次の通院で、3日目に培養継続を決定した胚の顛末がわかる。一つも胚盤胞ができなかった、ということも充分ありうるのだが、
最悪の結果を聞いても平常心を保つにはどうしたらいいのか、を考えてしまう。
リプロダクションクリニック東京のブログ(2025.3.26)曰く、
「事前にイメージしておくとショックが軽減される」という考え方は、心理学的にはあまり支持されていません。
人呼んでホリエモン方式、「想定の範囲内です!!」は通用しないらしい。
では、他の方法を考えねばならぬ。
現代的な仏陀になるのはどうか。
仏陀は言った。(たぶんね)
「世界のあらゆる物事は、脳内現象に過ぎない。確かにあなたの前にあるスマホには、実体があるかもしれない。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんしかいない部屋にスマホを置いたところで、「スマホ」を「スマホとして(スマホの機能を持つものとして)」認識する人がいなければ、そこに「スマホ」は存在しない。そういう意味ではスマホもフリクションペンも机も箸も、「幻想」だと言えるわけだ。ところが人は目の前の事象をあまりにも実体と信じ過ぎている。だから、こだわり、振り回され、苦しむ。」
仏陀の境地にまで達するのは到底無理だが、仏陀の悟りはメタ認知の極地であるからにして、メタ認知、自己客観視というやつを行使すれば多少は楽になるかもしれない。
・「もう1人子供がいたら、より楽しいかもしれない。より一層人生の喜びが得られるかもしれない。」と思い込んでいるが、それは、幻想に過ぎないかもしれない。より多くの苦しみや葛藤をもたらすことだってある。
・2年前に2人目が欲しいと思い始めた私は、生物としての、種の保存という本能に振り回されているに過ぎない。線香花火の火の玉が、諦め悪くぶら下がっているように、私はホモ・サピエンスの一個体として、本能に従い、生殖機能を完全に失う前の最後の悪あがきをしているのだ。
メタ認知を試みた結果、例え、胚盤胞が一つもできていなかったとしても、「さもありなん、さもありなん。」と平常心を保てる、、、
ような気がしてきた。
そんでもって、銀座まで足を伸ばして、丸福珈琲店(ザ・パーラー)のモンブランでも腹に納めて帰れば完璧だ。
