分かりにくいごまかしの理屈(基準値(今回)と積み重ね(次回))
分かりにくいごまかしの理屈(基準値(今回)と積み重ね(次回))
これまで色々な事件が起こっても比較的、良心的に専門家やマスコミとしての節度を保ってきた学者やNHKが、こと被曝に関しては突如として錯乱しています。普通の人は専門家でもありませんし、マスコミのようにチェックできるものでもありません。「何となくおかしい」と思ってもそれを具体的な形で示すことはできません。
だから、本来は、専門家やマスコミに「誠意」を求めるわけで、法律、社会で普通に使われることを大切にして欲しいのです。今度の福島原発の問題は政府の「直ちに健康に影響はない」という表現に専門家とNHKはビビってしまいました。政府があれほど誠意がないことを言うのだから、それに反抗するとひどい目にあうと思ったのでしょう。子供の健康と自分の立場を比較して子供を捨てたともいえます。
・・・
その一つが「基準値」や「規制値」です。事故後、保安院が「ヨウ素が基準値の3355倍だが、健康に問題は無い」と言いました。私の見解ではこの発言だけで傷害罪と思います。つまり基準値の3355倍の海に入ったら「健康に害がある」からこそ基準値なのです。また公務員として法律や規則を遵守することを厳密に守る必要があり、公務員法にも違反するでしょう。
「基準値の3355倍だが、海に入らないから」ということを言う専門家がいますが、それは「牛肉のセシウムが基準値の20倍だが、牛肉を食べないから」という理屈と同じで、そのようにすればどんなものにも基準値は不要になります。
食品の基準値を決めるときには、その国民がどのようなものをどのような状態で食べるか、吸収率などを細かく検討しますが、もっと大切な原理原則は、「1日1キロ食べ、1日40ベクレルまでOK」ということなら、すべての食品を1キロあたり40ベクレル以下にしなければならないのです。
たとえば牛肉が1キロ100ベクレルで、1日牛肉を50グラム食べるとすると、100に50をかけて1000で割るので「被曝はわずか5ベクレル」になり、「だから基準値が40ベクレルなら大丈夫」ということになります。事故後、政府、保安院、東電、食品安全委員会、東大教授、横浜市のパンフレット・・・など多くの専門機関、専門家がこのように言っています。
これは一種の犯罪行為とも言うべきトリックなのです。というのは、その人が牛肉を1日50グラム食べるとすると、「その他には食べないのか?」を断定しなければなりません。つまり、その人はいずれにしても1キロ(若干の水を含む)を食べるとすると、牛肉以外の食材が「まったく汚染されていない」ということを証明する必要があるからです。
現実的には汚染された牛肉を食べた人が、そのほかの食材はまったく汚染されていないことを証明することはできませんから、「病気にならないための計算」としては、「すべての食材が牛肉と同じように汚染されている」と仮定せざるを得ないのです。「被曝」というのは「受け手の受ける被曝の足し算」だからです。あくまでも牛肉を供給する側ではありません。
一関の中学生も同じです。たとえば学校の校庭は低線量率(たとえば0.5マイクロ)で、側溝がその10倍の5マイクロシーベルトだったとします。教育関係者は(おそらく生徒の健康には関心がなく、ただ大丈夫だと言って面倒な対策を回避したいだけですが)、「生徒が溝の近くにいる時間はせいぜい10分の1だから、5マイクロシーベルトを10で割って良い」と考えます。
仮に教育関係者がこのようなことを言えるためには、1)学校にいるときの生徒の行動を事細かに規制し、それを記録していること、2)生徒の学校外の行動と被曝をすべて把握していること、が必要だからです。従って、溝が5マイクロシーベルトの場合、「24時間、溝の近くにいること」を仮定して計算します。実際にも、その生徒が空間が1時間1マイクロのところで住み、食品を暫定基準内で食べていたら1年5ミリ(セシウムだけ、4月5月のヨウ素も含めれば10ミリ)ですから、すでにそれだけで(0.001×8760+10)=19ミリ になり大幅に被曝限度を超えているのです。
仮に一関の中学生が大丈夫というためには、全生徒の全生活における「学校生活以外の被曝量」を総計し、そのうちのもっとも被曝の多い生徒を確定して、その数値を示し(たとえばそれが1年0.99ミリの恐れがある場合)、残りの被曝量(0.01ミリ)だけが学校での被曝として許されるので、それが学校の溝の近くで大丈夫かということを言わなければならないのです。
そんなことは非現実的なので、規制値や基準値は「空間なら8760時間をかけ、食材なら1キロに換算し、それに水とホコリの被曝量を足して1年1ミリ以下」になるようにしなければならないのです。そして平均的にそれを出して、さらに「人による感受性の差」を3倍(放射線)とか10倍(食材)を考慮して規制値が決まります。
