生命結合としての人間 | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

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前項からの続き

しかしながら、人間である限り、政治的自由のみを以て満足のおく訳がなかった。
また、経済的平等だけを以て満足のいく訳がなかった。
結果として、政治的自由に対して、経済的平等が要求され、経済的平等に対しては政治的自由が要求されることになったのです。

それは言を換えれば、この両者が忘れ去っていた生命体系に於ける共同体意識の形成、即ち共同運命の自覚を、互いに相手のやり方を採り入れる事によって回復しようとする動きだったのです。

両者が、相接近する結果となったのは、自由主義と社会主義が共に、生命結合の一面である生活体系の原理を告げる思想に過ぎなかったからです。

しかし、自由が人格的自由、正義の裏付けを得た自由であってほしい。正義が自由な人間の諸活動によって実現される正義であってほしい。と願うことは、両者の当然の心境ですが、生命結合、とりわけ生命体系の側面を無視した思想である限りは、自由主義と社会主義が、いくら接近しても、生活体系を以て生命体系の充足を得ようとするという間違いを解消することは不可能なのであります。



東洋的一元生命に基づく道議国家