野蛮国・ニッポン 園田政務官44歳 汚物を飲む
野蛮国・ニッポン 園田政務官44歳 汚物を飲む
44歳の園田政務官は処理した放射性物質汚染水を飲んで、汚染水の安全性をアピールしたと日本の報道は放送した。こんなことを報道するぐらい日本は野蛮国になったのだろうか?
セシウム137の経口致死量は0.1ミリグラムで、青酸カリの2000倍程度の毒物だが、園田政務官が飲んだ水のセシウム137の濃度はおそらく0.1マイクログラム以下で、致死量には遠く及ばない。政務官は致死量から遠く離れた汚物を飲むことを知っているので飲んだ。実に狡猾だ。
「致死量からかなり離れて少ない毒物が入っているものを飲んでも死なない」ということは野蛮国でなければ、社会は知っている。だから、園田政務官は絶対に汚染水を飲んでも死なない。だから飲んだ。
汚染水が危険かどうかは、園田政務官が64歳になるまで汚染水を飲み続けてガンにならないかどうかだ。しかも、その確率は100分の1以下だから、44歳の官僚が100人飲んで、20年後にその汚染水が安全かどうかが判る。100人に一人ということは1億人の日本では100万人が危険に陥るということを意味している。
福島の子ども達は汚染された給食を食べ続けているのだ。バカにするな!!
・・・・・・・・・
なんで政務官ほどの人がこんなに野蛮で、ピエロのようなことをしたのだろうか? 日本国民はそれほどアホなのだろうか? 今、お母さんが心配しているのは、5歳の子供が15歳で病気になるかどうかということであり、飲んだらすぐ病気になるなどと考えてはいない。政府の注水にる人はお母さんの心配を知らず、その不安になにも答えていない。
狂牛病の恐れのある牛肉をほおばる議員、汚染されたほうれん草を食べる都知事、そして汚物を飲む政務官・・・それはなにを意味するのだろうか?
それとも安全だと錯覚させ、日本の大切な子供を病気にさせたいのだろうか?? むしろ、「汚染水を飲まなければならないということは、危険が迫っているのだな」と不安を煽る効果があるだけだろう。
指導者には指導者の出処進退、尊敬される言動が必要である。私は、日本人として日本がこれ以上辱められ、野蛮になることは耐えられない。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月31日)
44歳の園田政務官は処理した放射性物質汚染水を飲んで、汚染水の安全性をアピールしたと日本の報道は放送した。こんなことを報道するぐらい日本は野蛮国になったのだろうか?
セシウム137の経口致死量は0.1ミリグラムで、青酸カリの2000倍程度の毒物だが、園田政務官が飲んだ水のセシウム137の濃度はおそらく0.1マイクログラム以下で、致死量には遠く及ばない。政務官は致死量から遠く離れた汚物を飲むことを知っているので飲んだ。実に狡猾だ。
「致死量からかなり離れて少ない毒物が入っているものを飲んでも死なない」ということは野蛮国でなければ、社会は知っている。だから、園田政務官は絶対に汚染水を飲んでも死なない。だから飲んだ。
汚染水が危険かどうかは、園田政務官が64歳になるまで汚染水を飲み続けてガンにならないかどうかだ。しかも、その確率は100分の1以下だから、44歳の官僚が100人飲んで、20年後にその汚染水が安全かどうかが判る。100人に一人ということは1億人の日本では100万人が危険に陥るということを意味している。
福島の子ども達は汚染された給食を食べ続けているのだ。バカにするな!!
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なんで政務官ほどの人がこんなに野蛮で、ピエロのようなことをしたのだろうか? 日本国民はそれほどアホなのだろうか? 今、お母さんが心配しているのは、5歳の子供が15歳で病気になるかどうかということであり、飲んだらすぐ病気になるなどと考えてはいない。政府の注水にる人はお母さんの心配を知らず、その不安になにも答えていない。
狂牛病の恐れのある牛肉をほおばる議員、汚染されたほうれん草を食べる都知事、そして汚物を飲む政務官・・・それはなにを意味するのだろうか?
