シュタイナーの「薔薇十字会の神智学」をベースに、

 

「人間の本質」と、「眠り・死について」を数回書いてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

本来なら、この後、人間が死後に移行していく「神界」とはいったいどんなところなのか、

 

それから、すべてが記録されている「アカシャ年代記」についての説明に入っていくのですが、

 

ちょっと脱線して、シュタイナーが輪廻転生について語っていることを織り交ぜながら書いてみようと思います。

 

 

 

 

この本からも抜粋してみます。

 

以前ご紹介した、西川隆範さんが書かれた「まえがき」からです。

 

 

 

前世の認識について

 

 

よく指摘されることですが、たしかに輪廻思想・業思想は不幸なひとびとに現状を肯定させるために用いられることがありました。

「いま不運なのは、前世の報いなのだからあきらめなさい」
という説明です。


しかし、業(カルマ)という考えかたは、過去から現在を説明すると同時に、現在から未来を築く積極的な考え方です。

前世を認識することによって今の状況の原因を解明すると同時に、今の生き方が未来を作っていくと考えます。


今の状態には原因があるわけですから、その原因を知ることによって、対策を検討できます。

前世がわかれば、今どのように行きていくと良いのか、その方向が見えてきます。

どこをどう改善すれば、よりよい未来が開かれるか、それを発見するのがカルマ探求の眼目です。



 

 

ただ、前世を知るにふさわしい時期というものがあります。

前世を知ると、その前世に束縛されて今を自由に生きられない、という事態も起こります。


たとえば、自分が前世でりっぱな人物だった場合、いまの自分も偉い人間のように思い込むことがあります。

あるいは、いま自分が親しくしているひとが、前世でじぶんにひどいことをしたのがわかると、愛情や友情に微妙な陰が落ちるかもしれません。



ふだんから修養を心がけている人が、前世を知ってもそのような影響を受けない強い心魂になり、前世を知ることが現世のためにプラスになる場合、前世を知る機会がやってくるはずです。

(自分の前世を)教えてもらったことにより、今のじぶんが慢心したり、人間関係が崩れたりしては意味がありません。