つまり、「善良な国民のうち、やや弱い人が善良な政府の規制値を信じて空気を吸い、家に住み、学校に行き、食事をし、水を飲み、校庭で運動しても、健康を害さない」ということになっているのです。
食品に含まれる農薬や添加物でも、お母さんがスーパーに行って、1)子供の年齢を考え、2)牛肉を買ってその中にどのぐらいの添加物が入っていたから野菜は**以下にしようと計算し、3)今日は汚染されたものを買ったから12品以上は買えない・・・などと考えなくても良いようになっているのです。
安心とはそのシステムが必要なのです。「おそらく大丈夫だろう」とか、「そんなのは特殊な例だ」と言うことは通用しません。
東京都知事が汚染された食材を食べてみたり、首相が福島の農産物を食べるのは何の意味もなく、日本は非科学的な野蛮国だということを知らせているに過ぎません。あれを正常な行為と思うのはかなり判断力が低下していると言わざるを得ないからです。
事故の起こった直後、私は「足し算のできない東大教授」と書きましたが、まさに今でも足し算のできない地方自治体の市長、教育委員長、NHKで溢れています。この際、善良な指導者に戻ってください(もう一つの問題は長くなって時間がなくなって来ましたので、明日以後に書きます。)
中部大学武田邦彦
(平成23年10月22日)
これまで色々な事件が起こっても比較的、良心的に専門家やマスコミとしての節度を保ってきた学者やNHKが、こと被曝に関しては突如として錯乱しています。普通の人は専門家でもありませんし、マスコミのようにチェックできるものでもありません。「何となくおかしい」と思ってもそれを具体的な形で示すことはできません。
だから、本来は、専門家やマスコミに「誠意」を求めるわけで、法律、社会で普通に使われることを大切にして欲しいのです。今度の福島原発の問題は政府の「直ちに健康に影響はない」という表現に専門家とNHKはビビってしまいました。政府があれほど誠意がないことを言うのだから、それに反抗するとひどい目にあうと思ったのでしょう。子供の健康と自分の立場を比較して子供を捨てたともいえます。
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その一つが「基準値」や「規制値」です。事故後、保安院が「ヨウ素が基準値の3355倍だが、健康に問題は無い」と言いました。私の見解ではこの発言だけで傷害罪と思います。つまり基準値の3355倍の海に入ったら「健康に害がある」からこそ基準値なのです。また公務員として法律や規則を遵守することを厳密に守る必要があり、公務員法にも違反するでしょう。
「基準値の3355倍だが、海に入らないから」ということを言う専門家がいますが、それは「牛肉のセシウムが基準値の20倍だが、牛肉を食べないから」という理屈と同じで、そのようにすればどんなものにも基準値は不要になります。
食品の基準値を決めるときには、その国民がどのようなものをどのような状態で食べるか、吸収率などを細かく検討しますが、もっと大切な原理原則は、「1日1キロ食べ、1日40ベクレルまでOK」ということなら、すべての食品を1キロあたり40ベクレル以下にしなければならないのです。
たとえば牛肉が1キロ100ベクレルで、1日牛肉を50グラム食べるとすると、100に50をかけて1000で割るので「被曝はわずか5ベクレル」になり、「だから基準値が40ベクレルなら大丈夫」ということになります。事故後、政府、保安院、東電、食品安全委員会、東大教授、横浜市のパンフレット・・・など多くの専門機関、専門家がこのように言っています。
これは一種の犯罪行為とも言うべきトリックなのです。というのは、その人が牛肉を1日50グラム食べるとすると、「その他には食べないのか?」を断定しなければなりません。つまり、その人はいずれにしても1キロ(若干の水を含む)を食べるとすると、牛肉以外の食材が「まったく汚染されていない」ということを証明する必要があるからです。
現実的には汚染された牛肉を食べた人が、そのほかの食材はまったく汚染されていないことを証明することはできませんから、「病気にならないための計算」としては、「すべての食材が牛肉と同じように汚染されている」と仮定せざるを得ないのです。「被曝」というのは「受け手の受ける被曝の足し算」だからです。あくまでも牛肉を供給する側ではありません。
一関の中学生も同じです。たとえば学校の校庭は低線量率(たとえば0.5マイクロ)で、側溝がその10倍の5マイクロシーベルトだったとします。教育関係者は(おそらく生徒の健康には関心がなく、ただ大丈夫だと言って面倒な対策を回避したいだけですが)、「生徒が溝の近くにいる時間はせいぜい10分の1だから、5マイクロシーベルトを10で割って良い」と考えます。
