ここしばらく、2013年にNHKスペシャルで放送された「神の数式〜この世はなにでできているのか」に登場した、知を連携していく「天才」物理学者たちの宿命に、どういう特色が見られるのかを検証しています。

 

 

この「天才」というのは、文字通り「天からの才能」なのですが、私が考えている天からの才能のイメージとは「天から与えられてその人の中に”固定され、閉じられた”才能」ではなくて、「天からのご託宣をキャッチする”可動式”な才能」です。

 

 

以前書いた政木和三さんもそういう人でした。

 

 

 

 

それには「気」と「肉体」どちらも必要で、特に専門的(数学や音楽など)な才能を開花させるのは肉体の構造が非常に重要であるとシュタイナーは言っています。

 

肉体的なことは私は解明できませんが、この「気」に関しての部分を考えようとしています。

 

 

 

もし神の作った神の設計図があるとするならば、それは完璧な美しさつまり、すべての対称性を持つだろう

と考え、物理学的な美を追求して、物質の最小単位である4つの素粒子の性質を表した数式を発見したディラック。

 

 

 

次に、その素粒子同士を動かす3つの力を表す数式を見つけたオッペンハイマーと、そこに生じた矛盾を解決した朝永振一郎。

 

 

 

この3人に共通していたのは日干支火性、あるいは水性という、精神性の強いエレメント。

 

また、位相法には刑や破、地冲、天剋地冲などの散法が含まれていました。

 

「思考」に関わる玉堂星龍高星ですが、これは特に法則的なものは見いだせませんでした。

 

龍高星や玉堂星、どちらかひとつしかなかったり、あるいは玉龍混合だったり。

 

ただ、今までで「入力(玉堂星龍高星)なし」はいませんでした。

 

 

また、天干二連(北と南の星)にはやはり大きな意味がありました。(全員分は取り上げてませんが)

 

 

 

さて、ここまでで少しずつこの世界を美しくシンプルに表す「神の数式」が少しずつ明らかになってきたのですが、それによってわかってきたことは

 

 

粒子の重さがすべてゼロ

 

 

ということでした。これは世の中の物質すべてに重さがないということになり

 

「数式の完璧な美しさと、現実が矛盾してしまう」

 

ということを意味しているそうです。

 

つまり、神様と、私たちが生きている世界には矛盾がある、ということ。

 

 

 

 

中国の物理学者、楊 振寧(よう しんねい)氏もこの問題に取り組みますが挫折してしまいます。

 

 

 

ここでも水性が登場しました。

 

天剋地冲もお持ちです。

 

 

 

 

 

これを解決したのが、南部洋一郎さん。

 

 

周囲からは「南部には未来が見えている」と言われていたそう。

 


上に書いた、神と、実際に生きている人間の矛盾を「自発的対称性の破れ」という考え方で説明し、これでノーベル賞を取られました。


自然界での設計図に対称性があったとしても、我々が観測する物理現象にはその対象性がなくてもいいということ。
 

 

数学的に言えば、自然現象を記述する数式に対称性があっても、その数式から導き出される現実には対称性がなくてもいい。

 

を説明されたそうです。

 

 

 

この番組の始まりに「倒れる鉛筆」が出てきます。

 

鉛筆を、芯を下にして立てようとしても、どうしても倒れてしまう。

 

理論上(神の世界)では倒れません。

 

しかし、現実では決して立てられず、必ず倒れてしまいます。

 

 

「完璧な美しさは倒れる鉛筆にある」

その結果、この世界に重さが生まれてくる

 

 

 

言い換えれば神様の世界はすべてに対称性があり、完璧なんだけど、人間の生きる世界ではそうはならない。

 

それは神の世界と異なり「重さ」が存在することによって「人間が生きることのできる現実」が生まれる。

(算命学的に言えば、重さ=時間ということになるのでしょうか。)

 

 


こう説明したのが、南部洋一郎さんでした。

 

 

 

ここで水、火以外のエレメントが出てきました。

 

18番辛巳。

 

 

 

 

辛も巳も似たところがあって、技芸の方面に才能を発揮し、特殊な創作能力を持っている。

用心深いが、いかなる立場でも気おくれなしに、対応できる柔軟性がある。
スピリチュアルなもの神秘的なものを好む傾向がある。という特徴をもっている。

 

天極星は独自の現実(無)から精神(有)を作って行くことに役割があると考えられる。

 

独自の現実とは、一元的現実のことで、善悪、上下などの相対概念を持たずに、ありのままの現実を認識する世界。

 

 

自分と、外から来るものを一致させようとする日年支合と、支合が行き過ぎないように見張る生貴刑があります。

 

剋構造は牽牛星の一個だけ。

 

ほぼ、自分循環と言える気の構造。

 

主星金性貫索星、自分循環。

 

こう書くととても強そうですが、動かすのは天極星エネルギー。

 

その上、年干支が中殺を受けて自分にこだわりながらも私心は入らず「自分のための仕事」とはなりません。

 

また、この中殺が「脱既存」へと向かわせます。

 

 

 

既存とは、大多数の人間の考えを中心とする社会。

 

ここに変革をもたらす金性が登場して、神と人間の世界を折り合わせて共存させていく理論を持ち込んできたということは、とても大きい動きだろうと思います。

 

 

そして、この辛は座下本元丙と暗合。

 

やはり、癸に変化します。

 

やっぱり現れてくる精神。

 

不思議ですねえ。