中国の古い書物に「論語」というものがあります。

ありがたい御言葉が色々載ってる書物です.


その中に、

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

という言葉があります。

「道を聞かば」

とは何かを知るという意味です。

朝に知ったら夕べに死んでもいい。

???

何を言うとんねん(ノ゚ρ゚)ノ?

ってな感じのこの言葉。

養老孟司先生は著書の「バカの壁」

という本で、こう解説しておられます。



「知るという事は根本的にガンの告知だ。

 ガンになって治療法が無くて、あと半年の命だと言われる事がある。

 そうしたら、あそこで咲いてる桜が違って見えるだろう」




知るという事は生まれ変わるような事です。


知るという事はそれほど衝撃的な事なんです。


「情報の取捨選択」なんて言葉がある現代ですが、


知るという事について今一度思い返してみたいものです。




人の体は、

温かいものと冷たいものを同時に触れると、

冷たさを先に感じます。

温かさの方が後に感じるのです。

冷たさはピリッと。温かさはゆっくりじんわりと。

イメージで例えるとこんな感じでしょうか。



人間関係においても、

冷たい言葉や態度と感じたけど、

後々に振り返ると、実はとても温かかったのだと思う事は多々あります。

しかし人間、弱い生き物で、

口先だけの優しい言葉、見かけだけの優しい態度、

その場しのぎの軽い言葉などなど・・・

つらい時、困った時、寂しい時、

周りが見えなくなった時は、

ついつい甘い方へと流されてしまいます。



厳しいけど、自分の為に言ってくれている人間、

冷たい態度の裏に隠れている優しい態度、

本当に親切な人。

本当に大事な人。

本当に大切な人。

気づいているだろうか?

忘れていないだろうか?



今一度、周りを見渡してみたい。

思い返してみたい。





時として、

自分が何の為に存在するのか悩む時がある。

どうせ自分は一人だ。

どうせ自分は誰からも必要とされていない。

どうせ自分はどうでもいい人間なのだ。

…馬鹿言うなってね。


存在理由の無い人間なんていません。

皆、何かの為に存在してます。

生きてるってそういう事です。


親の為、

家族の為、

身近な人の為、

周りの人の為、

他人の為、

人ではない何かの為



そういう事考えて生きてる人って素晴らしいなと思います。