DDS社会 福島と世田谷
DDS社会 福島と世田谷
世田谷で1時間3マイクロシーベルト程度の放射線の場所が発見されて大騒ぎとなった。原因は古いラジウムだったが、なぜ大騒ぎになったのだろうか?
福島では3月から6月ぐらいの時期には3マイクロ以上の地点はいくらでもあったし、今でも3マイクロ以上のホットスポットは無数と言ってよい。
でも、政府は世田谷なら翌日にラジウムを運び出したが、福島はほったらかしている。世田谷に住む人の健康は問題だが、福島の人はどうでも良いというダブルスタンダードだ。こんなことは私には理解できない。
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Bandicam_20111008_225217554]
法律では、汚した人がすぐ片付けることになっている(この条文でいう事業者というのは、東電である)。世田谷を文科省が片付けたとき「法に基づきしかるべき機関が移動する」といった。「違法に放置されている放射性物質を引き取るしかるべき機関」は存在するのである。福島の汚染物質も直ちに持って行けるのだ。
福島の人が世田谷の人と同じ日本人であることを、政府は行動によって示して欲しい。日本国憲法は法の下の平等をうたっている。おそらく政府が福島を見捨てているのは、福島の自治体自身が放射性物質を受け入れるというコメントを複数出していることもあるが、東京の人の方が大切と思っていると思う。ダブルスタンダードは現在の日本では当たり前になってしまった。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月18日)
世田谷で1時間3マイクロシーベルト程度の放射線の場所が発見されて大騒ぎとなった。原因は古いラジウムだったが、なぜ大騒ぎになったのだろうか?
福島では3月から6月ぐらいの時期には3マイクロ以上の地点はいくらでもあったし、今でも3マイクロ以上のホットスポットは無数と言ってよい。
でも、政府は世田谷なら翌日にラジウムを運び出したが、福島はほったらかしている。世田谷に住む人の健康は問題だが、福島の人はどうでも良いというダブルスタンダードだ。こんなことは私には理解できない。
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Bandicam_20111008_225217554]法律では、汚した人がすぐ片付けることになっている(この条文でいう事業者というのは、東電である)。世田谷を文科省が片付けたとき「法に基づきしかるべき機関が移動する」といった。「違法に放置されている放射性物質を引き取るしかるべき機関」は存在するのである。福島の汚染物質も直ちに持って行けるのだ。
福島の人が世田谷の人と同じ日本人であることを、政府は行動によって示して欲しい。日本国憲法は法の下の平等をうたっている。おそらく政府が福島を見捨てているのは、福島の自治体自身が放射性物質を受け入れるというコメントを複数出していることもあるが、東京の人の方が大切と思っていると思う。ダブルスタンダードは現在の日本では当たり前になってしまった。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月18日)
東電が自主避難者への仮払い拒否 紛争審査会タテに
tanakaryusaku
東電福島第一原発事故の自主避難者は20日、損害賠償の枠組みを決める「原子力損害賠償紛争審査会」で意見陳述する。前々日にあたる18日、自主避難者が紛争審査会の事務局が置かれている文科省と加害企業の東電を訪れ、真っ当に賠償をするよう要請した。脱原発を掲げて行動する俳優の山本太郎さんも加わった。
自主避難者とは政府が指定した避難区域外で暮らしていたが、被曝を避けて遠くに移り住んだ人たちだ。避難区域外でも区域内よりも線量の高いエリアで生活していた人たちがほとんどである。
仕事や家などの生活基盤を捨てざるを得なかったため、困窮を強いられている。政府が福島第一原発から同心円を引いて避難地域を決定したことから、現実にそぐわない不幸な事態が発生した。
紛争審査会が8月に発表した中間指針では、自主避難者は損害賠償の対象には入っていない。自主避難者が18日、要請行動を起こしたのは紛争審査会と東電のネジを巻くためだ。
福島市から山形県米沢市に自主避難した西片加奈子さんは、小学校3年生と5年生の子供を持つ。通わせていた小学校は福島市内で最も線量が高い。母子家庭で生活は厳しかったが、子供の命と健康には代えられないことから、仕事を捨てて福島市を“脱出”した。貯金を取り崩しながらの生活が続く。
文科省を訪れた西片さんは、原子力損害賠償対策室の新岡輝正係長に訴えた――
「除染することを理由に避難をさせない、現在の国と自治体の政策には問題があります…(中略)…避難費用や生活費などに対する補償が幅広く認められるべきです」
