最初は体育館の入り口付近を走り回っていた息子でしたが、だんだん疲れたのか抱っこをせがんできました。
体育館の端で休もうにも、暗いのが嫌なのか、泣くし明るいところで抱っこしてても「パパ~パパァ」って悲壮感丸出しで泣くし。
パパはもう少ししたら来るからね。と、なだめていました。旦那の安否も分からぬまま。
体育館の入り口をたまたま持っていた抱っこ紐で抱っこしてぶらぶらしていました。
体育館の玄関先には入り口に続く車イス用のスロープがあり、それに繋がれた飼い犬が10匹くらいはいました。
息子が喜ぶので、わんわんを見ては、寒いので体育館に戻るのを繰り返していたら、体育館内入ってすぐのところにいた見知らぬおばあちゃんが「赤ちゃん、お腹すいてるでしょ?」と大福餅をくれました。
「子供に風邪ひかせると悪いから使って」と毛布を差し出してくれました。
私は、おばあちゃんも寒いだろうから、おばあちゃんが使ってください。って言ったら、「うちは津波きてないから、戻れば毛布あるからいいから」と毛布をかけてくれました。
どうやら古い家だから倒壊しないか不安で避難してるとのことでした。
入り口付近だからおばあちゃんだって寒いだろうに…。優しさが身にしみました。
その時がだいたい7時くらいだったと思います。
体育館の中、外をうろうろしながら旦那が避難していないか、職場の人が避難していないか探しました。
ずっと探してもいなくて、最悪の結果ばかりが頭を巡りました。
うろうろして8時を過ぎたくらいだったと思います。
暗がりでは子供が泣くし、明るいところなら誰かが見つけてくれるかも、となるべく明るいところに立っていたのが良かったみたいです。
歩いてきた旦那の実家の近所のおばちゃんと目が合いました!
おばちゃんが「無事かぁ!良かった!ここにいたの?私、お父さんが探しにきてくれたから今から家に戻るよ!」
私「旦那実家に行きたいけど、道路が瓦礫で通れなくてここにいたの。道路は?帰れるんですか?」って言ったら
「いつもの道路はダメだけど、山道行けば帰れるよ!!慣れない人が暗い中運転するのは危険だから、あんたんち(義家)まで乗せてく?」って言ってくれたので、ありがたく車に乗せてもらいました。
迎えにきたご主人さんの話だと義家までの途中の道路は通れないけど、あの一帯には津波がギリギリ来なかったってことでした。
4人乗りの軽自動車に息子もあわせて6人で乗って帰りました。
どうやらおばちゃんは銀行にお金をおろしに行って、なんとか助かったみたいでした。
車で逃げようとしたら、周りの人が車じゃ無理だ!!走れ!!って叫んでいたのを聞いて、石垣や山肌をかけ上がって助かったって言っていました。
車に戻った人は津波に飲まれて行ったから、車は流されたけど、これでよかったんだ。って言っていました。
町は壊滅だよ。
本当に命あるだけ奇跡的。そんな風に言っていたし、素直にそう思いました。
で、恐る恐るうちの旦那見ませんでしたか?って聞いたらおばちゃんも迎えにきたご主人さんも見ていないって言っていて、かなり不安でした。
義家に行っても旦那がいなければ、覚悟しなくてはいけないなと。
一方通行に近い砂利道に揺られながら、そんなことを考えていました。
そうしているうちに義家の近くの道路近くまで来ました。義家前の道路はすごく渋滞していました。
瓦礫やら土砂崩れやらで通行止めになっていたからだと思います。
車が主要道路に入れないのでおばちゃんが「あんたんちに声かけてくるから!!」と走って行きました。
旦那がいますように…ドキドキでした。
間もなく走りよってくる人の姿が見えました。
先頭をきっていたのが旦那でした。
あぁ無事だったんだ、よかった……。
車を降りると、義両親が来ました。義父がよかった~と言って息子を抱っこして、何回もよかったよかった言いながら息子を連れていきました。
旦那と抱き合い、かたく手をつないで帰りました。
どうやら旦那は会社の裏山にかけ上がって助かったけど、車が流されて歩いて実家に戻ったそうです。
あとから同僚と話をしてみんな家族の安否が分かったり、一緒に住んでいる家族に会えたのが地震から2日後だった。とか聞くと9時は過ぎていたけどその日のうちに会えたのも本当にありがたいことでした。
義家にあったパンを頂き、横になりました。
余震もおさまらず、ほとんど眠れませんでした。
ラジオからは、
病院の屋上に取り残されている人がいる、
市内は壊滅状態、
以前として大津波警報発令中。決して海や川に近づかないように。
そんな恐ろしい情報ばかり。
疲れて寝てしまった息子の隣で横になりながらずっとラジオを聞いていました。
3/11終わり。