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何故「福島のものは移動してはいけないの?」読者からのご質問

「福島のものは移動してはいけないの?」読者からのご質問

日進市の花火のことや、福島(東北)の野菜、それに瓦礫などのことで私が「持ち出してはいけない」と言っているので、反論もあるし、抗議も来ています。でも「どうしていけないの?」というご質問も多いのでもう一度、なぜ「福島のものは移動してはいけないのか?」について説明をしておきます。

読者の方から次のようなニュースをいただきました。

「「光るキーホルダー」として、規制値を超す放射性物質「トリチウム」が入った製品を無許可で販売したとして、千葉県警が今年4月に放射線障害防止法違反の疑いで、県内に住む中学生の14歳の少年を書類送検した。」

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この事件は「日本は法治国家である」、「放射性物質はむやみに移動してはいけない」ということを明確に示しています.相手が14歳の少年でも「法は法」ということです。

日本の法律では、「1時間0.6マイクロシーベルトを超える場所(管理区域)、およびセシウムでは1グラムあたり1000ベクレルを超えるもの(放射性物質)を取り扱う場所」から持ち出すときには、持ち出すものが「汚染されていないか」を厳密に測定し、その記録を残しておかなければなりません。

そうすると、福島の東の地域の多くが0.6マイクロシーベルトを超えていますので、そこから物品を持ち出してはいけないのです。たとえばある大学の研究室で放射性物質を扱い、管理区域になっているときに、「これは大丈夫」と勝手に判断してあるものを持ち出してはいけないのです。このことを厳密に守ることで日本は「法治国家」として「被曝の被害を防ぐ」ということをしてきたのです。もちろん原発も同じです。

日進市の花火の時に、記者さんからは「倉庫に入っていて汚染されている可能性が低いのにダメですか?」というご質問がありましたが、「**町からということで判断するなら、その町のどこかに0.6マイクロシーベルトを超えるところがあったらダメです」と答えました。

野菜や瓦礫も同じで、0.6マイクロシーベルトを超える場所が指定されていて、そこが管理区域になっていれば、そこから出すものは検査が必要で、管理区域以外は自由な移動が可能です。つまり、さっきの大学の研究室の例では、「研究室全体」が指定されていれば、研究室のなかで汚染されていないところに置いてあったものも移動は禁止です。その代わり、便利なこともあって、研究室の中は自由に移動ができるのです。

今、福島には0.6マイクロシーベルトを超えるところがあります。だから「福島の」とか「東北の」と言えば、その全域が含まれます。だから福島の中は自由に移動できますが、その代わり「福島のものは他県に移動してはいけない」ということになります。これを東北の人が「東北全体」に拡大すると、東北の中は自由に移動可能ですが、東北以外には出せなくなります。

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汚染されたものを移動するというのは他人の健康に関係するので、自分で独自に判断することは許されず、それによって日本は安全な国になっていたのです。日進市のことで私が環境放射線の教授のコメントを批判したのは、このことを十分に知っておられるからです。

福島原発事故以来、日本の放射線防護の法体系をよく知っている専門家、知っていなければならない自治体が法律違反をし、その傍らで14歳の少年を書類送検したりしているのは実に奇妙です。

自分のお金を守るより、他人の健康を守るという善良な国民であって欲しいと思います。子供を逮捕するのではなく、大人がしっかりしてください!!

「takeda_20110927no.167-(7:28).mp3」をダウンロード

中部大学武田邦彦
(平成23年9月27日)

民主主義における正義・・・法・運動・裁判

民主主義における正義・・・法・運動・裁判

必要があって大学で「技術者の倫理」を教えている。2011年の原発事故もその原因のいったんは技術者(耐震技術、防潮堤、非常時の防御など)に深く関係している。現代社会で技術者が正しい倫理観をもって業務にあたるのはとても重要だ。

講義では技術者としては何を「正義」とするかという話をするのだが、初めて聞く内容なので多くの学生がビックリする。

内容は簡単で、

1) 自分が正しいと考えるものは、正しいとは限らない、

2) 「正しい」というのは、神様、偉人、相手、法律で定まっていることだけと考えて良い、

3) 日常的な規則、規律などはそれが「正しい」ということまで吟味されていない、

ということだ。そして「もし、個人個人が正しいとすると人の数だけ正しさがある」、「民主主義では相手の正しさを「正しいのではないか」と認めることだ」という話をした後、技術者の正しさは第一に「相手が正しいと思うことだ」であると話す。「ブレーキがきく車が良いですか、効かない方が良いですか?」と聞けば、相手は「それは効いてくれなければ困る」と言うだろう。その時にはぜったいにブレーキが効く車を生産しなければならない(事実、ブレーキが効かないことを知っていて販売した例がある)。