仮に教育関係者がこのようなことを言えるためには、1)学校にいるときの生徒の行動を事細かに規制し、それを記録していること、2)生徒の学校外の行動と被曝をすべて把握していること、が必要だからです。従って、溝が5マイクロシーベルトの場合、「24時間、溝の近くにいること」を仮定して計算します。実際にも、その生徒が空間が1時間1マイクロのところで住み、食品を暫定基準内で食べていたら1年5ミリ(セシウムだけ、4月5月のヨウ素も含めれば10ミリ)ですから、すでにそれだけで(0.001×8760+10)=19ミリ になり大幅に被曝限度を超えているのです。
仮に一関の中学生が大丈夫というためには、全生徒の全生活における「学校生活以外の被曝量」を総計し、そのうちのもっとも被曝の多い生徒を確定して、その数値を示し(たとえばそれが1年0.99ミリの恐れがある場合)、残りの被曝量(0.01ミリ)だけが学校での被曝として許されるので、それが学校の溝の近くで大丈夫かということを言わなければならないのです。
そんなことは非現実的なので、規制値や基準値は「空間なら8760時間をかけ、食材なら1キロに換算し、それに水とホコリの被曝量を足して1年1ミリ以下」になるようにしなければならないのです。そして平均的にそれを出して、さらに「人による感受性の差」を3倍(放射線)とか10倍(食材)を考慮して規制値が決まります。
つまり、「善良な国民のうち、やや弱い人が善良な政府の規制値を信じて空気を吸い、家に住み、学校に行き、食事をし、水を飲み、校庭で運動しても、健康を害さない」ということになっているのです。
食品に含まれる農薬や添加物でも、お母さんがスーパーに行って、1)子供の年齢を考え、2)牛肉を買ってその中にどのぐらいの添加物が入っていたから野菜は**以下にしようと計算し、3)今日は汚染されたものを買ったから12品以上は買えない・・・などと考えなくても良いようになっているのです。
安心とはそのシステムが必要なのです。「おそらく大丈夫だろう」とか、「そんなのは特殊な例だ」と言うことは通用しません。
東京都知事が汚染された食材を食べてみたり、首相が福島の農産物を食べるのは何の意味もなく、日本は非科学的な野蛮国だということを知らせているに過ぎません。あれを正常な行為と思うのはかなり判断力が低下していると言わざるを得ないからです。
事故の起こった直後、私は「足し算のできない東大教授」と書きましたが、まさに今でも足し算のできない地方自治体の市長、教育委員長、NHKで溢れています。この際、善良な指導者に戻ってください(もう一つの問題は長くなって時間がなくなって来ましたので、明日以後に書きます。)
中部大学武田邦彦
(平成23年10月22日)
子供たちの運命は大人の判断で決まる・・・一関の中学生
子供たちの運命は大人の判断で決まる・・・一関の中学生
岩手県一関市のこともたちの運命は、そこの大人たちの判断と決意で決まる。農作物の販売に重きを置くか、子供たちの命を大切に思うかも含めてそこに住む大人の判断だ。
一関の中学校(一関中、花泉中など)から毎時1マイクロシーベルトを超える放射線量が測定された。すでに半減期の短いヨウ素131などが無くなっているから、4月には10マイクロシーベルトを超えていたと考えられる。
校庭の庭のホコリを吸った中学生の子供たちはホコリによる内部被曝を1時間に10マイクロシーベルト程度吸い込み、さらに給食の食材の基準もセシウムだけで1年5ミリシーベルトだからヨウ素も含めると給食で1年10ミリに達する恐れがある。
つまり4月に一関市の中学生が被曝したのは1時間に空間が10マイクロ、土からなどの誇りが10マイクロで20マイクロシーベルトである。それが徐々に減って、現在では1時間あたり5マイクロぐらいになっているとすると、平均で1時間に12マイクロシーベルト程度になる。
7ヶ月は7ヶ月×30日×24時間=5040時間で、それに12マイクロシーベルトをかけると1年で60ミリシーベルト。それに食材がセシウムだけで5ミリだからヨウ素も入れると10ミリぐらいになり、合計70ミリシーベルトに達する。児童の場合は50ミリシーベルトを被曝した時点でヨウ素剤を服用させる必要がある。ガンの発症率は福島県に移られた山下医師も100ミリで1000人に5人の発症が確定すると言われている。
チェルノブイリの事故の時、ヨウ素剤を飲まなかったソ連の子供たちから甲状腺ガンが数1000人出て、飲んだポーランドからはほとんど報告されていない。4月にヨウ素剤を飲ませるか飲ませないかも一関の大人の責任だ。子供たちは大人を信じているが、子供は大人の所有物だろうか?
