街で小さな子供を見かけると、すごく不妊治療のモチベーションになる。偶然目があったら、にっこりしてみる。すると、期待して何度も何度も繰り返し見つめてくる、など何らかのリアクションが返ってくる。息子が小さかった頃を思い出し、もし、もう一人子供を産むことができたなら、一つ一つの成長をそばで見守ることができる、あのかけがえのない日々をもう一度経験できるんだな、と思うとなんて素晴らしいことだろうと思う。
ほぼ何もできない状態で生まれてくる人間の子供の成長は、見ているだけで面白い。例えば、子供が言葉を喋るようになるには少なくとも
・どの舌の動き、口の形でどの音が出るかを理解すること
・言葉とモノに一対一の関係があることを理解し、それを覚えること
の二つが必要だが、どちらがボトルネックになって発話までに一年を要するのだろうかと疑問に思った。そこで、ベビーサインという、手話を簡単にしたものを見せながら言葉で話しかけていると、息子は生後半年でベビーサインでほしいものを伝えてくるようになった。つまり、赤ちゃんは構音を自家薬籠中のものにするだいぶ前に、言葉の意味を理解し始めている。
息子が2歳半の頃、「数」という抽象的な概念を幼子にどう教えようか、と考えていた。専門書には「数唱は即ちそれが数の概念の獲得であるわけではない。ただの数唱行為の真似であることが多い。」と書いてあった。では、数の概念の獲得とは古来からどういうものであったか、どうやって子供がこれを獲得するか、などを調べ、息子とある遊びをしてみることにした。
動物のフィギュアを5体以上、離れた部屋に置いてくる。そして、こちらの部屋にケーキやおやつのおもちゃを沢山揃えておいて、「向こうの部屋で動物さんたちがパーティをするんだって。ケーキが必要だから、持って行きたいな。喧嘩しないようにケーキを準備しなきゃいけない。ちょっとパーティ会場を見てきてママに教えてくれる?コレにメモしてきて。」と紙とえんぴつを渡した。
そうすると、息子はてくてく向こうの部屋に歩いて行き、かなりの時間をかけて、フィギュアを描写して帰ってきた。絵の得意な息子は、紙にゾウやキリンやウサギらしき絵を描いて持って返ってきた。その紙を見ながら、2人で「ゾウさんのぶん、キリンさんのぶん、うさぎさんのぶん。、、、、」と一つずつお盆にケーキを乗せて持って行った。動物たちに「うまいぞう!」「美味しいわ!」とアテレコして遊ぶと息子は喜んでいた。こういったことを数日おきに動物の種類やシチュエーションを変え、何度も繰り返していた。そうすると、数週間後のある時、動物集会を見に行った息子が持って帰った紙には動物の絵は描かれていなかった。そこには動物と同じ数だけグリグリ塗りつぶされた丸が並んでいた。おそらく、毎度動物たちの絵を描いて持って帰るのが面倒になったのだろう。そして気付いたようだ。「動物をそのまま描かなくてもいいじゃん、動物さんのぶんだけ印を書いて持って帰ればお菓子は準備できる。」と。
「今あなたが紙に写してママに伝えようとしてくれたことは、『どれだけ動物がいるのか。』ということなんだよ。それは動物さんの『数』なんだよ。どれだけあるかっていうことを伝えるものが『数』なんだよ。」
と私は嬉しくなってハグしながら伝えた。
もしももしも、不妊治療によってもう1人子供を授かることができたなら、こういった子供の様々なブレイクスルーに、また一から立ち会えるということだな、と思うと、想像するだけで楽しくなる。