お母さんが子供を守るための武器(1) 暫定基準値は危険
お母さんが子供を守るための武器(1) 暫定基準値は危険
福島原発事故が起こってから、地方交付税と関係があるのかも知れませんが、本来なら市民を守る立場の自治体が、それまで市民を放射線被曝から守ってきたさまざまな法律や前提に違反して、「被曝は大したことはない」というキャンペーンを続けています。
今回、取り上げるのは「放射性物質の海洋投棄」というこれもまた破天荒な決定をした横浜市を取り上げます。横浜市は将来の日本の宝である児童の給食に汚染された牛肉を出し、「汚染されていたことは確かだが、児童に影響はない」として謝罪もしていない自治体です。
横浜市が最近、大きな税金を使って作った「広報よこはま 放射線特集」に放射線の解説を載せましたが、その内容は「いかにして市民を被曝させるか」という内容を持ち、「どうせ、市民は法律も科学も知らない」という前提に立っているように見えます。おそらく裏の目的は「経済とお金」にあると思いますが、横浜に長く住んでいた私にとっては耐え難いことです。
この図は横浜市が「食品の暫定基準を守れば安心だ」ということを示すために広報よこはまに示している図で、食品に含まれるセシウムの暫定基準値を合計しても1年間に5ミリシーベルトになるに過ぎないと強調しています。
この図では、まず第一に「セシウム」のみで食品から被曝する上限を「5ミリシーベルト」としています。福島原発から出た放射性物質はヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどがあり、特に最初の段階では放射性を持つヨウ素が多いのです。それにも関わらず「セシウム」だけで5ミリシーベルトになっています。
また、空気中や地表に落ちている放射性物質からの空間線量は毎時0.2マイクロシーベルトを超えるところが多く、0.5マイクロシーベルト以上のところも散見されます。0.5マイクロというと年間で4.4ミリシーベルトになります。
また、運動をする子供などは土ホコリを吸って、空間線量からと同じような被曝をするでしょう。それも入れると4.4+4.4=8.8になります。つまり「食材からのセシウムの被曝だけで5ミリ」ということは、セシウム以外の放射性元素を全部足してもセシウムだけとしても(このような楽観的な推定は毒物ではしてはいけないことになっていますが、ここでは横浜市の考え方にそって計算します)、{食材からのセシウム(5ミリ)+セシウム以外(5ミリ)+外部被曝(4.4ミリ)+土ホコリなど呼吸から(4.4ミリ)}で合計18.8ミリ、つまり約20ミリシーベルトに達します。つまり、どう見ても1年間10ミリから20ミリの被曝は問題なしとしています。
ところが、同じ広報よこはまの中には、次のような図があります。
[
Photo_3]
ここでは「一般公衆の年間被曝限度」をハッキリと1年1ミリシーベルトとしています。同じ広報に、一つは5ミリ(実質10ミリから20ミリ)、一つは1ミリと違うのですから、よほど横浜市民はバカにされたものです。
また、どうして横浜市が勝手に1ミリを20ミリまであげることができるのでしょうか? この矛盾を突かれないために横浜市ではもっとも権威のある病院のお医者さんのコメントを載せて「心配ない」と言わせています。
でも、お医者さんももう少し慎重に取り組んで貰いたいものです。というのは、お医者さんは医療被曝についての決定権を持っていますが、一般公衆の浴びる放射線についてはコメントする権限自体を持っていないのです。医療被曝がお医者さんに任されているのは「お医者さんが患者の容体を監視している」という条件がついているのです。
それに対して一般公衆は常に病院にかかっている訳ではありません。だから、一般公衆被曝についてお医者さんがコメントするには前提を変えなければならないからです。日本人が素朴に信頼しているお医者さんを使って子供の被曝を増やそうとしているとしか思えませんし、お医者さんもご自分の権限を越えたところについてのコメントは控えて貰いたいものです。
もう一つ、説明が間違っています。「それらを毎日、1年中食べ続けても5ミリ」ということですが、食品はもともと1年中、食べ続けます。今週は食事をとったから来週は絶食するなどという人はいないのです。食材の基準値というのは標準的な食事を仮定して、それを毎日食べても大丈夫ということで設定されます。「食事を1年中、食べ続けることはない」というこの文章は実に奇妙です。間違った説明で子供が被曝していくのですから、耐え難いことです。
中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)
福島原発事故が起こってから、地方交付税と関係があるのかも知れませんが、本来なら市民を守る立場の自治体が、それまで市民を放射線被曝から守ってきたさまざまな法律や前提に違反して、「被曝は大したことはない」というキャンペーンを続けています。
今回、取り上げるのは「放射性物質の海洋投棄」というこれもまた破天荒な決定をした横浜市を取り上げます。横浜市は将来の日本の宝である児童の給食に汚染された牛肉を出し、「汚染されていたことは確かだが、児童に影響はない」として謝罪もしていない自治体です。
横浜市が最近、大きな税金を使って作った「広報よこはま 放射線特集」に放射線の解説を載せましたが、その内容は「いかにして市民を被曝させるか」という内容を持ち、「どうせ、市民は法律も科学も知らない」という前提に立っているように見えます。おそらく裏の目的は「経済とお金」にあると思いますが、横浜に長く住んでいた私にとっては耐え難いことです。
この図は横浜市が「食品の暫定基準を守れば安心だ」ということを示すために広報よこはまに示している図で、食品に含まれるセシウムの暫定基準値を合計しても1年間に5ミリシーベルトになるに過ぎないと強調しています。
