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【原発作業員死亡】「対応は東電にお任せしている」 警察権委譲を認める園田政務官

tanakaryusaku

 この国では、警察権を持つのは政府ではなく東電であることが明らかになった。現職の政務官が語るに落ちたのである。東電本店で11日夕、行われた東京電力と政府による合同記者会見での出来事だ。
 東電福島第一原発の事故処理にあたる作業員が短期間に3人死亡していることについて、園田康博政務官に筆者はじめ複数のジャーナリストが「司法解剖、行政解剖しているのか?」と質問したところ、園田政務官は「対応は東電にお任せしている」と答えた。

 人が自然死ではない死に方を遂げた場合、警察が司法解剖する。解剖にまでは至らなくても、病死や老衰といった自然な死に方でない場合、警察の検視官が死体を検分に行く。腹上死のようなものであってもだ。
 原発作業員の死亡について筆者は園田政務官に「警察が司法解剖したのか、していないのか?」と質問した。園田氏は「警察は私の担当ではない」と答えた。わざとスットボケたのではない。彼は本当にそう思っているようだ。園田氏は「警察からも聞いていない」そうだ。
 明らかに政治家として職務怠慢である。無能と言った方が正確だろう。原発事故をめぐる政府の対応のまずさにより、子供や妊婦を含めて多くの人が被曝したのである。園田政務官にはその自覚すらないようだ。

 怒りを禁じ得なかった筆者は、無礼を承知で突っ込んだ。「何をトボケたこと言ってるんですか。あなたは原子力担当の政務官なんですよ。線量が高い原子力発電所の現場で働いていた作業員の死亡原因を把握するのは、あなたの職務ではありませんか」。
 こうまで言われても園田氏は「対応は東電にお任せしている」としか答えなかった。
 6日、死亡した作業員の被ばく量は「2・02ミリシーベルト」とされているが、これはあくまでも東電の発表なのである。
 「時津風部屋で起きた力士の死亡事件の究明を親方に任せているようなもの」。ジャーナリストの柳原美香さんは、事態をこのように喩えて園田政務官に迫った。
 園田政務官は「対応は東電にお任せしている」の一点張りだ。

 医学部で放射線物理学を専攻していた、おしどりマコさんの追及は問題の本質を突いていた。「児童虐待など加害者側が隠ぺいを図る場合、もしくは社会的な要請が高い場合、行政解剖が行われる。警察庁に行政解剖を指示するおつもりはないのか?短期間に同じ敷地内で作業員が3人死亡しているが、いずれも自然死だとお考えですか?」。
 園田政務官は判で押したように「対応は東電にお任せしている」と答えた。
 東電には警察官出身者が32人も天下っている。OBが後輩に「深入りするなよ」と電話一本かければ、遺体は原発からそのまま墓場に葬られる。東電が警察OBを高待遇で受け入れる理由だ。
 東電の記者会見場そばのトイレはいつ行っても人気がない。仮に田中龍作が何者かにスパナで頭を打ち砕かれて殺されたとする。通常、警察が司法解剖するが、東電が「田中氏の死因は脳溢血でした」と発表すればそれまでだ。園田政務官は例によって「対応は東電にお任せしている」と答えるだろう。

「マスコミが騒ぐから裁かなきゃならない」 陸山会事件判決に抗議デモ

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 小沢一郎・元民主党代表の政治資金管理団体が購入した土地をめぐる政治資金規正法違反事件で、裁判所が確たる証拠に基づかないまま、小沢氏の3人の秘書に有罪判決を下したことに抗議するデモが9日、都内で行われた。
 東京地裁(登石郁朗裁判長)が先月26日、元秘書の石川智裕議員らに下した有罪判決をめぐっては、有識者や市民の間でも批判が噴出している。
 そもそも検察の起訴罪状は、収支報告書への記入漏れによる政治資金規正法違反であったのにも関わらず、裁判所はカネの性質にまで踏み込んで収賄で有罪であるかのような判決を下したのである。それも裁判官の推認によるものだ。
 新聞・テレビは、ほぼ横並びにこの判決を礼賛した。20年間にわたり続けてきた小沢叩きが実ったと言わんばかりに。事実、ここまで小沢氏を追い込んだのはマスコミと検察だった。
 秩父からデモに参加した男性(50代・自営業)は憤慨しながら語った。「マスコミと検察が『アイツは嫌い』となったら証拠も裁判所も要らない。世の中の闇はどんどん深まるばかり」。男性はNHKの受信契約を打ち切り、新聞も止めている。
 参加者のほとんどは、去年秋から続く「検察とマスコミの横暴を許さない」デモにも加わっている人たちだ。記者クラブと検察が利害を同じくする局面で結託し、世論操作していることに強い危機感を覚えている人たちの集まりである。
 東京都内の会社経営者(男性・50代)は「政府とマスコミが戦争に向けて突っ込んで行った時代と同じ」と憂う。こちらの男性も30年間続けていた日経新聞と読売新聞の購読を止めた。
 浦和市から駆け付けた男性(50代)の言葉が現状をよく表していた。「マスコミが騒ぐから裁かなければならない。これでは法律も何もあったものではない。マスコミの論調を市民感覚というが、特権階級によるカッコつきの市民感覚だ」。
 渋谷・宮下公園を出たデモ隊は公園通りを4列縦隊で歩きながらシュプレヒコールをあげた。「検察と裁判所がグルだ」「裁判所は法律を守れ」……
 民主主義なのだから政治家を批判するのは自由だ。それをとやかく言うつもりはない。だが新聞・テレビが異口同音にそれも20年間も一人の政治家を徹底的に叩く。異常と言わざるを得ない。小沢氏が「記者会見のオープン化」や「クロスオーナーシップの禁止」などマスコミの権益に障害となる政策を掲げているからである。
 陸山会事件の判決に抗議するデモの参加者は約200人。翼賛報道体制の前には多勢に無勢だ。だが原発事故をめぐる情報操作が明るみに出て、マスコミ不信はますます深まった。テレビ離れ、新聞離れは加速度的に進んでいる。少数者の正論が、世論と言われるようになる日はそう遠くないだろう。

