教員日誌 -16ページ目

教員日誌

中学校教員、日々の実践の振り返り、反省、諸々
自分が振り返るための実践記録ですが、ご意見いただけたら嬉しいなぁ

教育実習のシーズンが始まりますね。
懐かしいなぁ…
あの頃は若さたっぷりでちやほやされたっけ…


今となってはおっさん扱い…
…すみません、愚痴りました

先日、職員室で、講師の先生への仕事の振り方が話題に上がりました。

学生から講師になった一年目の方で、今年度は副任と部活動の顧問を持っている方です。
私と話していた先生は、同じ部活動の副顧問をされている方で、部活動の仕事をどの程度やってもらった方がいいか、悩んでいました。
部活動に、その講師の先生が顔を出す頻度が少ないので、どうしたらよいかということでした。今は事務手続きを、代わりにやっているが、副顧問としては、出過ぎていると思っている。
生徒は主顧問の先生を頼りにしているので、できればその講師の先生に来てほしい。
仕事を振ると大変そうで、なかなかいいにくい。
と、まあこんな感じの話だったかな…


初めに話を聞いていた時には
「俺の講師一年目は、誰も部活を手伝ってなんか、くれなかったぞ…」

と、思って聞いていましたが
話していくうちに、私自身のかつての記憶がよみがえってきました。

教員って
ある日突然、先生になるんですよね。
先月まで学生やってても
二十数年教員やってても
新学期が始まれば、子ども達の前に立って先生となります。
「えっ?俺ってもう授業やるの?」
って思った覚えがあります。

初任もまぁそうなんですが、一応初任研指導教員みたいな人がつくので援護はあります。

しかし、講師の場合は、分掌の上では指導役がつくわけでもなく。本人が聞かないと、誰も教えてくれなかったりもします。

というわけで、学生からの講師、初任、二、三年目、五年研修者、十年研修者と、先生の持つ力はかなり違ってきます。

一概に年数だけで教員の力量は判断できません。例えば授業の力ではどうか、考えてみました。

あくまで、私が通ってきたものです。授業に対する考え方はいろいろあるので。


1段階目・・・とにかく指導書とにらめっこしながら、内容を落とさないように話す


2段階目・・・教えるものが一通りわかって、効率よく知識伝達ができる。

       学習カードなど、自分なりのテキストができてくる。


3段階目・・・生徒の活動を仕組みながら、授業を組み立てることができる。

       必要な考え方、知識を、生徒が自分で気付いたり、調べたりしながら獲得できる活動を仕組める

       教科の本質、魅力を生徒に伝えることを意識する。


4段階目・・・自分なりの授業スタイルができてくる。


授業研究の道が奥が深いと思いますし、どこまで行っても「これでいい」なんてものは見えてこないので、極めたというものはないですが、初期の段階では似たような道を通ってくるのかと思います。


学校の授業では、知識伝達型の授業ってあまりよくない印象で受け取られますが


私の感覚だと


「知識伝達が上手にできないと、他の方法も上手くできない」


って感じです。


伝えるべき内容を把握していなければ、どんな活動をしても、目標地点が違ってしまいますからね。










Android携帯からの投稿

来月のキャンプ学習に向けてグループ決めをしました。

これは、席替えも兼ねているので、生徒たちも真剣です。


私は教科でも、学級でも大抵はくじ引きで班を決めてしまうのですが、今回は、生徒の自治の力を高めるためのキャンプ学習の班です。運に任せてのグループ決めでは、生徒のモチベーションも上がらないだろうと思って、策を講じました。


①初めに班長を決める

立候補、推薦で「みんな」が充実したキャンプができるように活動できる人。という基準で班長を選びます。

それだけでは、班長になる魅力がないので「班長が班員を決める」と言うことだけ告げました。

つまり人事権を与えたのです。


②班長以外の係を決める。

係が決まったら、画用紙のカードに「自分が係としてがんばりたいことを」を文章で書いてもらいます。このときに、画用紙は男子と女子で色を分けておきますが、


このとき


名前を書きません


これがポイントです。


③班長は、それぞれ係でがんばりたいことを書いたカードを見て、自分が共にがんばりたいなと思うことを書いているカードを選んで取っていきます。

男女比、係の人数を考えると、取り方はかなり限定されてきますから、仮に事前に打合せをしているふとどきな班長がいたとしても、自分の好きな人間だけを集めるっていうのは、至難の業になってきます。まぁ班長として立候補してくる人間はそういうことをあまりしない生徒が多いので、あまり気にすることもないかなと思いました。


班長は、自分が誰を班員として選んだのか、カードと照合するまでわかりません。




もちろん・・・





私も、どんな班になっているのかわかりません・・・ムンクの叫び

このやり方をするのは初めてなので、上手くいくかどうかは明日からのお楽しみです。

班や席替えの方法は本になるくらいたくさんあるので、もしかしたら、この方法を使われている先生もいるかもしれませんね。


この方法は、私が小学生だったときの担任の先生のやり方の応用です。

私の担任の先生は、記名をさせて、ドラフトのように、班長が取っていくというやり方でした。


他のクラスでは、こういう班ってどうきまっているのでしょうか?