この図では、まず第一に「セシウム」のみで食品から被曝する上限を「5ミリシーベルト」としています。福島原発から出た放射性物質はヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどがあり、特に最初の段階では放射性を持つヨウ素が多いのです。それにも関わらず「セシウム」だけで5ミリシーベルトになっています。
また、空気中や地表に落ちている放射性物質からの空間線量は毎時0.2マイクロシーベルトを超えるところが多く、0.5マイクロシーベルト以上のところも散見されます。0.5マイクロというと年間で4.4ミリシーベルトになります。
また、運動をする子供などは土ホコリを吸って、空間線量からと同じような被曝をするでしょう。それも入れると4.4+4.4=8.8になります。つまり「食材からのセシウムの被曝だけで5ミリ」ということは、セシウム以外の放射性元素を全部足してもセシウムだけとしても(このような楽観的な推定は毒物ではしてはいけないことになっていますが、ここでは横浜市の考え方にそって計算します)、{食材からのセシウム(5ミリ)+セシウム以外(5ミリ)+外部被曝(4.4ミリ)+土ホコリなど呼吸から(4.4ミリ)}で合計18.8ミリ、つまり約20ミリシーベルトに達します。つまり、どう見ても1年間10ミリから20ミリの被曝は問題なしとしています。
ところが、同じ広報よこはまの中には、次のような図があります。
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Photo_3]ここでは「一般公衆の年間被曝限度」をハッキリと1年1ミリシーベルトとしています。同じ広報に、一つは5ミリ(実質10ミリから20ミリ)、一つは1ミリと違うのですから、よほど横浜市民はバカにされたものです。
また、どうして横浜市が勝手に1ミリを20ミリまであげることができるのでしょうか? この矛盾を突かれないために横浜市ではもっとも権威のある病院のお医者さんのコメントを載せて「心配ない」と言わせています。
でも、お医者さんももう少し慎重に取り組んで貰いたいものです。というのは、お医者さんは医療被曝についての決定権を持っていますが、一般公衆の浴びる放射線についてはコメントする権限自体を持っていないのです。医療被曝がお医者さんに任されているのは「お医者さんが患者の容体を監視している」という条件がついているのです。
それに対して一般公衆は常に病院にかかっている訳ではありません。だから、一般公衆被曝についてお医者さんがコメントするには前提を変えなければならないからです。日本人が素朴に信頼しているお医者さんを使って子供の被曝を増やそうとしているとしか思えませんし、お医者さんもご自分の権限を越えたところについてのコメントは控えて貰いたいものです。
もう一つ、説明が間違っています。「それらを毎日、1年中食べ続けても5ミリ」ということですが、食品はもともと1年中、食べ続けます。今週は食事をとったから来週は絶食するなどという人はいないのです。食材の基準値というのは標準的な食事を仮定して、それを毎日食べても大丈夫ということで設定されます。「食事を1年中、食べ続けることはない」というこの文章は実に奇妙です。間違った説明で子供が被曝していくのですから、耐え難いことです。
中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)
世界の異端児・日本・・・その心を探る(2)家電リサイクル
世界の異端児・日本・・・その心を探る(2)家電リサイクル
私の人生でもっとも名誉なことと言えば、高等学校の国語の教科書に私の文章が載ったことでしょう。掲載された「現代国語」の教科書が送られてくると、私の前に川端康成、私の後に中原中也や夏目漱石の名前が連なり、これほどビックリしたことはありませんでした。
「愛用品の五原則」というタイトルのついたこの文章は私の著書「エコロジー幻想」の一節でしたが、まずインド独立の父、ガンジーの言葉を引用し、
「こころというのは落ち着きのない鳥のようなものであるとわたしたちはわきまえています。物が手に入れば入るほど、わたしたちの心はもっと多くを欲するのです。そして、いくら手に入っても満足することがありません。欲望のおもむくままに身を任せるほど、情欲は抑えが利かなくなります。」
から始まっています。その後、若干の文章が続き、当時、私が考えていた「愛用品の五原則」を示したのです。
一、 持っているものの数がもともと少ないこと
二、 長く使えること
三、 手をやかせること
四、 故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること
五、 磨くと光ること、または磨き甲斐があること
当時、リサイクル全盛でしたが、「リサイクルで資源を節約できる」という考えは近代科学が築き上げた「永久機関は存在しない」ということと学問的には同じなので、強い疑問を持っていました。そこで「ものを大切にする」というのは「使い捨てて、リサイクルをする」というのではなく、「ものに愛着を感じる生活」ではないかと感じていたのです。
日本社会を席巻したリサイクル熱は、プラスチックゴミから始まり家電リサイクルまで進みました。当時の通産省の幹部が「家電リサイクルは矛盾に満ちているから、日本のように官が主導し、家電業界が強い日本しかできないだろう」と言ったと伝えられました。
近代科学や永久機関を知らない人でも、少しでも理性と考える力があれば、「捨てるのに500円、リサイクルで3000円」ということと、「リサイクルすると資源が回収できる」ということとが完全に矛盾していることに気がついたと思いますが、利権の力と圧倒的な報道によって矛盾は完全に社会の中に埋没したのです。
資源が回収できるなら単に捨てるときに500円なら、それから資源回収によって得られる利益200円を引いて、300円になるはずだからです。今、3000円は6000円になって業者の懐に入っています(半分は5000円で輸出され、業者は日本人から3000円、外国人から5000円を取っている)。