それとも安全だと錯覚させ、日本の大切な子供を病気にさせたいのだろうか?? むしろ、「汚染水を飲まなければならないということは、危険が迫っているのだな」と不安を煽る効果があるだけだろう。
指導者には指導者の出処進退、尊敬される言動が必要である。私は、日本人として日本がこれ以上辱められ、野蛮になることは耐えられない。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月31日)
暴走する放射線医療関係者・・・医師の発言に疑問
暴走する放射線医療関係者・・・医師の発言に疑問
(医師が1年1ミリより多くても大丈夫といわれたときには、単に言葉だけではなく、「被曝によるガンの確率」と「治療や検査しないときのリスク」について数字で聞いてください。以下はその時の理論武装です。)
放射線医療関係者は次の2つを知っている。まず第一に、2004年に世界的に有名な医学雑誌に「日本の放射線医療は被曝レベルが高い。医療によるガンの発生は欧米の4倍と考えられる」という論文が出たこと。
第二に、医療に被曝が許されているのは、医師が「被曝の損害より、治療の効果が高いこと」と判断する場合に限定されることだ。そして、「被曝の損害」は担当医師が判断するのではなく、法律に定められた一般公衆の被曝限度1年1ミリシーベルトが基準になる。
[
Bandicam_20111030_121832519]
この図にあるように「医師という専門職」が「治療のために他人の体を傷つけても良い」という特殊な権利を持っているのは、「個別の医師の判断に基づく治療は禁止される」という前提がある。
たとえば、ある医師が「安楽死は正しい医療だ」と考えても、専門家の組織である医師会か国民の意思を代表する国会などの必要な機関が認めないと医療には使えない。安楽死は特別なケースだが、どんな医療でも、医師が「一人で判断して患者の了解無く」新しい医療を施したら、それは「人体実験」として厳しく糾弾される。
この世の中には「専門家」として特殊な権利を有している集団がいるが、それらは弁護士にしても医師にしても、教師にしても「自分勝手な判断」は禁じられている。法律を作る人、治療法を確定する人、真理を追究する人は、社会の人に直接、関係を持っていない場合に限定される。
弁護士が自分で法律を作って相談したり、医師が勝手に治療法を開発して医療をしたり、教師が自分の意見を生徒に教えたりしてはいけない。それは「専門家の倫理」として厳に戒められていることだ。
患者さんに対して「この治療や検査を行うことは必要だ」という判断だけで、患者を被曝させてはいけない。被曝による損害と治療や検査によるメリットを患者にしめし、それが納得されれば、レントゲン、CTスキャンなどが可能になる。あくまでも患者の意志による。
・・・・・・・・・
この二つのことから、「1年1ミリシーベルトでなくても良い」と言っている医師などの放射線医療関係者は、1)社会に対して直接、行動をしてはいけない研究者が錯覚しているケース、2)「医師だから患者の健康については全権を有していて社会的合意(1年1ミリ)を無視して何でもできると錯覚しているケース、の2つが見られる。
節度ある医師、尊敬される医師としての言動を求めたい。
まず医師は患者に対して放射線治療や検査をする場合、「1年1ミリで1億人に新しく5000人のガンの発生」という「社会的合意」と、患者の状態を比較するべきであり、「被曝の影響」を独自に判断してはいけない。
まして、「検査をしておいた方が後で文句(医療過誤)を言われないですむ。それから見るとがんと被曝の因果関係はつきにくい」などという姑息な気持ちを持ってはいけない。医は神聖なものである。
繰り返すが、放射線治療の医師が「自分は1年20ミリまで大丈夫」と考えるのはよい。でも、それが社会的合意にならないと自分は判断できないという謙虚な気持ちが必要だろう。そうしないと「風邪を治すためには右手を切り落とした方が良い」などという独自の判断での治療が進んでしまう。
私たちは札幌の心臓移植、四国の臓器移植、神奈川の安楽死などの医療事件を経て、社会は「医師の神の手」を拒否してきた。これらのことがを通じて社会と医療の関係について一定の進歩をしてきたが、まだ放射線医療の方では認識されていないように見える。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月30日)
(医師が1年1ミリより多くても大丈夫といわれたときには、単に言葉だけではなく、「被曝によるガンの確率」と「治療や検査しないときのリスク」について数字で聞いてください。以下はその時の理論武装です。)
放射線医療関係者は次の2つを知っている。まず第一に、2004年に世界的に有名な医学雑誌に「日本の放射線医療は被曝レベルが高い。医療によるガンの発生は欧米の4倍と考えられる」という論文が出たこと。
