やっとケータイが家の中で入るようになりました!
固定電話以外のライフラインは復旧しました。
と言っても義家は井戸水をモーターで汲み上げているらしいので、電気が入るようになって同時に水道も使えるようになっただけで、今でも市の水道は断水したままです。
電気が届かないところもまだまだあるみたいです。
だからいくらテレビで有名人が「頑張ろう」とか「応援しています」とか言っても、本当に大変なところには届かないという…
そんなメッセージをテレビで送らずに、こんなへんぴな町まで来てくれた有名人もいました(*^^*)
ありがたや

津波の映像も電気が復旧したころにはもうニュースで放送していなくて、恐る恐る自分の住んでるところの動画をYouTubeで見ました。
言葉がみつからない…。
未だに夢なんじゃないかなぁって思うこともあります。
テレビ、新聞、ケータイ、人伝いで情報も入るようになってきました。
うちの市は県内で一番亡くなった人、行方不明の人が多いです。
元の人口はそんなに多くないので、人口の10人に1人が亡くなったり行方が分からなくなっています…。
私の同僚も1人亡くなりました。
家にいるおじいさんおばあさんを避難させるために、1度逃げたのに戻ったらしいです。
その同僚の2才の姪っ子ちゃんも一緒にいたらしく犠牲になりました。
本当にいたたまれないです。
町並みが平地なので高台に逃げる車で道路が大渋滞し、建物の5階にいた人の話だとクラクションやら追突する音が凄まじかったみたいです。
ちなみに4階だとダメだったみたいです。
なので、市内のスーパー、ドラッグストア、外食できるところ、ガソリンスタンドなど買い物する場所は全滅。
海に面していない町でも津波が河を逆流してきて、海から車で10分くらいの場所でも壊滅的な状態。
病院も消防署も市役所もバスセンターも線路もめちゃくちゃ。
本当に市内には何もなくなってしまいました。高台の家が残ったくらいです。
地盤が低くなって、海の近くの野球場(あと3日くらいで修繕完了だったのに)、公園(遊具を新しくしていたのに)、松林のあった場所が海になってしまいました。松林に関しては1本だけ残して、あとは流されてしまいました。
防波堤もなくなっていました。
道路のすぐ脇が海です。防波堤や松林もないので見晴らし良すぎて走るのが怖いです。。
生活面はありがたいことに、物資がくるのと、隣の市まで買い物に行けば買い物できるし、移動販売が来るので生活はできています。
仕事は、私と旦那の職場は津波で流されてしまいました。
でもお互い仕事も始まりました。
私(
店員)は隣の市にあるお店で働くことになりました。車で通勤するんですが、川に架かっていた2本の橋が津波で流されてしまったため、朝道路が大渋滞してい通常30分くらいでいける場所にもかかわらず、1時間近くかかります。
職場が被災して、再建できず職を失った人や減給が多いので、職場があるだけありがたいと思ってやるしかありません。
子供といる時間がさらに短くなってしまいましたが、仕事と考えず、子供たちの未来のために復興ためにやってるんだ!!と言い聞かせて通勤しています。
旦那も職場が流され、会社は廃業になりました。
ただ、ガス屋なので被害がなかったガス会社で臨時という事で働いています。
子供の保育園は、津波で園庭、園舎内に瓦礫が押し寄せ使えなくなりました。
片付けのお手伝いに行きましたが、お気に入りの(私が)お昼寝布団も泥が付いていて使えません。
汚水も混じった泥だから廃棄することに。
園舎、園庭は被害を受けましたが幸い倒壊はしてませんでした。
泥まみれの瓦礫が大量に押し寄せていて瓦礫の撤去やら衛生面を考えて壁紙、床板の張り替えが必要とのこと。
再建に1年くらいかかるので、隣町の保育園にうつることになりました。
ちなみに今日、息子と保育園の向かいのコミュニティセンターに用事があり行ったんですが、
車の中で「しぇーしぇー」って騒いでいて、指差す方向を見たら保育園。
多分、先生って言ってたと思います。
「保育園?」って聞いたら、うん!って頷いて「あったー。あったー!」って…。
保育園の門の上にリスと犬とネコのオブジェがあって息子がそれを大好きなんですが、それがなくなっていて「ワンワン~、ないー。」って言っていたのを聞いて泣けてきました。
あと、夢か幻だったのか…たった5ヶ月しか住めなかったアパートですが、無惨にも土台しか残っていませんでした。
うちのアパートの辺りは過去の大津波の時も被害には遭わなかった地域なんですけどね…。
写真とかあるかな?とか呑気に考えてたら、思い出のホームベーカリーと友達の引き出物でもらったパスタ鍋しかありませんでした。
とりあえずパスタ鍋は拾ってきました。
家族で撮った写真。
息子が生まれてからの写真。
息子が1才になるまでつけていたベビーダイアリー。
臍の緒、生まれたときの髪の毛
手形、足形
買ったばかりの家電
お気に入りの物
思い出の物ぜーんぶなくなってしまいました。
物がなくなったことも悲しいけど、もうあのアパート生活自体ができなくなってしまったことが、本当に辛い。
せっかく同居解消できたのに!!
これから暖かくなって、さらにいろんな楽しみが増えるねって旦那と話していたのに。
実家も土台しか残っていないので、母親は避難所にいるし、同居に疲れたからちょっと実家でのんびり
ってこともできなくなってしまいました。義家で疲れたからといっても前にいた部屋には家電は何もないから部屋に引きこもることもできす、ほとんどお茶の間生活。
服は大量に頂いて、2階に置いていますが、身の回りの物(化粧品とか)はリュックに入れています。
化粧品やら服やらを収納するものも必要にはなっています。
別の部屋で生活できるように、テレビとか欲しい物はあるけど、なんとなくそれらを揃えてしまったら、同居を許してしまうことになりそうで、激複雑。
また自立するといっても、仕事の先行きも分からず、てか市内の大半のアパートが津波で流されたから、住む場所自体がないです。
更新されていない不動産屋のHP見たけど流されたとこばっかです。
津波さえ来なければ…っていつも思います。
また前みたいに3人で気兼ねなく暮らしたいなぁ。
できるかなぁ。
長々読んでいただき、ありがとうございました。