人と人との結合原理であると考えたところに間違いがあったのであります。

単なる利害の調整や物資の充実のみを根本目標に据えて、その上に立った共同社会、その上に立った民族結合を求めたところに間違いがあったのであります。

これに対して我が国は    続く

最後にもう一度もうしあげます。

皇道の原理は、『積慶(せっけい)』 『重暉(ちょうき)』『養生(ようせい)』  であります。

それは『異なりを認めながら一つを自覚する』ことに尽きるのであります。

これは宇宙自然を貫く原理である『我無くして枯れ無し、枯れ無くして我無し』の真実相に即して生きることであります。

則ち、宇宙自然の中の全てのものが、互いに独立してそれぞれの役割を果たしながらも一つの宇宙、一つの生命を構成しているように、人格体である我々人間もこの原理に則して生きるなれば発展し、この原理に即さずば衰滅するという事であります。

従って、私が言う生命発展衰滅の法則とは、外ならぬこの『異なりを認めながら一つを自覚する』ことを言い換えたものなのであります。

では、この原理に即すにはどうすれば良いのか、人格体としての人間が人らしく生き、共存共栄を持続させるにはどうすれば良いのか。

それは第一に中心人格を持つこと、第二は上下本末を自覚して時処位に即すること、第三に共通の目標を持つことであります。

これを国家的規模で申しますれば、,、、、続く    
    昭和天皇は生まれながらにして天皇であられた。
私心というものがなく、いつも我が国の繁栄と国民の安寧を御心にかけておられた御方である。


台風や地震で災害を蒙った県知事などが上京すると必ず皇居に呼び、被害の状況や復興の様子をお訊ねになった。
大東亜戦争で戦死した兵士やその遺族に対する敬意を忘れず、靖国神社親拝の御意向を隠れになるまで持ち続けられた。

戦後、御自ら全国巡幸を発表された。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-733.html




byねずきちのひとりごと  
このような意識に恵まれた共同運命の自覚の故に、我々日本人は、一見多種多様な偉人の功績や教えを、自分とは塩もゆかりもない天上人の教えとしてではなく、かって生きた親や兄の教えとして受け容れることができたのです。

だから、そうした教えを単なる理想論に終わらせず、親や兄達の後を継いで生まれ出る子供達への教訓と理解し、それを実行することができたのであります。

斯くして、日本人は先人の教えを、血の繋がりを持つ偉人達が教えてくれた民族の大なる道として、実践することができたのであります。

なるほど、中国でも多くの優れたる者を輩出致しました。そこには孔子あり老子あり、時には関羽あり張飛あり。中国はこのような偉大な先輩を崇めました。

また、こうした偉人を我等の先祖として祀る『祭祀』の週間もあり、幾多の偉大な先輩の教えを『祖道』として崇拝することも確かにありました。

しかし、それは飽くまで一般国民とは乖離した、優秀なる故人の道、聖者達人の道として崇拝されたに過ぎなかった。国民全体がそうした偉人達との血の繋がりを意識することはなかった。

だからこそ、そこから民族としての『斯くあるべし』を導き出すことがついにできなかったのであります。

もう一度もうします。中国は王道という素晴らしき統治理念を打ち立てた。しかしながら、それを実現することはついになかった。統治は説いたが大孝を忠と成すことができなかった。

それは血統本流としての天皇を持たなかったからだ。だから、共同運命の自覚という基盤なき礼楽も、ついに持続性を持つにはいたらなかった。

また名分も、道統の師表である天皇を持たなかった国には、これも観念的理想に終わり、事実原理としては成り立たなかったのであります。

王道と皇道とは何等の差異もないが、我々は、王道が皇道に来たってこそ、現実社会の具体的指導原理と成り得たところに、我が日本の国の国体のあるべき姿を再認識しなければならんのであります。   
 先に申しましたように、集団指導の如き会社に於いて、どうして分相応がありましょうか。そこにはやはり中心人格たる社長がいる。その社長人格に照らして己の身分を考えるという立場であってこそ、名分が成り立つのであります。

たとえ民主主義と言えども、精神文化の中心を持たずしては、これを行うことはできないのであります。

また第二に、中国が王道を具現化し得なかった歴史的な理由は、単に国家の中心人格としての天皇を持たなかっただけではありません。実は、血統本流としての天皇を持たなかったことであります。

