2025年2月第3週
2/16(日) 46.2km
[大会]高知龍馬マラソン
レース 42.2km
2:52:32 avg4:05/km
01-05km 19:58 avg3:59/km
06-10km 20:19 avg4:03/km
11-15km 20:08 avg4:01/km
16-20km 20:29 avg4:05/km
21-25km 20:24 avg4:04/km
26-30km 20:30 avg4:06/km
31-35km 20:29 avg4:05/km
36-40km 20:42 avg4:08/km
41-42.195km 9:33 avg4:21/km
リカバリーウォーク4km
2/17(月) 8km
[経過]
フルダメージ(股関節痛、大腿筋痛、腓腹筋痛)あり。博多での新幹線待ちの間に散策リカバリーウォーク。
2/18(火) 8.2km
18:35スタート晴れ5℃西風強
ウォーク avg8:31/km
[経過]
朝は休養優先、昼は仕事。フルダメージ(股関節痛、大腿筋痛、腓腹筋痛)あり。あと足指と足底アーチの上部分が両方とも痛い。
2/19(水) 7km
18:38スタート晴れ4℃西風やや強
ウォーク avg8:28/km
[経過]
体調面はきのうに同じ。
2/20(木) 9.5km
18:28スタート晴れ9℃
ジョグ avg5:19/km
[経過]
フルダメージは若干残るも走れるまでに回復。朝は休養優先で走らず、昼は仕事で走れず。ラン後自宅近くで火災発生し現場まで走っていき消火活動。往復1.4km。
2/21(金) 12.5km
[昼]4.4km
12:14スタート晴れ7℃西風やや強
ウォーク avg8:14/km
[夕]8.1km
18:34スタート晴れ6℃西風やや強
ジョグ avg5:21/km
[経過]
フルダメージほぼ抜ける。朝は休養優先で走らず。
2/22(土) 26.1km
[朝]14.4km
8:52スタート晴れ-1℃西・北風強
ジョグ avg5:00/km
[夕]11.7km
17:47スタート晴れ6℃西・北風強
ジョグ3.6km→インターバル2.5km→ジョグ5.6km
インターバル2.5km
設定 3:30/km
計測 avg3:28/km(8:41)
500mごと
1:46.3(3:33)-1:44.4(3:29)-1:40.8(3:22)-1:46.4(3:33)-1:42.5(3:25)
[経過]
朝ランのみで20km到達したかったが、西・北風が強く心折れフェードアウト。夕ランは久しぶりのポイント練習。1/19から5週連続レースだったこともあり、その間一切ポイントは行っておらず、1/16以来約1か月ぶり。一昨日の火災現場対応で少し腰痛発生。
走行距離 117.5km
ランオフ なし
出場大会 1レース
この週は16日に高地龍馬マラソンに出場したので、そのダメージからのリカバリーでした
20日に火災の現場対応により、少し腰痛が発生してしまいました
これがこのまま治ればいいんですが、悪化すると困ります
話し変わって、高知龍馬マラソンに出場した際の観光レポートの第2弾です
今回は「土佐勤王党三志の像」「長宗我部元親初陣之像」です
高知城観光の後、土佐勤王党三志の像がある高知駅まで歩いて向かいました
土佐勤王党三志の像
高知駅前には、幕末の日本を動かした土佐の志士たちを称える「土佐勤王党三志の像」が堂々と立っています。この像は、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の三人をかたどったもので、土佐藩から日本の未来を変えようとした彼らの志が込められています。


この土佐勤王党からは、後に歴史に名を残す多くの人物が輩出され、その代表的な三人が武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎です。彼らの功績を称えるために建てられたのが、「土佐勤王党三志の像」です。
① 武市半平太 土佐勤王党の創設者

武市半平太(たけちはんぺいた)は、土佐勤王党を創設したリーダー的存在で、剣術の達人でもありました。土佐藩の厳しい身分制度のもと、下士の立場から藩政改革を目指しましたが、藩内の対立により弾圧を受け、1865年に切腹を命じられ、33歳で生涯を閉じました。
② 坂本龍馬 日本を変えた風雲児

坂本龍馬は、日本全国で最も有名な幕末の志士の一人。土佐勤王党には一時的に所属していましたが、やがて独自の考えを持ち、薩摩藩と長州藩を結びつけた「薩長同盟」を実現させました。さらに、日本初の商社「亀山社中(後の海援隊)」を設立し、新しい時代を見据えた活動を展開しました。
③ 中岡慎太郎 薩長同盟を支えた立役者

中岡慎太郎は、土佐勤王党に参加後、坂本龍馬と共に活動し、幕府を倒すための工作を進めました。薩長同盟の締結においては、坂本龍馬とともに重要な役割を果たし、倒幕への流れを決定づけました。しかし、龍馬と共に京都・近江屋で襲撃され、32歳の若さで命を落としました。
それから桂浜、龍馬記念館へ行こうとバス、電車について観光案内所に聞いたところ、その日はもうないとのことで、タクシーで行くことに
乗車したタクシーの運転手が親切な方で、高知のいろんなことや桂浜へ行く途中に「長宗我部元親初陣之像」があることを教えてくれ立ち寄りました
長宗我部元親初陣之像
高知市の若宮八幡宮には、戦国時代に土佐を統一し、四国全土を支配した長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の勇姿を刻んだ「長宗我部元親初陣之像」が堂々と建っています。



① 初陣の勇ましい姿を再現した迫力の銅像
この像は、元親の初陣である「長浜の戦い」(1560年)を再現したものです。元親は、父・長宗我部国親の命を受け、20歳のときにこの戦でデビューを果たしました。当時、元親は色白で華奢な体格だったため、「姫若子(ひめわこ)」と呼ばれ、家臣たちからも期待されていなかったそうです。しかし、戦場で見せた勇敢な戦いぶりにより、一気に家臣の信頼を勝ち取り、以後「鬼若子」と称されるようになったようです。
銅像では、甲冑を身にまとい、力強い元親の姿が表現されており、その躍動感は圧巻です。まるで戦場の緊張感が伝わってくるような迫力があり、見る者を戦国時代へと引き込んでくれます。
② 若宮八幡宮との関係
像が建てられている若宮八幡宮は、古くから武士たちの戦勝祈願の神社として知られているそうです。元親も初陣の際にここで戦勝を祈願したと伝えられており、土佐の歴史と深く結びついている場所です。
長宗我部元親の生涯と功績
① 土佐統一への道
元親は、父・国親の後を継ぎ、土佐の覇権を争う戦いに身を投じました。宿敵・本山氏や一条氏を撃破し、1575年には土佐国を完全に統一。このとき、独自の領国経営を進め、土佐を豊かな国へと発展させました。
② 四国制覇と天下への野望
1582年、元親はついに四国全土を掌握。戦国大名としての地位を確立し、次は天下を目指す野望を抱いていました。しかし、1585年、豊臣秀吉の四国攻めにより、わずか3ヶ月で降伏。以後は、土佐一国の大名として秀吉に仕えることになります。
③ 関ヶ原の戦いと長宗我部家の終焉
1590年の小田原征伐、1592年の朝鮮出兵など、元親は秀吉の命を受けて戦い続けました。しかし、1599年に病死。翌年の関ヶ原の戦いで、子の長宗我部盛親が西軍に与したため、戦後に領地を没収され、長宗我部家は滅亡しました。
おわり




































































































