山本太郎さんが続いた。「(自主避難者が)求めているのは当たり前の権利です。それが守れない役所だったら存在する意味がない。税金を払っていいのかな?と皆思う。市民団体がここに来ること自体がおかしい。役所は先回りして国民の命を守らなければならない。ちゃんと仕事をしてほしい。」
文科省の新岡係長は「いただいた意見は真摯に受け止め検討してゆきたい」。絵に描いたような官僚答弁だ。
東京電力では別館に通された。本館に入れるのは有力議員の紹介があるか、全国規模の大組織だけだ。この場合は取締役が対応するが、別館だと部長クラスだ。相手の足元を見るところが、いかにも東電らしい。
福島原子力補償相談室の橘田昌哉部長が要請を聞いた。福島市から自主避難して現在は東京都内に住む杉本渉さん(33才)が「仮払いはまだですか?生活してゆけない」と訴えた。酒店を経営していた杉本さんは、東京で仕事を探す毎日だ。西片さん同様、貯金を取り崩しながら毎日を凌いでいる。
東電の橘田部長は「紛争審査会の指針に従って対応してゆきたい。自主避難者への仮払いは今のところ考えていない」と突っぱねた。予想通りだ。
橘田部長の対応は彼自身の判断ではない。経営陣の方針に沿ったものである。経営トップは十分に政府や民主党と打ち合わせ済みだ。紛争審査会とは、東電の損害賠償の範囲をできるだけ狭くするための存在に過ぎない。自主避難者の要請行動がそれを炙り出した。
東電福島第一原発事故の自主避難者は20日、損害賠償の枠組みを決める「原子力損害賠償紛争審査会」で意見陳述する。前々日にあたる18日、自主避難者が紛争審査会の事務局が置かれている文科省と加害企業の東電を訪れ、真っ当に賠償をするよう要請した。脱原発を掲げて行動する俳優の山本太郎さんも加わった。
自主避難者とは政府が指定した避難区域外で暮らしていたが、被曝を避けて遠くに移り住んだ人たちだ。避難区域外でも区域内よりも線量の高いエリアで生活していた人たちがほとんどである。
仕事や家などの生活基盤を捨てざるを得なかったため、困窮を強いられている。政府が福島第一原発から同心円を引いて避難地域を決定したことから、現実にそぐわない不幸な事態が発生した。
紛争審査会が8月に発表した中間指針では、自主避難者は損害賠償の対象には入っていない。自主避難者が18日、要請行動を起こしたのは紛争審査会と東電のネジを巻くためだ。
福島市から山形県米沢市に自主避難した西片加奈子さんは、小学校3年生と5年生の子供を持つ。通わせていた小学校は福島市内で最も線量が高い。母子家庭で生活は厳しかったが、子供の命と健康には代えられないことから、仕事を捨てて福島市を“脱出”した。貯金を取り崩しながらの生活が続く。
文科省を訪れた西片さんは、原子力損害賠償対策室の新岡輝正係長に訴えた――
「除染することを理由に避難をさせない、現在の国と自治体の政策には問題があります…(中略)…避難費用や生活費などに対する補償が幅広く認められるべきです」
山本太郎さんが続いた。「(自主避難者が)求めているのは当たり前の権利です。それが守れない役所だったら存在する意味がない。税金を払っていいのかな?と皆思う。市民団体がここに来ること自体がおかしい。役所は先回りして国民の命を守らなければならない。ちゃんと仕事をしてほしい。」
文科省の新岡係長は「いただいた意見は真摯に受け止め検討してゆきたい」。絵に描いたような官僚答弁だ。
東京電力では別館に通された。本館に入れるのは有力議員の紹介があるか、全国規模の大組織だけだ。この場合は取締役が対応するが、別館だと部長クラスだ。相手の足元を見るところが、いかにも東電らしい。
福島原子力補償相談室の橘田昌哉部長が要請を聞いた。福島市から自主避難して現在は東京都内に住む杉本渉さん(33才)が「仮払いはまだですか?生活してゆけない」と訴えた。酒店を経営していた杉本さんは、東京で仕事を探す毎日だ。西片さん同様、貯金を取り崩しながら毎日を凌いでいる。
東電の橘田部長は「紛争審査会の指針に従って対応してゆきたい。自主避難者への仮払いは今のところ考えていない」と突っぱねた。予想通りだ。
橘田部長の対応は彼自身の判断ではない。経営陣の方針に沿ったものである。経営トップは十分に政府や民主党と打ち合わせ済みだ。紛争審査会とは、東電の損害賠償の範囲をできるだけ狭くするための存在に過ぎない。自主避難者の要請行動がそれを炙り出した。
「善良な国民」になろう・・・善良な「専門家」の論理
「善良な国民」になろう・・・善良な「専門家」の論理
「善良な国民」には「善良は専門家」が必要です。それでは「善良な専門家」とは誰でしょうか? もちろん御用学者は善良ではありませんが、この問題はそれより深い内容を含んでいます。
「放射線の専門家」というと、放射線の利用や防護を「研究している人」と思いがちですが、「専門家」という厳密な定義としては正確ではないと言えます。2011年の原発事故で「専門家ではない専門家」が登場し、多くの人を混乱に落としています。そこでまず「専門家」の基本的な定義をハッキリさせておきましょう。
