逃げたのに不安でした。
ここで大丈夫だよね?みんなどこに行ったんだろう…
徐々に避難者は増えました。
私は息子が車で寝ていたので、車を離れませんでしたが、一ヶ所人だかりができている場所がありました。
多分そこから町を見下ろすことができているんだと思いました。
手で口をふさいでいる人がたくさんいました。
少し前に沖で白波が立っていたのを見たので(普通は海の沖で白波が立つことはないです)
あぁ、津波が来たんだなぁと悟りました。
海に程近い実家が流されたのは確実でした。
母親と旦那からは地震直後に無事とメールは入ったけど、この津波で無事でいるのかどうか分からなくなりました。
ケータイは依然圏外のまま。
悪いことばかり頭を過ります。旦那は市内を車で回ってるから渋滞にはまったんじゃないかとか。
車から海を見ていると、同級生に会いました。親の安否が分からない。と言いながらも、市役所務めなので仕事にかり出されていきました。
近所の3児のママさんに会いました。子供たちの思い出が全部流されてしまった。と涙ぐんでいました。
本当に…。私もそれが1番気がかりです。
かける言葉もありませんでした。
しばらくして違う場所に逃げていた母親が来ました。いつも通り明るく、家なくなったよ~!とか言っていました。
こんな状況で無事で何より。父親と妹①は東京にいます。妹②が仙台にいて、そっちも気になりました。
圏外で連絡取れず。
そしたら母親、
「さっき、奇跡的にお父さんに電話通じたの!!私は無事だけど家は流されちゃった…って話をしたら、津波が更に上がってきて、『津波だぁ!!来た来たーーー!!』って言って間違って電話切っちゃった。そしたらあと繋がらないの(笑)」
って話してました。
それって、あっちでちょー心配してるよ…死んだと思ってるかも(-_-;)
そんな母親の話を聞きながら、避難している知り合いを探して回りました。
じんちゃんばんちゃんを母親と探しました。
いなくて心配したのですが、息子さんの家が内陸にあるようでそっちに行ったとのことで安心しました。
眼下に広がる町を見下ろすと、瓦礫の山でした。家も道路もありません。
見慣れた町の姿ではありませんでした。
海沿いにたくさん植えてあった松林もなくて、3メートルくらいの高さだった防波堤もありませんでした。すっかり見晴らしがいい…不思議な感じでした。
体育館内にはパイプ椅子が列を作っていました。卒業式が近々行われるような気配です。
柔道で使う畳マットが椅子の後ろに並べられ、ストーブが設置されました。
広い体育館に2つ。明らかに足りていない感じ。
あぁ、母親は被災者になってしまったんだ…。
私はアパートが無事かどうか分からないながらも、あそこなら多分大丈夫だろう、という気持ちでいました。
なので着の身着のままの母親に、持っていたお菓子、車にあった箱ティッシュをあげました。
自分も被災者とは思わず。
早くアパートに戻りたい、もしアパートに住めないなら海から10分くらいのところにある義家に行ってみようと思い、車で出ました。
道路が寸断されたりしていないか人伝で確認してからだったので、出発したときは辺りは薄暗くなり始めていました。
高いところを走り、実家の辺りを見下ろしましたが、一面瓦礫の山でした。
車で少し進み海から離れたところに行ってもまだ瓦礫が散乱しています。
走っても走っても高台からは見渡す限り瓦礫で埋め尽くされていて、言葉が出ませんでした。
薄暗い壊滅的な町は本当に不気味な感じすらしました。
普段使う道路は瓦礫で通れなくなっていて消防の方に教えてもらった裏道を通り、迂回し続けやっと自分の町に入りました。
アパートに向かいました。
ところが被害が想像以上で、町中に入ることはできず、アパートに行くことは諦め旦那実家に向かいました。
そっちなら大丈夫だろう。
しかし、津波は川を逆流し、海から遠く離れた場所でも壊滅的な被害があり道路が瓦礫だらけで、義家にも行けず、途方にくれてしまいました。
近くの中学校が避難場所なので、旦那もしくは知り合いがいるかも知れない
そこに行ってみることに。辺りはもう真っ暗でした。
体育館に行ってみました。
入ってすぐ友達の妹に会いました。彼女の姉であり私の友達、双子なんですがどちらも連絡がつかないとのこと。
お互い子供がいるので、子供を抱き抱えながら無事を祈りました。
停電しているため避難所入り口以外は真っ暗で、うちの息子は泣いていました。
入り口付近なら避難してきた犬がいたり明るいので、そこに立っていました。
もし旦那が避難してきたらすぐ見つけてもらえそうだし。
昼間とはうって変わってすごく寒かったです。
続きます。