倫理の黄金律には、「相手のイヤなことをしない」という静の黄金律と、「相手の好むことをする」という動の黄金律がある。それを教えた後、「技術者は常に相手に聞いてその希望を叶え、社会で合意した法律に従う。決して自分で正しいことを決めてはいけない」と教える。

技術者は、航空機を作り、ビルを建設し、機械を設計する。それには「学問的に明らかになっていることを勉強し、長期間鍛錬し、相手の希望を聞き、法律に基づかなければ危険なものを社会に提供する」ということになるからだ。

技術者は厳密でなければならない。「こんなものを作りたい!」と思っても決して作ってはいけない。それによって生じる災害を個人で克服することは困難だからである。具体的なこれまでの事故の事例、その中で何を人間が間違ったのかについて丹念に学生に講義をする。そして時には次の絵を見せて、学生に回答を求める。

「この絵はソクラテスが毒杯をあおいだ時の情景を描いている。ギリシャでは街頭で議論することが禁じられていて、哲学の父、ソクラテスはそれに反したとして死刑の宣告を受ける。ソクラテスを死刑にすることはどう見ても不合理だったが、ソクラテスは「悪法も法なり」との言葉を残して弟子が差し出した毒杯を飲んで死んだと伝えられている。このことを現代の具体的な技術事故の事例を引いてその適否を論じよ」

法は社会的な約束である。それが間違っているとしても、法を改正してからにしなければならない。また人の見えないところで法をくぐれば良いというものでもない。技術者はその使命を全うし表裏なく倫理的に仕事をしてもらいたいと私は言う。

今回の原発事故で技術の倫理は守られたのだろうか? それとも各自が「自分の正義」を声高に叫んでいるだけだろうか? 秋学期が始まり、また学生に考えてもらわなければならない。

「takeda_20110927no.166-(8:01).mp3」をダウンロード

中部大学武田邦彦
(平成23年9月26日)

原発事故6ヶ月と将来(2) 生活編

原発事故6ヶ月と将来(2) 生活編

原発事故から6ヶ月。福島原発はともかくとして、そこから飛散した放射性物質の量は実に80京ベクレルから100京ベクレルにも達します。5年前、大騒ぎをした新潟刈羽原発の事故の時の漏洩量が3億ベクレルだったことを考えると、実にその30億倍ですから今回の事故のすさまじさが判ります。

事故直後、発電所から地元への通報体制がなっていなかったことも判りましたが、次に政府が、「遠くに逃げろ」と「直ちに健康に影響がない」との2つの誤った情報を流し、それによって多くの国民を被曝させました。特に放射線の健康障害が「急性」になることはよほどのことですから、「直ちに」という表現は不誠実極まりもなかったのです。

東大とハーバード大をでた経産省のエリート中のエリートが正式記者会見で「基準値の3355倍だが健康に影響はない」と言いました。その本人はやがて高級ホテルを舞台にした不倫で退場します。現代のいわゆるテスト競争に勝つ人たちというのがいかに魂が汚れ、心の無い抜け殻人種であることがわかります。自分の身を守るために日本の大地を汚し、子供たちを被曝させるのに何の躊躇も無いのです。

今度の原発事故を「生活」の面から見ると、最初からボタンの掛け違いでした。政府の中枢部や東大教授が「どうしたら国民を被曝から守るか」ということを考えれば、気象庁が風向きを出し、文科省がSPEEDIを公開し、避難用のバスを手配し、速やかに国民を非難させ、公務員とボランティアを組織して除染作業に当たることはきわめて容易だったのです。

その後、本来なら子供を守るために必死になるはずの文科大臣が「20ミリ(400回のレントゲン)まで我慢しろ」と言い、教育委員会がそれに追従するに至って、国民は自衛に切りかえました。その中でもお母さんの動きが速かったこと、男性は「ばかやろうおじさん」に代表されるように、子供を被曝させる側に立ちました。

4月は、3月に漏れた放射性物質が風に流されて3方向にながれ、まだ空気中に飛んでいました。この頃、空気中の放射性物質が家庭の中に入り込んだのですが、政府の誤報もあって、お母さんは「家の中を拭く」ということに思い至りませんでした。そこで私は「粒がある」、「花粉のようなものだ」、「水拭きが有効だ」、「赤い粉がある」、さらには「悪い奴がそこにいるのだ」と繰り返し、お母さんは床や壁を拭いてくれました。

