M.M.選定アルバムランキング’69~’79を聴いてみる 10位 | 偽クレモンのブログ

偽クレモンのブログ

ブログの説明を入力します。

いよいよベスト10に突入。これより、ベスト10アーティストに敬意を表して、1回1枚の紹介とします。

 

〇10位 暴動/スライ&ザ・ファミリー・ストン

度々書いているが、私は欧米のブラック・ミュージックは概ね苦手であります。一方、本場アフリカ、南米、中米のブラック・ミュージックは一部を除いて大好きだ。そのわけは、アフロ要素の濃淡に因ると思われる。もちろん私が好きな後者の方がアフロ濃厚だ。米のブラックミュージックで、私が大出を振って’好きだ!’と言えるアーティストは4組しかいない。ジミ・ヘンドリクス、ジェイムス・ブラッド・ウルマー、プリンス、そしてこのスライ&ザ・ファミリー・ストーンだ。

 

ファミリー・ストーンは、1967年からサンフランシスコを本拠地に活動を開始した人種・性別混合バンド。音楽性を乱暴に一言で括ると、ファンクのバンドということになるが、独特のサイケなポップセンスと、贅肉を削ぎ落したオルタネイティブな(?)ファンクが私の琴線に触れまくる。しかし全盛期は’70年前後の数年間と短い。これは中心人物、というかファミリーストンそのものであるスライ・ストーンの薬物過剰摂取による精神的・肉体的な不調に依る。

 

私がこのバンドを知ったのは遅れに遅れて’80代前半。映画’ウッドストック’で彼らのパフォーマンスを観て、その音楽性と、それ以上にMCが面白くて興味を持った。私がこのブログでよく使う’****という声が聞こえてくるが’というフレーズは、この時のスライ・ストーンのMCを未だに引きずっているのであった。それはさて置き、音も気に入った私はバンド仲間にリサーチし、全盛期の4枚のアルバムを借りてカセットテープに落として、以来、カセットテープを全数追放するまで聴き続けた。’暴動’も、もちろんその中に含まれていたが、借りた中で最も異様な作品で、ポストパンク、オルタネイティブの変音にズブズブだった私の心に、それら以上に引っ掛かりまくって困ったものだ。ザ・ポップ・グループの’Y’、スリッツの’リターン・オブ・ジャイアンツ’、レインコーツの’オディ・シェイプ’等は、その後の40年でそれなりに折り合いが付き、現在は単にグッド・ミュージックとして聴いているが、’暴動’だけは未だに完全に腑に落ちないまま愛聴している。カセット追放後、’暴動’だけをCDで買い直した。

 

’暴動’は1971年にリリースされた5枚目のアルバム。この頃スライ・ストーンの体調・精神は既にボロボロで奇行・妄言を連発。バンドメンバーも呆れ果て、バンドの体を成していない状態だった。そんな中、レーベルとの契約でアルバムを作らにゃならんので、ほとんどの演奏パートをスライが1人で録音。ドラムはリズム・ボックスを多用。他人の力が必要な時だけスタジオに呼んで個別に録音し、最終的にスライがまとめて作り上げた、いわばスライ個人の密室的な作品。精神状態・一人宅録・リズムボックス、その3点セットがこのアルバムの威容に大きく寄与している。プリンスが’80後半に連発した傑作群は、このアルバムがなかったら、なかった・・・この手の物言いは妄言扱いされるが、これは本当にそう思う。じゃ、まずA面1曲目を聴いてみる。

Luv N' Haight (youtube.com)

最初に借りた4枚をどの順番で聴いたか忘れたが、’暴動’の威容はA面1曲目のイントロから際立っていた。理論を習っている人はいろいろ言うのかもしれんが、素人の印象は、全ての楽器の関係性がズブズブである。誰も判らんとおもうが、初期のスクリッティ・ポリッティを聴いた時と同じ感触だった。謎のハーモニー、謎のポリリズム。Aメロになると一応の解決を見るが、それでも雑然として変。決まったフレーズがなく、曲の構成だけ決めて、後はフィーリングで楽器を鳴らしている風。楽曲後半は、ソンで言うところのモントゥーノ部(ワンコードでVoとコーラスの掛け合い延々ループする演奏)に入るが、そこでハタと気づく。私が魅かれているのはアフロ要素なのでは?と。モロにアフロのリズムやフレーズがそこにあるわけではない。リズムはベースラインを聴く限りは8ビートだが、ノリはアフロ由来の2ビートである。何言ってんの?という声が聞こえてくるが、こりゃ個人の感じ方の問題だ。と同時に演奏する側の感じ方の問題でもある。スライは2ビートの乗りで弾いていたに違いない。ちなみに、ファミリーストンにはラリー・グラハムという元祖チョッパーの名プレイヤーがいるが、このアルバムのベースはスライが弾いている。この大して上手くもないベースのモコモコ感が、逆に曲の新鮮さに寄与している。まったく陳腐化を感じない。

 

普通A面1曲目はキャッチーな曲でリスナーを掴みにいくものだが、このアルバムは、全編、こんな感じ進んでいく。すなわち、音数は少ないが、でも雑然とした、捕えようのない演奏で終始する。このモヤモヤ感は初めて聴いた時から今でも変わっていない。中には数曲、初期のポップ感覚を有する曲もある。しかしそんな曲も初期の明確なメリハリはなく、雑然とした演奏が心に引っ掛かる。じゃ、そんなポップでモヤモヤした曲をリンクする。

Sly & The Family Stone - Runnin' Away (Official Audio) (youtube.com)

’暴動’以前に顕著だったこの感覚は、ブラザーたちよりもむしろ白人に支持されていた。我が愛しのレインコーツもこの曲をカバーしている。バンド構成と同様に、人種・性別問わず支持されていた開かれたバンド。時代はベトナム戦争で米社会は疲弊し、黒人公民権運動は手詰まり。スライはブラックパンサー党から、バンドから白人を追放しろ!と脅迫を受けていたとのこと。スライが精神的に追い込まれたのはそんな状況と無縁ではないだろう。ランニングアウェイは、自身の奇行を斜め上から見て書いた歌詞と言われている。そんな精神状態が’暴動’という奇形のファンクを生み出したのだから、音楽とは不思議なものだ。

 

じゃ、このアルバムを最も象徴する(と私が思っている)曲をば。

Africa Talks to You "The Asphalt Jungle" (youtube.com)

この雑然とした、悪くいえばダラダラ感はどうだ。あからさまなリズムボックスの音とスライのモコモコベース。グルービィなのかグルービィじゃないのか?緊張しているのか緩和しているのか?作りこんでいるのか流しているのか?イっているのか正常なのか?得体の知れない密室ファンク。そして、そこはかと香るアフロ。今もいろいろと心に何かがひっ掛かったまま、聴き続けている。’暴動’の後にプリンスの’パレード’を聴くとより乙である。

 

当時のセールスの話をすると、なんとこの内容でビルボードチャートで1位を奪取した。当時の米国人はまだ見どころがあったんだなぁ。しかしwiki情報ではあるが、当時のファンも評論家もこのアルバムをどうとらえていいのか判らなかったそうな。ま、そりゃそうだろう。何百万の人が?を浮かべて聴いていたのだ。

 

ジャケットは見てもらった通り、星を太陽に置き換えた星条旗。文字は一切なし。スライによれば全ての人種の人々を表現している。ジャケットと音とリスナーと、三位一体の開かれたアート。いつの世も、それが判らないのは石頭だけだ。