それから10年。世界でリサイクルをしている国は日本を含めてどこにもありません(ここでいうリサイクルとは、一度使ったものをもう一度使うという意味で、「焼却」したものは入れていません)。まさに当時の通産省幹部が言ったように、官と業界が一体となって国民に事実と異なる情報を流さなければできないことだったのです。
当時、私は「環境先進国」と言われるドイツやイギリスのリサイクル率を調べ、ドイツが8%、イギリスが1%であることを知って愕然としたものです。それは今、原発事故を受けて急速に盛り上がっている自然エネルギーフィーバーとも類似したものでした。事実を見ず原理主義に陥った私たちでした。
原発事故は「原発は安全である」というお札を掲げ、現実は危険だからこそ人口が少ない場所に建て、交付金を出すということとの矛盾に、知らない顔をしてきた日本人の特徴が現れているのですが、それと同根のように思えるのです。
「takeda_20110914no.135-(6:41).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)
私の人生でもっとも名誉なことと言えば、高等学校の国語の教科書に私の文章が載ったことでしょう。掲載された「現代国語」の教科書が送られてくると、私の前に川端康成、私の後に中原中也や夏目漱石の名前が連なり、これほどビックリしたことはありませんでした。
「愛用品の五原則」というタイトルのついたこの文章は私の著書「エコロジー幻想」の一節でしたが、まずインド独立の父、ガンジーの言葉を引用し、
「こころというのは落ち着きのない鳥のようなものであるとわたしたちはわきまえています。物が手に入れば入るほど、わたしたちの心はもっと多くを欲するのです。そして、いくら手に入っても満足することがありません。欲望のおもむくままに身を任せるほど、情欲は抑えが利かなくなります。」
から始まっています。その後、若干の文章が続き、当時、私が考えていた「愛用品の五原則」を示したのです。
一、 持っているものの数がもともと少ないこと
二、 長く使えること
三、 手をやかせること
四、 故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること
五、 磨くと光ること、または磨き甲斐があること
当時、リサイクル全盛でしたが、「リサイクルで資源を節約できる」という考えは近代科学が築き上げた「永久機関は存在しない」ということと学問的には同じなので、強い疑問を持っていました。そこで「ものを大切にする」というのは「使い捨てて、リサイクルをする」というのではなく、「ものに愛着を感じる生活」ではないかと感じていたのです。
日本社会を席巻したリサイクル熱は、プラスチックゴミから始まり家電リサイクルまで進みました。当時の通産省の幹部が「家電リサイクルは矛盾に満ちているから、日本のように官が主導し、家電業界が強い日本しかできないだろう」と言ったと伝えられました。
近代科学や永久機関を知らない人でも、少しでも理性と考える力があれば、「捨てるのに500円、リサイクルで3000円」ということと、「リサイクルすると資源が回収できる」ということとが完全に矛盾していることに気がついたと思いますが、利権の力と圧倒的な報道によって矛盾は完全に社会の中に埋没したのです。
資源が回収できるなら単に捨てるときに500円なら、それから資源回収によって得られる利益200円を引いて、300円になるはずだからです。今、3000円は6000円になって業者の懐に入っています(半分は5000円で輸出され、業者は日本人から3000円、外国人から5000円を取っている)。
それから10年。世界でリサイクルをしている国は日本を含めてどこにもありません(ここでいうリサイクルとは、一度使ったものをもう一度使うという意味で、「焼却」したものは入れていません)。まさに当時の通産省幹部が言ったように、官と業界が一体となって国民に事実と異なる情報を流さなければできないことだったのです。
当時、私は「環境先進国」と言われるドイツやイギリスのリサイクル率を調べ、ドイツが8%、イギリスが1%であることを知って愕然としたものです。それは今、原発事故を受けて急速に盛り上がっている自然エネルギーフィーバーとも類似したものでした。事実を見ず原理主義に陥った私たちでした。
原発事故は「原発は安全である」というお札を掲げ、現実は危険だからこそ人口が少ない場所に建て、交付金を出すということとの矛盾に、知らない顔をしてきた日本人の特徴が現れているのですが、それと同根のように思えるのです。
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中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)
戦争後、もっとも大きな事件の映像
戦争後、もっとも大きな事件の映像
かつて、戦争で焼け野原になった東京の地に復員した兵士が、その光景に立ちすくんだという話をよく聞いたものです。日本人は戦争で本当にひどい目に遭ったのですが、その後、奇跡と言われるほどの気力で立ち上がりました。
戦後の日本は朝鮮動乱を経て回復し、思想的には左右の厳しい対立はあったものの、高度成長を遂げてJapan as No.1と言われるまでになったのです。
その間、地震で言えば東日本大震災、阪神淡路大震災があり、伊勢湾台風、諫早豪雨などの自然災害の他、下山事件、浅間山荘事件、日航機墜落事故、ロッキード事件、バブル崩壊などの政治・経済・社会の事故事件もありました。それでも、福島第一原発、その中でも3号機の爆発ほど後の社会に巨大な影響を及ぼすと思うものは無いでしょう。
