直江兼続
謙信を崇拝し 「義」を重んじ 兜に「愛」をあしらい 仁愛、愛民に生きた 上杉家永遠のナンバー2の名将 直江兼続
NHK大河ドラマ「天地人」で 妻夫木聡氏が 演じることも相成り いいヒト株 急上昇中の人物ですが
そんなイメージを払拭する 逸話を耳にしました
ある日 兼続の家臣が 領民を無礼討ちしたが 被害者側の親族から 「あれの粗相は無礼討ちに値するほどのものではない」という訴えを起こした
調べてみると どうもその通りで 家臣側に非があり 兼続は家臣に慰謝料を請求したが 親族側は 「金なんかいらないから 息子を返せ」と 言い出した
親族側は その後の兼続の説得にも 応じないばかりか 前にも増して 騒ぎ立てる始末
すると 兼続は 「よし 分かった」と 遺族3人の首をはねた
その後 首を河原にさらして
「この家族を 使いに出すので 息子を返してほしい
慶長2年2月7日 直江兼続」
という 閻魔大王への 嘆願書を添えたという
ブラックジョークが過ぎるというか 頓知が利いてるねとは 素直に言えない
国を統べる者として ただ単に いいヒトというだけでは やっていけないというところか・・・
事実 「仁愛、愛民」の将というのは 俗説らしく
兜に 「愛」を掲げたのは 謙信が毘沙門天への信仰を「毘」の旗印で表わしたように 兼続は愛染明王への信仰を示したものらしい
人柱
築城の際 工事が順調に進むためや 敵襲に打ち勝つことを祈願し 生贄を敷地内に埋めることを
人柱(ひとばしら)といいます
先日訪れた小峰城にも おとめ桜という 墓石の傍らに咲く桜がありました
この桜の名の由来は 寛永年間 丹羽長重が小峰城改築の際 どうしても石垣がうまく積めないので 改築現場を最初に通りかかった人物を人柱にしようということになりました
その際 運悪く そこを通りかかったのが「おとめ」という娘でした この娘は改築現場で働く父親にお弁当を届けにきていました
おとめが人柱となった後 小峰城の改築は無事に完了しました
改築が無事に完了したのも 人柱のおかげだということになり おとめの御霊を弔うという意味でも 桜が植えられたそうです
このほかにも 全国には 様々な人柱伝説があるようです
ひこにゃん でもおなじみの滋賀県にある彦根城では 工事が進まないことに頭を抱えた側近が人柱を立てるという話を持ちかけた際 井伊直勝が反対した という話を聞いた菊という町娘が自ら人柱に名乗りをあげた 菊の忠心に感心した直勝は人柱を立てることを決めた 菊が埋められてからというもの それまでの難工事が嘘のように 築城工事は完了した
城が完成すると 菊の父親のもとに 直勝公があらためて礼がしたいとの伝えが来た 屋敷の一室に通された父親は 廊下から着物の擦れる音が聞こえると 直勝公がいらっしゃると思い 畳にひれ伏した
「お顔をお上げください」
聞き慣れた女の声が聞こえた 驚いて顔を上げると そこには菊の姿があった
直勝は 菊本人の志願とはいえ どうしても人柱を認めることができず 菊が納められた木箱を 埋める直前で空箱とすり替えたという
直勝の好意に 父親はとても感激したそうな
でめたし でめたし・・・
菊が人柱になったと思い込んだ築城関係者たちは 菊の無念をはらそうと 必死になって働き 見事に城を完成させたというカラクリです
さずが 徳川四天王・井伊直政の長男 病弱で出陣できず長男でありながらも家督を継ぐことはありませんでしたが やさしい心を持っていたようです
まさに 「人は城 人は石垣 人は堀 」 です
いくら城を強固にしても 人の心が離れてしまったら世を治めることはできない という信玄公のありがたいお言葉です
先日訪れた小峰城にも おとめ桜という 墓石の傍らに咲く桜がありました
この桜の名の由来は 寛永年間 丹羽長重が小峰城改築の際 どうしても石垣がうまく積めないので 改築現場を最初に通りかかった人物を人柱にしようということになりました
その際 運悪く そこを通りかかったのが「おとめ」という娘でした この娘は改築現場で働く父親にお弁当を届けにきていました
おとめが人柱となった後 小峰城の改築は無事に完了しました
改築が無事に完了したのも 人柱のおかげだということになり おとめの御霊を弔うという意味でも 桜が植えられたそうです
このほかにも 全国には 様々な人柱伝説があるようです
ひこにゃん でもおなじみの滋賀県にある彦根城では 工事が進まないことに頭を抱えた側近が人柱を立てるという話を持ちかけた際 井伊直勝が反対した という話を聞いた菊という町娘が自ら人柱に名乗りをあげた 菊の忠心に感心した直勝は人柱を立てることを決めた 菊が埋められてからというもの それまでの難工事が嘘のように 築城工事は完了した
城が完成すると 菊の父親のもとに 直勝公があらためて礼がしたいとの伝えが来た 屋敷の一室に通された父親は 廊下から着物の擦れる音が聞こえると 直勝公がいらっしゃると思い 畳にひれ伏した
「お顔をお上げください」
聞き慣れた女の声が聞こえた 驚いて顔を上げると そこには菊の姿があった
直勝は 菊本人の志願とはいえ どうしても人柱を認めることができず 菊が納められた木箱を 埋める直前で空箱とすり替えたという
直勝の好意に 父親はとても感激したそうな
でめたし でめたし・・・
菊が人柱になったと思い込んだ築城関係者たちは 菊の無念をはらそうと 必死になって働き 見事に城を完成させたというカラクリです
さずが 徳川四天王・井伊直政の長男 病弱で出陣できず長男でありながらも家督を継ぐことはありませんでしたが やさしい心を持っていたようです
まさに 「人は城 人は石垣 人は堀 」 です
いくら城を強固にしても 人の心が離れてしまったら世を治めることはできない という信玄公のありがたいお言葉です
小田原攻城記
昨日朝方まで遊び 夕方まで寝ていたせいで眠れず なぜか小田原城に行こうということになり 深夜の暗闇の中 出陣することになりました
もちろん 高速は使わず 6号、15号、1号線で向かいます
東海道っていいですね いつかは東海道五十三次を走破しながら 最寄の史跡を訪れる旅をしたいです
そんなこんなで 早朝6時すぎには 到着しました
早朝と平日のため 小田原城とは思えないくらい人が疎らで じっぐりみて廻ることができました
城内見取り図です
南入り口から入城すると 住吉橋があります
住吉橋の反対側 銅門です
さらに奥の 常盤木門です
この門をくぐると いよいよ本丸です
いよいよ 天守閣です
松ごしの天守
復元されたものとはいえ かつて上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐え 豊臣天下の総仕上げの舞台となった いわずと知れた名城の存在感は得られなかった
期待が大きかっただけに こんなもんかぁ~てかんじでした
帰りに 皇居と靖国に寄りましたが カメラの充電が切れたので画像はないです また行って来ようと思います
本日の総移動距離 約560km










