少し日が経っていますが、ある番組で、小学校入学試験、いわゆるお受験をテーマにした内容を放送していました。
その中で、幼児の塾の講師であるという女性が、お受験は教育のいい機会だと話していたのを聞いて、ちょっと興味を惹かれました。
その講師いわく、
「お受験は、それまでの親の子育てがちゃんと出来ているかが試されている」
そうで、学力というよりも、自立性や、協調性やといった、生活面の完成度を主に確認するようです。
最近の子供は、自分自身の世話、集団行動、人の話を聞く、といった、出来て当たり前と思っていることが出来ないのを問題とし、お受験システムという機会を使って、勝ち抜かせる努力によって子育てをするべきだ、と言うものでした。
確かに、言っていることには共感が持てる部分があります。
子供の成熟度を学習能力で計らないのは、悪くないでしょう。
だらしない子供が多いのも事実で、そういう子供の親は、ちょっとなーという人が多い感があります。
ただ、最後の、勝ち抜こうという努力によって子育てをするべきという点の判定にお受験をぶつけるという結論に、違和感を覚えました。
例えば、50人合格させる学校があるとして、51人の親がものすごい努力をして子育てをしたとします。
でも、その学校の定員が50人だとすると、ほんの僅かに努力が足りなかったか、子供の能力が追従しなかったがために、その一人は、不合格となり、世間から落伍者扱いされてしまうでしょう。
お受験が、入学の基準であるなら、学校に落ちただけ、済みますが、子育ての合格ラインにしてしまったら、親としてダメ親のレッテルを貼られてしまいます。
教育熱心度に大きな差があるなら仕方ないと思いますが、高いレベルでの僅かな差。
大学や資格試験のように、何回か機会があるならいいですが、小学一年生は一度しかありません。
定めた合格点以上の子供すべての入学を許す、というのなら理解できます。
合格者数が決まっているお受験を子育てに指針とする、というのは、いかがなものかと思う次第であります。
お受験は教育のいい機会という意図そのものには賛同できますし、学校に入るために指針とするのは理解できますが、子育てのゴールとしてしまうのはどうなのでしょうか?
今日はここまで。