整然と並んでいる原子力発電所。すでにその時には1号機が爆発、さらには2号機の内部も破壊していたのですが、それでもプルトニウムを含む燃料を使っていた3号機の爆発はすさまじいものがありました。一瞬、建物の右(南側)に閃光が走り、轟音とともに爆発、その噴煙は300メートルほどに達しました。
2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない」という審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、この爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をしたのです。
科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、それまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。
しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」ということにあると思います。ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易センタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビは、この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。
本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」についても微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてきたのです。
原発の爆発・・・ほとんどの人が「本当!?」とビックリする事態が起こっても、「3号機でモヤが見えますね」という誤報を出して、この事実は歴史の中に封じ込められようとしています。日本のエネルギーの主力として進めてきた原発、広島原爆で世界で唯一、大規模な被害と被曝を受けた日本人・・・それがこんな結果になったのです。
今からでも遅くはないので、私たちはアメリカの9.11よりも、この映像を繰り返し報道し、目に焼き付け、そして日本のエネルギー政策と「社会的ウソと錯覚の発生」について再出発を決意しなければならないでしょう。
「takeda_20110914no.133-(6:09).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)
かつて、戦争で焼け野原になった東京の地に復員した兵士が、その光景に立ちすくんだという話をよく聞いたものです。日本人は戦争で本当にひどい目に遭ったのですが、その後、奇跡と言われるほどの気力で立ち上がりました。
戦後の日本は朝鮮動乱を経て回復し、思想的には左右の厳しい対立はあったものの、高度成長を遂げてJapan as No.1と言われるまでになったのです。
その間、地震で言えば東日本大震災、阪神淡路大震災があり、伊勢湾台風、諫早豪雨などの自然災害の他、下山事件、浅間山荘事件、日航機墜落事故、ロッキード事件、バブル崩壊などの政治・経済・社会の事故事件もありました。それでも、福島第一原発、その中でも3号機の爆発ほど後の社会に巨大な影響を及ぼすと思うものは無いでしょう。
整然と並んでいる原子力発電所。すでにその時には1号機が爆発、さらには2号機の内部も破壊していたのですが、それでもプルトニウムを含む燃料を使っていた3号機の爆発はすさまじいものがありました。一瞬、建物の右(南側)に閃光が走り、轟音とともに爆発、その噴煙は300メートルほどに達しました。
2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない」という審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、この爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をしたのです。
科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、それまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。
しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」ということにあると思います。ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易センタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビは、この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。
本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」についても微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてきたのです。
原発の爆発・・・ほとんどの人が「本当!?」とビックリする事態が起こっても、「3号機でモヤが見えますね」という誤報を出して、この事実は歴史の中に封じ込められようとしています。日本のエネルギーの主力として進めてきた原発、広島原爆で世界で唯一、大規模な被害と被曝を受けた日本人・・・それがこんな結果になったのです。
今からでも遅くはないので、私たちはアメリカの9.11よりも、この映像を繰り返し報道し、目に焼き付け、そして日本のエネルギー政策と「社会的ウソと錯覚の発生」について再出発を決意しなければならないでしょう。
「takeda_20110914no.133-(6:09).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年9月14日)