それによって室内の放射線量は平均して3分の1ぐらいになり、子供たちの被曝量も3分の1になったのです。中には芝生をはいだり、家具を捨てたりした人もおられますが、なにしろ放射性物質を身の回りから少しでものける必要がある時期でした。

今でも基本的には変わっていませんが、4月から5月にかけて、専門家や自治体が「除染しなければならない」と指導してくれれば、日本人の総被曝量はかなり減ったでしょう。

私が個人で呼びかけても限界がありますし、自治体が「何もしなくても良い」と繰り返したのは法律違反でもありました。

5月に入ると、放射性物質は地面に落ち、私は「お子さんを外出させるときには手を引かずにだっこして」と呼びかけました。浅草の空間線量が0.2マイクロまで落ちても、地面は10倍もあったからです。それと同時に地面に降った放射性物質は、野菜を汚し、水道に検出されるようになりました。

6月になってもまだ自治体は「1年100ミリでも健康に影響がない。1年1ミリというがどの法律に書いてあるのか!」と市民を罵倒していました。もしかすると半減期が8日のヨウ素が減少するまで頑張る(市民を被曝させる)計画だったのかも知れません。

7月、8月になって放射性物質は地面に落ち、ホットスポットも明らかになり、ようやく法律も理解され始めました。今では、1年1ミリが法律の規定であり、他のものは政府が非難や除染をしたくないから決めた値であることが判ってきました。

そして半年たって私たちは子供を守る長い旅に出ようとしています。原子力をやらなくても日本のエネルギーに問題は無かったのです

が、私たち大人(特に私のような原子力に関係した人)の責任は重たいのですが、その失敗を子供たちに負わせることはできません。

生活の原理原則は次の通りです。

1) 汚染マップを覚えて、汚染の近いところに近づかないで何気なく被曝量を減らす、

2) 内部被曝は打撃が長く続くので、食材に十二分に注意する、

3) 東北の人も一緒になって「東北を助けるのは被曝するのではない」、「汚染を全国に拡げてはいけない」という点で一致協力すること、

4) 限定的な地域にある汚染物質を拡散しない(花火や瓦礫に象徴される)、

です。長期戦ですから、あまり肩の力をはらず、「被曝は怖くない」と言う人とはあまり激論せず(結果が問題ですから)、継続的に法律を守ることを求めて行くことと思います。

日本が幸運なら、日本の大地は交換が早いので、チェルノブイリの5倍ぐらいのスピードで自然の除染が進む可能性もありますし、政府や自治体も少しは注意をするようになるでしょう。

人間の手で除染するのは簡単で、土を表面から5ミリ、アスファルトを表面から2ミリ削ること、森林は樹木の枝を落とすことで、それを福島原発の半径5キロの地域に持って行って、樹木は焼却(フィルターつき)、アスファルトや土は除染洗浄して、その水を処理することを15年間で完了します。技術もあり、あとは決意だけで日本はもとの国土を取り戻すことができます。

そして、5年後、「良かった!子供を守ることができた!」と言うようになりたいものです。

また、経済を重視する人の中には「原発がないと日本経済が停滞する」と心配していますが、そんなことはありません。まず原発の電気代は安いと言われていますが、税金(年5000億円)、安全対策費、廃棄物処理費などを合計しますと、電力単価はほぼ石油、石炭並みか高めです。

今まで、電力の経営が目指してきたのは、原子力をやることによって国から税金を引き出し、その分だけ経営を改善するということです。経営者にとっては必ずしも悪い手段ではありませんが、国民にとっては電気代でも税金でも同じですから、それも専門家が指摘する必要があります。

また、石油・石炭・天然ガスはほぼ永久につかます(数1000年)ので、心配は要りませんし、温暖化は日本にほとんど被害を与えませんから、これも無関係です。資源枯渇や温暖化の問題はそれ自体を深く考えても良いのですが、それより「アメリカの動き」を見ていますとよくわかります。アメリカが動かなければあまり切羽詰まってはいないということです。

だから、(福島の人には不適切な表現ですが)、科学技術から言えば)原発は実験してみたら、地震に弱いことが判ったのですから、いったん基礎研究に戻り、出直す方が良いでしょう。

経済の人は「景気を良くする」というのは物流などもありますが、それより人の心が明るく、一致していることだと言うことをおわかりと思います。福島原発事故が起こっても原発を無理矢理稼働しても、なにか引っかかるものが残り、議論も紛糾します。

中部大学武田邦彦
(平成23年9月26日)