著作権パート2 命の関係する情報に著作権はあるか?

著作権パート2 命の関係する情報に著作権はあるか?

(このシリーズは3号機爆発の写真(映像)の公開性について考えるためのものです)

[カメラ3]

このブログでは「著作権パート1」として、著作権の発生の歴史、最近の著作権に関するやや過剰な防御などについて触れました。その後、「科学の進歩と人間シリーズ」で「倫理の黄金律」、つまり「相手のして欲しいことをしなさい」、「相手のして欲しくないことをしない」という考え方に言及しました。

これらの準備を経て、もう一度、著作権と知る権利について考えてみたいと思います。

もともと著作権は「創作や発明の意欲を高める」という目的を持っていましたが、何事も「仕事、お金」が基準になった現在では、「著作権で生活する」という積極的な利用も出てきましたし、ネットなどの出現で「非難されないために」という防御の意味もその理由になってきました。

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ところで私は学術の世界にいましたから、著作権については強い疑問がありました。特に「実験系」と言われる実験を主体とした研究は「自然を明らかにする」ということが主体ですから、測定した結果やそれをグラフにしたものは「地球ができたとき、あるいは数億年前から存在したもの」を単に数値やグラフで示したものですから、実験が正確なら創造性はなく、もしも実験に創造性があれば事実と異なるということになります。

また、実験結果から導き出される科学的な考察や結論も、論理的に導き出されるものであれば創造性はなく、必然的なものとなります。たとえば20世紀最大の発見と言われるワトソン・クリックのDNA構造の解明も「論理的に導き出されたもの」なら、学術的意義は大きいのですが、著作権に該当するとは考えられません。

でも、最近の風潮にのって「確かにデータそのものには著作権は無いかも知れないが、グラフにするときにわかりやすく工夫されている」という理由で著作権を主張する人も出てきました。そうなるともめるのもということになり、どれもこれもグラフを使えないようになってきたのです。

しかし、おおよそ科学のデータを整理するグラフはエクセルやオリジンといった汎用ソフトを用いたものが多く、さらには私が学生に教えるような初歩的で基本的なグラフがほとんどです。それは当然で科学の世界では事実をそのまま正確に相手に伝えることがもっとも大切ですから、他の人がいろいろ解釈できるような「創造性のあるグラフ」などで価値のあるものなどはほとんど無いからです。

マックス・ウェーバーが指摘したように「職業としての学問」が誕生し、学問が商売道具になったとき、すでに著作権は存在したのですが、「学問と著作権」の問題は深く議論されていません。

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それと同様にマスコミが創り出す膨大な情報、さらにはそれの1万倍以上となるネットでの情報が「高い創造性を持ち、社会的に保護しなければならないもの」である確率は高くないと考えられます。

私は書籍などを除いて、論文、講演、マスコミの発言、ブログなどに著作権を求めていませんが、その理由は、1)自分の作品が創造性に乏しいこと、2)読者の知る権利を尊重したいこと、の2つです。

私が書くことの多くは、データに基づいていますし、それを論理的に組み立てた内容がほとんどで、私が創造的に考え出したことなどもしあっても2%ぐらいではないかと感じます。たった2%の創造的部分があるからと言って、文章全体に著作権を主張するのはあまりに図々しく、もし主張するならある部分だけに「これはこのような理由で創造性がある」と断って著作権を主張したいと思っています。

人間社会における知的財産は、他人の助けなくして生まれるものではありません。その意味では現在の著作権は「権利を持つ側の一方的な言い分」が全面に出ているような気がします。情報を得たいと希望している方は、「ご商売は判るけれど、すでに儲けたあとのものなどは自由に使わせて欲しい」というのが正直なところと思います。また歌や絵画のような芸術的で生活に直接的に関係の無いものと、報道記事のように生活に直結するものを同一視するのも行き過ぎではないかと思います。

今回もまたこのシリーズの本題「命に関わる情報に著作権があるか」のところまで行かなかったのですが、少しずつ考えていきます。

中部大学武田邦彦
(平成23年10月10日)