またその血統本流の源たる原始共同体祖先としての天照大神を持たなかったことであります。

我が国に於いては、天皇が我々国民の血統上の祖先であり、天皇の血統上の祖先が天照大神だという意識があります。

日本人が国家を一大家族社会と見なし、共同運命を自覚することができた根本的原因は、まさにこの意識にあるのであり、この意識に基づく国家建設が、実に二千有余年にとぎれのない歩みとなっておるのであります。

勿論これは、民族意識という、理屈や科学を越えた、国の始まりに対する考え方であって、元より科学的証明に馴染むものではありません。

従って、ここで言う天照大神は、実在した神という意味ではなく、日本人が自らの源を、仮に、『天照大神』と呼び慣わして来たという事を述べているのであります。

このように   続く

   
ところが、中国は歴史上その統治理念である王道を一度として具現化し得なかったのであります。

我が国では、家族の理念である孝が、直接の血縁関係を超越して、親である天皇に対する国民の孝、則ち、『大孝』へ至り、『忠』へと結実した。曰く、『孝、野にあって忠』を実現し得たのに対し、中国ではそれができなかった。

孔子の徳治主義と言えども、残念ながら理念にとどまり、現実としての社会規範には成らなかった。

従って、王道の華である礼楽は言うまでもなく、時処位に即する名分に致しましても、長年の歴史伝統に培われた血の本源的要素として確立されることはついに無かったのであります。

では、中国は何故、王道を具現化することができなかったのでしょうか。

それは先ず第一に、中国は国家の中心人格としての天皇を持たなかったからであります。

確かに、中国においても一時的に有徳なる支配者が現れた時期はありました。しかし、世の中が乱れるたびに支配者が力によって打倒されることを『革命』と称して正当化し、新たな支配者の下で一から社会的基盤を作り上げていかねばならない国に於いて、どうして孝が忠にまで至れるのでしょうか。

どうして、天皇のような歴史的一貫性のある中心人格が持てるのでしょうか。

しかも、革命期の荒廃した状況を建て直すために、民衆は経済復興に全精力を傾けますので、どうしても物質的繁栄に目を奪われて、生命結合としての真の幸福には目が向かないのが現実なのであります。

従って、国家建設の歴史が寸断されて来た中国に於いては、人らしく生きる規範としての礼楽もまた、国民の切なる願いとして、持続性、永続性を持ったものにはなり得なかったのであります。

またさらに、時処位に帰来し各々が名分を自覚すると言いましても、お互いがお互いの意見を吐き合うという立場を採りましても、それが体系化へ至るためには、どうしてもそこに中心人格が必要である。天皇を持つ必要がある。

この中心人格あってこそ、民主主義が民主主義として成り立つのであります。

先に申しましたように、、、、   続く
この『皇道の原理』をもう少し詳しく申しますと、先ず、『積慶(せっけい)』とは『生活の安寧』であります。

その時々に合わせた経済の仕組みを採って、万民に物資面での充足を計ろうという事であります。資本主義や集産主義等といった経済体制は、まさにこの原理の下にあるのであります。

次に『重暉(ちょうき)』とは、人としてその精神文化の豊かさであります。則ち、単なる物質生活の充足だけでなく、生き甲斐のある人生を歩めるように、家族に於いては親子が共に暮らす中での幸福を、会社に於いては仕事を通じての喜びを得られるようにという事であります。

また 『 養生(ようせい)』とは、それは正義・秩序の一貫であります。則ち、『積慶』『重暉』の両面に成り立たせるためには、お互いが共同運命を自覚しなければならない。そのために、上下本末を自覚し、治処位に則して生きることを正義とするよう、国家の姿、国家の形を整えて行こうという事であります。

以上のように、『積慶(せっけい)  重暉(ちょうき)  養生(ようせい)』、 生活の安寧、精神文化、正義・秩序の上に立ったものを、これを『皇道』 と言うのであります。

このように見てまいりますと、言葉や組み合わせこそ違え、王道と皇道は異なる内容を教えるものではありません。

東洋の思想は、所詮は違ったものではないのであります。しかし、皇道の方が王道よりも、より具体的で積極的で在ります。