・・・・・・・・・
この記事は、私がテレビで、汚染されているところの一例として岩手県・一関をあげ、その後、市長さんや議会から抗議されたことを何か思ってのことではありません。私は子供たちを被曝から守るということが目的で、私の名誉などはまったく関係がありません。
ただ、宮城県があまり汚染されなかったので、その北にある一関の人がうっかりして子供に被曝させてはいけないと思い、テレビで一関の名前を挙げたのです。政府が「遠くに逃げろ」とウソをいったので、多くの人が放射線物質の汚染が「トビトビ」になることに気がついていないからです。一関の中学生が被曝したのは残念です。
すでに手遅れになる可能性があります。まだ教育委員会は「部分的だから」とまだ東電側にたって、言い訳をしていますが、言い訳をするより普通に計算して子供たちがどのぐらい被曝しているかをすぐ明らかにし、必要な対策をとって貰いたいと思います。その時に「校庭にいるときだけ」とか「給食は汚染されていない」とか、「内部被曝はわからない」などと言わずに「危険サイド」にたって計算をしてあげて欲しいと思います。どんなにヘマをしても、それを認めて直ちに対策をとれば救われる子供達がいます。
・・・・・・・・・
子供は大人を信じている。食材の暫定基準がセシウムだけで1年5ミリになっていること、自分たちの健康より農家の出荷を気にしていることなども知らない。ひたすら大人が子供を守ってくれていると信じている。その純粋な心に今こそ大人は応じて貰いたい。一関の例は関東、東北のすべての学校に当てはまります。是非、参考にして子供を守ってください。今、測定された線量はこれまで被曝した量の一部ですからそれも誠実に計算してください。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月22日)
(マイクルシーベルトとミリシーベルトが混乱していましたのを、読者の方に指摘されましたので、修正しました。「こっそり直した」などと言う人がいますが、できるだけその時点で正しい情報を書きたいと思っています。最新のものがもっとも正しいく、ほとんどのものは1日以内に修正するようにしています。ご指摘していただいた読者の方に感謝申し上げます。皆さんと一緒によい情報を提供したいと思っています。)
岩手県一関市のこともたちの運命は、そこの大人たちの判断と決意で決まる。農作物の販売に重きを置くか、子供たちの命を大切に思うかも含めてそこに住む大人の判断だ。
一関の中学校(一関中、花泉中など)から毎時1マイクロシーベルトを超える放射線量が測定された。すでに半減期の短いヨウ素131などが無くなっているから、4月には10マイクロシーベルトを超えていたと考えられる。
校庭の庭のホコリを吸った中学生の子供たちはホコリによる内部被曝を1時間に10マイクロシーベルト程度吸い込み、さらに給食の食材の基準もセシウムだけで1年5ミリシーベルトだからヨウ素も含めると給食で1年10ミリに達する恐れがある。
つまり4月に一関市の中学生が被曝したのは1時間に空間が10マイクロ、土からなどの誇りが10マイクロで20マイクロシーベルトである。それが徐々に減って、現在では1時間あたり5マイクロぐらいになっているとすると、平均で1時間に12マイクロシーベルト程度になる。
7ヶ月は7ヶ月×30日×24時間=5040時間で、それに12マイクロシーベルトをかけると1年で60ミリシーベルト。それに食材がセシウムだけで5ミリだからヨウ素も入れると10ミリぐらいになり、合計70ミリシーベルトに達する。児童の場合は50ミリシーベルトを被曝した時点でヨウ素剤を服用させる必要がある。ガンの発症率は福島県に移られた山下医師も100ミリで1000人に5人の発症が確定すると言われている。
チェルノブイリの事故の時、ヨウ素剤を飲まなかったソ連の子供たちから甲状腺ガンが数1000人出て、飲んだポーランドからはほとんど報告されていない。4月にヨウ素剤を飲ませるか飲ませないかも一関の大人の責任だ。子供たちは大人を信じているが、子供は大人の所有物だろうか?
