前回からの、カルマの法則の続きです。
すべてはじぶんが用意した
わたしがきょう体験するものは、かつての人生にその原因があります。
わたしがきょう行うことは、来世におけるわたしの運命を形成します。
さまざまな境遇に生まれた原因は、いまの人生の中には存在しません。
いまの境遇の原因が、いまの人生にあるということはないのです。
原因は前世にあります。
人間は、じぶんの現在の運命を前世で用意したのです。
そんな話は受け入れたくない?
「カルマの法則は、人間を意気消沈させ、希望を取り上げるのではないか?」
というひとがいるかもしれません。
カルマの法則は、人生になぐさめを与える法則なのです。
原因のないものはない、というのが真実であるように、作用を引き起こさないものはない、というのも真実だからです。
私が貧しい家庭に生まれ、才能も乏しかったとしても、
「わたしが行うことは、作用を引き起こす。
わたしが勤勉に、道徳的に努力すれば、それは次の人生の歩みの中に、確かな作用を及ぼす。
じぶんの運命はじぶんが創り出したものだということが、わたしを落ち込ませるかもしれないけど、私は未来の運命を自分で築くことができる、という事実は、わたしの気持ちを高揚させる。」
と言うことができるのです。
この法則を、思考と感情の中に受け入れたひとは、どのような力と確かさを人生の中に得るかがわかります。
個々の出来事の中に、この法則を見抜くことは、それほど重要ではありません。
そのようなことは、霊視的認識の高次の段階になれば可能になります。
たいせつなことは、この法則の意味で世界を考察し、生きることなのです。
新しい取引をすれば、帳尻は変わってきます。
そのように、新しい行為は運命を変えるのです。
↑ここから抜粋しました。
なんの文句もつけようのない、納得のいく環境に生まれてくるひとは、わりと少ないんじゃないでしょうか。
それはあなたの前世の行いが・・・なんて言われたら、たいがいの人は反発するんじゃないかな。
ましてや子どもは親を選んで生まれてくるという、シンプルな法則を、素直に受け入れることは至難の業でしょう。
人のせいにできなくなるから。
すべては自分から発している。
そう考えると苦が眼前します。
でも、そこに立ち返らないと、結局は苦から逃れることになり、ほんとうの意味での次元は上がっていかないのではないかなと思います。
ただ自己憐憫に浸ったり、かわいそうなじぶんを美化するだけじゃ、苦を乗り越えて次元を上げていく強さは発揮出来ないんでしょう。
じぶんをどう考えるか、それがまた次の地上での生につながっていくということです。