なんだかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜もーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

という毎日を送っています。

 

 

 

 

動きたくて仕方ないから動く

なんかイマイチ

 

 

 

 

と言うのが繰り返されていて、ゆっくり休むことができない質なんだなぁってしみじみ感じ入っています。

 

 

 

 

感覚としてね、自分の動きは細胞のリズムが整ったら自ずと動くとわかっていて。でも、我慢できない私が動いては「まだだった〜〜〜くっそー」と自分の太ももを拳で叩いているわけです。ガキかよ。

 

 

 

 

 

細胞のリズムで動く「からだ・こころ・ことば」が自然に連動する勝手に動いている状態

 

 

 

 

 

 

これを狙っているのですが、如何せん動きたがりbabyが発動して壁にぶつかって戻って来ています。今の「動きたい!」という状態は「勝手に動いている状態」ではないので、細胞のリズムは整っていないんですよね、残念ながら。

 

 

 

 

 

で、はたと氣付いたのですが、

 

 

 

 

 

 

選んでいる服、全部地味じゃね?

 

 

 

 

 

 

 

私がここ数年(海底2万マイル生活継続中)で好んでいる色は、墨黒・カーキ・グレー。この色は最近のブログにも書いた私が沈んで見える色たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この色を選んでいる時点で準備が整っていないんだということにですね、恥ずかしながらですね、5回くらい認識して氣づきました。

 

 

 

 

 

 

いや、地味な色を選んでいるから海底2万マイルにいたいんだなってことには氣付いていましたよ。5回くらい。でもそれがね、海底2万マイル生活=細胞のリズムを整える期間、ということに氣付いたのがさっきだったてことなんです。言い訳にもならねーくらい氣づくのおっそいんだよなーほんとマジで。

 

 

 

 

話がだいぶ逸れましたが、色ってとてもわかりやすい目安になるんだな〜って思ったわけです。

 

 

 

 

軽やかになりたいときは軽やかにさせてくれる色を、静かにゆったり過ごしたいときは沈ませてくれる色。

 

 

 

 

知らずに選んでいたりするので、自分の氣持ちと言動にギャップがあるときは身につける色で確認するとわかりやすいなって思って次第です。私はね。皆さんはどうなんだろ。

 

 

 

 

 

結局のところ、体を整えて待つしかねーんだなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年も昨年も愛用のスイカパンツ

これを履くときは少し浮上しているとき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

力が抜けていけばいくほど能の動きが感じられるようになる






体を動かすことから動かされている状態になると、意識的に使っていたら動かせないところが動くようになる





心と言葉の領域も同じ






それが、





プラマイゼロの向こうの
マイナスの世界






やっと磨りガラスの向こう側にあったものがちゃんと見えました👏






分からないけど分かるものが明確になる喜び












 

 

 

姪っ子の3歳の時の話です。

 
 
 
 
グラグラの紐にスン、、と腰をかけた姿に驚愕した弟から写真が送られて来ました。
 
 

 



 


「紐はグラグラするもの」という概念がないので、椅子に腰掛けるように座れるのでしょう。
 
 

てか、シンプルに「あ、座ろ」という意識のみがあるのでしょうね。






色々な情報は有益にもなるし概念となり邪魔をすることもあるけれど、それらを意識せず意識的に利用できるようにできるのが長く生きたものの特典ではあるかなと。



でも、新人類は新たな身体の使い方のアプリを搭載しているのだろうな…笑。いいなぁ。


楽をする

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怠けるとか横着するとかではなくて。




楽に、とは自然な流れで動けることを指しています。





それは、効率的に動けているということ。





無駄にエネルギーを費やさず、遣いたい時にちゃんと必要量エネルギーを注げる。





それが、楽な状態だと思っています。







この足みたいな


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『物を粗末に扱うことは自分を粗末に扱っていることになる』
 
 
 
 
ある方の投稿で読んで思い出した祖母のこと。物を粗末に扱うとよく窘められたなぁと。
 
 
 
 
 
鍋底(火のかかる方)を洗わないと、「あなたは(お手洗いで)用をたしたあとにお尻を拭かないんですか?!」
物をまたぐ/投げる人がいますか
静かに閉めなさい
 
 
 
 
などなど、あげたらきりがない。物を大事に扱うということは、その物に対してだけでなく自分への慈しみも含まれていると思います。大事に扱うことで所作に美しさとゆとりが生まれます。その動きは素早くてもがさつではない。

 
 
 
 
 
それは自分の動きに忠実ということなのかなと。
 
 
 
 
 
身体の動きに任せれば、自然と綺麗な立ち振る舞いになるような氣がします。負担やストレスがないので自分を慈しみ大切にしていることに繋がるんじゃないかしら、と。