・・・・・・・・・
この記事は、私がテレビで、汚染されているところの一例として岩手県・一関をあげ、その後、市長さんや議会から抗議されたことを何か思ってのことではありません。私は子供たちを被曝から守るということが目的で、私の名誉などはまったく関係がありません。
ただ、宮城県があまり汚染されなかったので、その北にある一関の人がうっかりして子供に被曝させてはいけないと思い、テレビで一関の名前を挙げたのです。政府が「遠くに逃げろ」とウソをいったので、多くの人が放射線物質の汚染が「トビトビ」になることに気がついていないからです。一関の中学生が被曝したのは残念です。
すでに手遅れになる可能性があります。まだ教育委員会は「部分的だから」とまだ東電側にたって、言い訳をしていますが、言い訳をするより普通に計算して子供たちがどのぐらい被曝しているかをすぐ明らかにし、必要な対策をとって貰いたいと思います。その時に「校庭にいるときだけ」とか「給食は汚染されていない」とか、「内部被曝はわからない」などと言わずに「危険サイド」にたって計算をしてあげて欲しいと思います。どんなにヘマをしても、それを認めて直ちに対策をとれば救われる子供達がいます。
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子供は大人を信じている。食材の暫定基準がセシウムだけで1年5ミリになっていること、自分たちの健康より農家の出荷を気にしていることなども知らない。ひたすら大人が子供を守ってくれていると信じている。その純粋な心に今こそ大人は応じて貰いたい。一関の例は関東、東北のすべての学校に当てはまります。是非、参考にして子供を守ってください。今、測定された線量はこれまで被曝した量の一部ですからそれも誠実に計算してください。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月22日)
(マイクルシーベルトとミリシーベルトが混乱していましたのを、読者の方に指摘されましたので、修正しました。「こっそり直した」などと言う人がいますが、できるだけその時点で正しい情報を書きたいと思っています。最新のものがもっとも正しいく、ほとんどのものは1日以内に修正するようにしています。ご指摘していただいた読者の方に感謝申し上げます。皆さんと一緒によい情報を提供したいと思っています。)
「大丈夫」と「危険を避ける」ことの違い
「大丈夫」と「危険を避ける」ことの違い
高速道路を利用する回数は1年に5億回ですから、平均して国民一人あたりおよそ5回利用することになります。そして高速道路で起こる交通事故の犠牲者は約250人ほどです。
食中毒には多くの人が注意を払っていますが、1億人の人が毎日3度づつご飯を食べていますが、食中毒で死ぬ人は戦後1年間で500人ぐらいの時代もありましたが、今では10人レベルになっています。それでも食中毒にならないようにいつも気を配っています。
つまり「大丈夫」と「危険を避ける」というのは質が違うのです。毎日のように高速道路を走る人でも、交通事故の犠牲になる人はほとんどありません。「私は毎日、高速道路を利用していますが、事故に遭ったことはありません。だから高速道路は安全ですから、時速を80キロから160キロに上げても大丈夫です」というのは間違いです。
このことで判るように、「危険を避ける」時には「こうしても安全だったから」という個別の経験とはまったく関係なく、1億人でどのぐらいの被害者がでるかで決める必要があります。それは人生で不遇の死を遂げることは絶対に避けなければならないのと、生活の中の危険は、交通(自動車、電車、ヒコーキなど)、火事、台風、大雨、強風、崖崩れ、食中毒、農薬、添加物、アレルギー、感電、被曝、電磁波、熱中症、凍死、階段、やけど、インフルエンザ、結核、ガン、犯罪、通り魔、誘拐、スポーツ・・・・など数が多いからです。
一つ一つの事故の確率が100分の1だったら、ほぼ毎年、事故に遭宇ことになります。また、「ほとんどの家は火事にならないから、火の元に注意しなくても良い」とか、「感電事故は少ないから、裸線でも良い」、「インフルエンザがはやっている時に彼はマスクをしなかったのに罹らなかった。だからインフルエンザにマスクは要らない」などというのは、通常の生活では禁句です。
このように「確率的に起こる」ことというのは、「大丈夫だった」という個別の例は「危険を避ける」には何の役にも立ちません。最近、「世田谷のラジウム事件では数10ミリシーベルトを浴びたかも知れないのに病気にならなかった」とか「首相が汚染されたものを食べても直ちに病気になっていない」などを言って「だから被曝しても大丈夫だ」とか「1年1ミリは厳しすぎる」という結論を出す人がいますが、かなり悪質と言わなければなりません。およそ専門家ならこの違うぐらいは判っているからです。