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この図は近代社会における専門家として、弁護士、医師、技師、教師を例にとって、その人たちの社会的役割を示したものです。少し意外なこともあると思いますので、丁寧に説明したいと思います。
まず図の一番上に書いてあるのは、その専門系列がもっとも大切にしなければならないことです。弁護士なら法、医師なら命です。私はこのことをよく「野戦病院の医師の行動」に例をとって解説します。
・・・・隣国との戦争になり、前線の野戦病院に派遣された国立病院の医師は、病院に担ぎ込まれた敵兵を治療する。その敵兵は味方の兵隊が殺し損なった兵隊であり、医師は国から派遣された国立病院の医師であったにしても、「命」がもっとも大切なものだから医師はそれに従って敵兵を治療する・・・
このように「専門系列」に所属する人は、上司の命令やお金などより大切なものがある職業に携わっているのです。しかし、一般には専門職にはこの図の2段目の「研究者」と3段目の「社会に対して直接、仕事をする人」を指していますが、この2つの職に求められることは違うのです。そこで2段目の人を「学者」といって社会から見ると直接的な関与ではなく、3段目の人を専門家(弁護士、医師、技師、教師)と呼ぶのがふさわしいと考えられています。
つまり専門系列の人は2つに分かれていて、法学者、医学者、科学者、研究者などは「法律を作る、治療法を作る、新しい事実を発見する」などであって、決してそれを直接、社会に作用させることはありません。従って、職業倫理は社会と切り離されます。
これに対して「専門家」は「作られたものを社会に応用するのであって、自分で新しいものを作り出してはいけない」という制限があります。国家資格制度、身分保障など具体的な行為を実施できるための制度も作られます。かつてのギルドなどに見られる独占性が認められるのです。
この構造を簡単に言うと「作る人」と「使う人」に分かれていて、それぞれの分を守ることが求められます。たとえば今回の原発事故の場合、4番目の軸(右の軸)ですが、社会に対して解説をするのは「教師」か、あるいは「啓蒙家」であり、決して「研究者」ではないのです。
このことを医師について見てみますと、個別の医師が新しい治療法を開発して独自の考えで治療にあたると、危なくて病院に行くことができません。先日のブログにも書いたように「風邪を治すのに右腕を切断する治療法」のようなことも起こるからです。
この種の難しい問題として安楽死があります。現場の臨床医は苦しむ患者を診て安楽死をさせたいと思うことがあるでしょうが、安楽死が医学会で認められ、社会が容認していないと医師は勝手に判断することはできないのです。
その代わり、医師は医療法人の理事長の命令でも治療を変更する必要はなく、自分の判断で治療を行うことができ、職業的倫理もそこで発生しますし、また身分も保障されています。
それと同じように学校の教師は「学問的に判っているもの」を教えることになります。最近、環境問題などで「環境省」のような役所のデータを使って教える先生がおられますが、本来は専門家としては認められない行為と言えます。
私は10年ほど前、「技術者が原発を設計したとき、東電の社長たりともそれを拒否することはできない」というシステムができない限り原発の安全性を保つことはできないと考え、技術士に原子力部門を作りました。福島原発のような事故が起こったとき、東電の社長が謝るのではなく、まずは設計した技術者の責任を問うというシステムです。
東大教授が御用学者になったのは、東大教授の責任というより日本社会が「専門家」というのと間違えた可能性もあります。この問題はかなり深く考えなければなりませんが、原発のような大がかりな技術を進める場合、{東電―保安院}というようなシステムが良いのか、{技師―科学者(学会)}のほうが望ましいのか、考える必要があります。
また、私は20年前に原子力の研究を終えたので2番目の地位を降り、約20年ほど教師(+啓蒙家、3番目の専門家)をしていますので、原発事故では「専門家」に当たると思っています。私が自らは判断せずに「1年1ミリ」という法律を紹介しているのはこのことです。私を「専門家ではない」という方も多いのですが、放射線防護の第一線の研究者は「社会に対する専門家」にはなり得ません。だから研究者は「専門家とはなにか?」をよく考えて発言して欲しいものです。(すこし深い内容なので、久しぶりに音声があります)
「takeda_20111017no.243-(9:49).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月17日)
「善良な国民」には「善良は専門家」が必要です。それでは「善良な専門家」とは誰でしょうか? もちろん御用学者は善良ではありませんが、この問題はそれより深い内容を含んでいます。
