私もギタリストの端くれだ。自分の音楽ではまともにギターソロなんて弾かないが(言葉にするとアレだけど、オルタネイティブ系なんでね・・)、他人のプロのギターソロには耳欹てる。中高の頃にはZEPやジェフ・ベックが好きでコピーもしてきたので、それなりにギターソロの良し悪しも判るつもりだ。そんなわけで、改めて検索することなく、今思い当たる名ギターソロを挙げていく。
まずは、トミー・ボーリン。ディープ・パープルの二代目ギタリスト。日本での評判は芳しくない。というのも、パープルのワールツアーでの来日公演のこと。オーバードーズで両手が麻痺状態だったため、全曲スライドギターでの演奏に陥るはめに。私は名豊ミュージック(豊橋)のフィルムコンサートでその模様を聴いたが、客席から思わず失笑が漏れる変なアンサンブルだった。フィルムコンサートなら失笑で済むが、大金はたいて会場へ行った人はさぞ腸煮えくり返ったことだろう。そのワールドツアー直後にパープルは解散。間もなく、オーバードーズで死亡。25歳だった。パープルを解散に追いやった変なギタリスト。それが当時の日本での評判だった。
前置きが長くなった。ボーリン時代のパープル唯一のアルバムから。A面1曲め。1:40から56小節の長尺ギターソロだ。
長尺なギターソロは、普通ならアドリブ主体になりそうなものだが、これはアドリブ感が全くない。見事に構築された、長いのに、むしろコンパクトという印象を受ける・・・って変な話しだが。良い演奏は短く感じる、ということなのだろう。速弾きをひけらかすわけでなく、ギターを泣かせるわけでなく、トリッキーな奏法を使うでなく、ドラマチックに起承転結するでもなく短い反復を肝としてむしろ淡々と、長尺を聴かせる。異能のギターソロだ。しかし彼がこの手のギターソロを弾いたのはこの曲だけだ、私の知る限るでは。曲に合ったギターソロを弾ける人でもあったんだな。惜しかった。顔はショーケンに似ていた。
続きまして、異能と言えばこの人。エイドリアン・ブリュー。トーキング・ヘッズでのゲスト演奏。これを聴いたのは二十歳過ぎだったが、ちょっとビッツラした。ヘッズ4枚めの問題作から、グレート・カーブ。1:53から1回目。5:30からアウトロでの2回め。
私が二十歳前後に傾倒したニューウェーブ/オルタネイティブよいうムーブメントは、ギターソロは古臭いもの、という風潮を含んでいた気がする。多くのバンドは技術的にソロが出来なかった事実もありそうだが、R&B、R&Rから遠ざけるのが旗印。極力ソロは弾かず、弾いたとしてもブルース由来のフレーズを廃した短いソロならOK。そんな感じか?ということにしておく。そんな中で好きなギターソロがこれ。テレヴィジョンの1stのA面1曲め。シー・ノー・イーブル。1:50から。
歌心ある、巧みに構築された、作曲系ギターソロだ。ブルース由来は廃する、なんて書いたが、このソロは、ところどころにハードロックっぽいフレーズを配しつつ、でもハードロック臭は全く感じさせない、曲調に相応しいソロを作りだしている。奏でるはリーダーのトム・ヴァーライン。この曲の他にも、多くの異能ギターソロを残している。
異能ということでは、この人も隠れ異能として認定してもいいのでは?ジョージ・ハリソン。ギター担当なのに大して上手くもない、という定説が確立してしまった昨今。上手くもない、というのは語弊があって。決められた役割はキッチり熟す人であり、言わば、ロール・プレーヤーとして優れている、と言える。そのロールは、主にバッキングでの話しだが、限定的にギターソロでもいい仕事もしている。その代表作。
ジョン・レノンの有名アルバム’イマジン’の、個人的ベストトラック。B面の1曲め。’真実が欲しい’
やたらカッコいい、ロック的にカッコいい。ジョージのベストソロじゃないかな。ギターが上手くならない、止めようか、と悩んでいる、日本のアマチュアギター少年達は、こういうソロを手本にすると良い。身体能力のない基本に忠実な米のバスケプレーヤーを捕まえて、日本のプレーヤーは手本にしてほしい、とホザく時代錯誤の解説者みたいなことを言っているが、こちらは本当のことだ。
個人的に、やたら速弾きなだけで歌心も構成力も曲とのマッチングもないギターソロは大嫌いなので、自然にこんなラインアップになった。今日のところはこれくらいで。またやるかもしれん。