Android携帯からの投稿

中学校で身につけることの一つに


「自治の力」


ってのがあります。もちろん、小中高を通じて高めていく力なんでしょうけど、小学校では、どことなく先生の支配下の中での自治って感じがするし、小学生の場合は正論というか、


「それはやっちゃいけないんだよ、先生に言うよ」


みたいな理論が通じるところがあると思います。

(私は小学校の経験が浅いので、誤解しているところがあったらごめんなさい)


道徳でも、自分達の基準となる考え方をしっかりと定着させるのが小学校で


「そうはいってもなぁ・・・」


っていうような現実との折り合いの中で、自分のあり方を考えていくのが中学校だと思います。

道徳の資料の世界に比べれば、現実の世界って矛盾だらけだし、正しいことが通らないことが多すぎる。みんな正しいようなことを言っているから、正しいこと同士がぶつかると、そこで更に折り合いをつけるために苦労する。そこでの判断を迫られるってことなのかなと思っています。


話が逸れました・・・で「自治」の話に戻します。


中学校では、自分を自分でコントロールする「自律」を目指し、さらに自分達の集団生活をよりよい形にコントロールする「自治」の力を養っていくわけですが、そうも簡単にいかないところがあります。


①「きまりやルールを守るなんて、堅苦しくて嫌だよ~」という声が聞こえてきます。


②「そんなに色々言われたって、できないよ~」という声も聞こえてきます。


①の、堅苦しいことが嫌だ~と反抗している人々に対しては、割と正論で「それをやったらみんなが迷惑なんだ」ということを生徒同士で考えあう。

単純に


「責める」


形で何とかなってしまうことが多いです。即効性があり、すぐに生徒も使える方法なので、浸透しやすい方法でもあります。


しかし、これだけでは、互いを非難しあうばかりの殺伐としたクラスになってしまうと思うんです。

監視役の


「ミニ先生」サーチ


みたいな人間が増えますからね。規律は守れるようになっても、息苦しくなってしまうのではないかと思います。先生としてはチェック機能が増えるので便利なのですが・・・


②の人々にとっては、自分が追いつかない状況を、ただただ責められているだけの切ない場所になってしまいます。周りよりすばやく立ち回れる生徒が優越感に浸りながら、おっとりとした動きの生徒をけなす。まさに格差社会叫び


「そいつができないんだからしょうがないじゃん。」

「注意しているんだから、何が悪い。」


なんて声が聞こえてきます。

確かに学校は切磋琢磨する場所でもあり、お互いに高めあうための声がけみたいなものは必要だと思います。「自治」の力を高めるためにも、お互いの姿を見て声がけをするってのは理にかなっています。

でも・・そんな場所で安心して生活できるでしょうか?弱い立場になったら責められる。そんな心配ばかりしている状況で、自分の力を伸ばすことに集中できるでしょうか?

いつも強い立場の人なんて限られています。世界で1番ってのは一人しかいませんから。

弱い立場になることを恐れて、そのプレッシャーでがんばるってのもありますけど、そういう集団は殺伐としてきます。


それじゃあどうしたらいいんだ?声もかけずに放っておけってことか?


というわけではありません。

私なりに導き出した答えは


「助ける」


ことです。

「責める」声がけと「助ける」声がけは違います。

もっと言うと「助ける」ことは、声がけだけでなく、動作を伴うこともありますから。


一例を挙げます


清掃の前、授業から戻ってきて、机を運んでいない人がいたとしましょう。


「責める」場合は

「なにもたもたしてるんだよ。早く運べよ。みんなの迷惑だろ!?」


ってな感じになります。本人は「みんなのため」という正論をかざして、胸をはって注意しています。言われた人も、悪いことをしたなぁって感じで次から気をつけるのでしょう。でも「何だよ、今がんばって準備してたじゃないか」って気持ちにもなると思います。


「助ける」場合は

「大丈夫か?運んでおくぞ」

と言って相手の机を運びます。


言われたほうは「ありがとう(悪いことしたなぁ・・)」って考えて、次から気をつけるでしょう。


「責める」も「助ける」も、どちらも、言われた相手は「次から気をつけよう」って考えると思います。

助けられたことに甘える人って、あまり多くないです。


私の考えは甘いですかね?

理想論でそう上手くはいかないですかね?


でも、人間を教育しているのですから。

動物のように罰を与えて従えさせることはしたくないです。

罰がなければ、正しく行動できない人間にも育てたくないです。


プレッシャーを感じなければ、人間は成長できないものなのでしょうか?


それでも学校はすぐに成果を求められるものです。即効性のある罰を使う場合もあります。


しかし、根本的に人間を教育する方法としては、罰におびえさせる以外の方法を使っていきたいと、常に考えています。



あとは結果ですね。私が担任する生徒の姿で、それを語れるように。日々努力していきます。

信じているぞ!5組!