「放射線の専門家」というと、放射線の利用や防護を「研究している人」と思いがちですが、「専門家」という厳密な定義としては正確ではないと言えます。2011年の原発事故で「専門家ではない専門家」が登場し、多くの人を混乱に落としています。そこでまず「専門家」の基本的な定義をハッキリさせておきましょう。
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Bandicam_20111002_093511486]この図は近代社会における専門家として、弁護士、医師、技師、教師を例にとって、その人たちの社会的役割を示したものです。少し意外なこともあると思いますので、丁寧に説明したいと思います。
まず図の一番上に書いてあるのは、その専門系列がもっとも大切にしなければならないことです。弁護士なら法、医師なら命です。私はこのことをよく「野戦病院の医師の行動」に例をとって解説します。
・・・・隣国との戦争になり、前線の野戦病院に派遣された国立病院の医師は、病院に担ぎ込まれた敵兵を治療する。その敵兵は味方の兵隊が殺し損なった兵隊であり、医師は国から派遣された国立病院の医師であったにしても、「命」がもっとも大切なものだから医師はそれに従って敵兵を治療する・・・
このように「専門系列」に所属する人は、上司の命令やお金などより大切なものがある職業に携わっているのです。しかし、一般には専門職にはこの図の2段目の「研究者」と3段目の「社会に対して直接、仕事をする人」を指していますが、この2つの職に求められることは違うのです。そこで2段目の人を「学者」といって社会から見ると直接的な関与ではなく、3段目の人を専門家(弁護士、医師、技師、教師)と呼ぶのがふさわしいと考えられています。
つまり専門系列の人は2つに分かれていて、法学者、医学者、科学者、研究者などは「法律を作る、治療法を作る、新しい事実を発見する」などであって、決してそれを直接、社会に作用させることはありません。従って、職業倫理は社会と切り離されます。
これに対して「専門家」は「作られたものを社会に応用するのであって、自分で新しいものを作り出してはいけない」という制限があります。国家資格制度、身分保障など具体的な行為を実施できるための制度も作られます。かつてのギルドなどに見られる独占性が認められるのです。
この構造を簡単に言うと「作る人」と「使う人」に分かれていて、それぞれの分を守ることが求められます。たとえば今回の原発事故の場合、4番目の軸(右の軸)ですが、社会に対して解説をするのは「教師」か、あるいは「啓蒙家」であり、決して「研究者」ではないのです。
このことを医師について見てみますと、個別の医師が新しい治療法を開発して独自の考えで治療にあたると、危なくて病院に行くことができません。先日のブログにも書いたように「風邪を治すのに右腕を切断する治療法」のようなことも起こるからです。
この種の難しい問題として安楽死があります。現場の臨床医は苦しむ患者を診て安楽死をさせたいと思うことがあるでしょうが、安楽死が医学会で認められ、社会が容認していないと医師は勝手に判断することはできないのです。
その代わり、医師は医療法人の理事長の命令でも治療を変更する必要はなく、自分の判断で治療を行うことができ、職業的倫理もそこで発生しますし、また身分も保障されています。
それと同じように学校の教師は「学問的に判っているもの」を教えることになります。最近、環境問題などで「環境省」のような役所のデータを使って教える先生がおられますが、本来は専門家としては認められない行為と言えます。
私は10年ほど前、「技術者が原発を設計したとき、東電の社長たりともそれを拒否することはできない」というシステムができない限り原発の安全性を保つことはできないと考え、技術士に原子力部門を作りました。福島原発のような事故が起こったとき、東電の社長が謝るのではなく、まずは設計した技術者の責任を問うというシステムです。
東大教授が御用学者になったのは、東大教授の責任というより日本社会が「専門家」というのと間違えた可能性もあります。この問題はかなり深く考えなければなりませんが、原発のような大がかりな技術を進める場合、{東電―保安院}というようなシステムが良いのか、{技師―科学者(学会)}のほうが望ましいのか、考える必要があります。
また、私は20年前に原子力の研究を終えたので2番目の地位を降り、約20年ほど教師(+啓蒙家、3番目の専門家)をしていますので、原発事故では「専門家」に当たると思っています。私が自らは判断せずに「1年1ミリ」という法律を紹介しているのはこのことです。私を「専門家ではない」という方も多いのですが、放射線防護の第一線の研究者は「社会に対する専門家」にはなり得ません。だから研究者は「専門家とはなにか?」をよく考えて発言して欲しいものです。(すこし深い内容なので、久しぶりに音声があります)
「takeda_20111017no.243-(9:49).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月17日)