・・・・・・・・・
ところで、「1年1ミリ」はさらに決めるのに難しい面があります。それは交通事故や食中毒などと違って、毎年、被害者がでるものではないので「統計的に起こるものなのに、参考にする統計がない」ということです。だから、論争が残るのです。
統計的なものを統計がないのに目安をきめるのですから、「合意」で決めたわけですが、その合意が1年1ミリです。1年1ミリ以上の被曝をして10年後に子供がガンになるかどうかはおおよその科学的根拠はありますが、本当は「神様しか判らない」のです。だから、今後、「1年1ミリ以上でも大丈夫」という人がいたら「神様」と呼ぶと矛盾がハッキリすると思います。
未来の判らない人間なら子供たちが被曝している2011年(かりに日本に放射線漏れが無いときなら議論はOK。新しい合意を作れば良い)は、合意=1年1ミリ、しか発言できないはずです。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月21日)
高速道路を利用する回数は1年に5億回ですから、平均して国民一人あたりおよそ5回利用することになります。そして高速道路で起こる交通事故の犠牲者は約250人ほどです。
食中毒には多くの人が注意を払っていますが、1億人の人が毎日3度づつご飯を食べていますが、食中毒で死ぬ人は戦後1年間で500人ぐらいの時代もありましたが、今では10人レベルになっています。それでも食中毒にならないようにいつも気を配っています。
つまり「大丈夫」と「危険を避ける」というのは質が違うのです。毎日のように高速道路を走る人でも、交通事故の犠牲になる人はほとんどありません。「私は毎日、高速道路を利用していますが、事故に遭ったことはありません。だから高速道路は安全ですから、時速を80キロから160キロに上げても大丈夫です」というのは間違いです。
このことで判るように、「危険を避ける」時には「こうしても安全だったから」という個別の経験とはまったく関係なく、1億人でどのぐらいの被害者がでるかで決める必要があります。それは人生で不遇の死を遂げることは絶対に避けなければならないのと、生活の中の危険は、交通(自動車、電車、ヒコーキなど)、火事、台風、大雨、強風、崖崩れ、食中毒、農薬、添加物、アレルギー、感電、被曝、電磁波、熱中症、凍死、階段、やけど、インフルエンザ、結核、ガン、犯罪、通り魔、誘拐、スポーツ・・・・など数が多いからです。
一つ一つの事故の確率が100分の1だったら、ほぼ毎年、事故に遭宇ことになります。また、「ほとんどの家は火事にならないから、火の元に注意しなくても良い」とか、「感電事故は少ないから、裸線でも良い」、「インフルエンザがはやっている時に彼はマスクをしなかったのに罹らなかった。だからインフルエンザにマスクは要らない」などというのは、通常の生活では禁句です。
このように「確率的に起こる」ことというのは、「大丈夫だった」という個別の例は「危険を避ける」には何の役にも立ちません。最近、「世田谷のラジウム事件では数10ミリシーベルトを浴びたかも知れないのに病気にならなかった」とか「首相が汚染されたものを食べても直ちに病気になっていない」などを言って「だから被曝しても大丈夫だ」とか「1年1ミリは厳しすぎる」という結論を出す人がいますが、かなり悪質と言わなければなりません。およそ専門家ならこの違うぐらいは判っているからです。
・・・・・・・・・
ところで、「1年1ミリ」はさらに決めるのに難しい面があります。それは交通事故や食中毒などと違って、毎年、被害者がでるものではないので「統計的に起こるものなのに、参考にする統計がない」ということです。だから、論争が残るのです。
統計的なものを統計がないのに目安をきめるのですから、「合意」で決めたわけですが、その合意が1年1ミリです。1年1ミリ以上の被曝をして10年後に子供がガンになるかどうかはおおよその科学的根拠はありますが、本当は「神様しか判らない」のです。だから、今後、「1年1ミリ以上でも大丈夫」という人がいたら「神様」と呼ぶと矛盾がハッキリすると思います。
未来の判らない人間なら子供たちが被曝している2011年(かりに日本に放射線漏れが無いときなら議論はOK。新しい合意を作れば良い)は、合意=1年1ミリ、しか発言できないはずです。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月21日)