第二に、医療に被曝が許されているのは、医師が「被曝の損害より、治療の効果が高いこと」と判断する場合に限定されることだ。そして、「被曝の損害」は担当医師が判断するのではなく、法律に定められた一般公衆の被曝限度1年1ミリシーベルトが基準になる。
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Bandicam_20111030_121832519]この図にあるように「医師という専門職」が「治療のために他人の体を傷つけても良い」という特殊な権利を持っているのは、「個別の医師の判断に基づく治療は禁止される」という前提がある。
たとえば、ある医師が「安楽死は正しい医療だ」と考えても、専門家の組織である医師会か国民の意思を代表する国会などの必要な機関が認めないと医療には使えない。安楽死は特別なケースだが、どんな医療でも、医師が「一人で判断して患者の了解無く」新しい医療を施したら、それは「人体実験」として厳しく糾弾される。
この世の中には「専門家」として特殊な権利を有している集団がいるが、それらは弁護士にしても医師にしても、教師にしても「自分勝手な判断」は禁じられている。法律を作る人、治療法を確定する人、真理を追究する人は、社会の人に直接、関係を持っていない場合に限定される。
弁護士が自分で法律を作って相談したり、医師が勝手に治療法を開発して医療をしたり、教師が自分の意見を生徒に教えたりしてはいけない。それは「専門家の倫理」として厳に戒められていることだ。
患者さんに対して「この治療や検査を行うことは必要だ」という判断だけで、患者を被曝させてはいけない。被曝による損害と治療や検査によるメリットを患者にしめし、それが納得されれば、レントゲン、CTスキャンなどが可能になる。あくまでも患者の意志による。
・・・・・・・・・
この二つのことから、「1年1ミリシーベルトでなくても良い」と言っている医師などの放射線医療関係者は、1)社会に対して直接、行動をしてはいけない研究者が錯覚しているケース、2)「医師だから患者の健康については全権を有していて社会的合意(1年1ミリ)を無視して何でもできると錯覚しているケース、の2つが見られる。
節度ある医師、尊敬される医師としての言動を求めたい。
まず医師は患者に対して放射線治療や検査をする場合、「1年1ミリで1億人に新しく5000人のガンの発生」という「社会的合意」と、患者の状態を比較するべきであり、「被曝の影響」を独自に判断してはいけない。
まして、「検査をしておいた方が後で文句(医療過誤)を言われないですむ。それから見るとがんと被曝の因果関係はつきにくい」などという姑息な気持ちを持ってはいけない。医は神聖なものである。
繰り返すが、放射線治療の医師が「自分は1年20ミリまで大丈夫」と考えるのはよい。でも、それが社会的合意にならないと自分は判断できないという謙虚な気持ちが必要だろう。そうしないと「風邪を治すためには右手を切り落とした方が良い」などという独自の判断での治療が進んでしまう。
私たちは札幌の心臓移植、四国の臓器移植、神奈川の安楽死などの医療事件を経て、社会は「医師の神の手」を拒否してきた。これらのことがを通じて社会と医療の関係について一定の進歩をしてきたが、まだ放射線医療の方では認識されていないように見える。
中部大学武田邦彦
(平成23年10月30日)
「日本は縮こまらなくてはならない」という錯覚はどこから来たか?
「日本は縮こまらなくてはならない」という錯覚はどこから来たか?
1990年、バブルが崩壊すると、それまであれほど贅沢をしていたのに、180度転換して「節約」、「環境破壊」、「資源の枯渇」などが流行しました。
なぜ節約が必要なのか? 環境は破壊されているのか? そして、本当に資源は枯渇するのか? そんなことにはあまり関心もなく、真剣に考えもしないで、社会は「地球に優しく」という言葉に酔ってしまったのです。
中国は発展して良いけれど、日本は節約しなければならない・・・なぜ、同じ地球に住む人間としてこれほどの違いを認めていくのか、その理由すらハッキリしませんでした。
また、「事実を見ずに御札(建前)だけで進む」ことも当然のようになったのです。まだ、検証が十分ではありませんが、その結末が福島原発事故であり、東海地震を心配して阪神淡路大震災、東北大震災で犠牲をだしたのではないかと思います。
私たちはここで立ち止まり、真剣に考えなければならないでしょう。つまり、今度の福島原発事故は、1990年以来、日本社会が「現実逃避、ダブルバインド」に陥ったことによると考えられます。「ダブルバインド」とは、たとえば子供に「こっちに来なさい。あっちに行っていなさい」と二つを同時にすることができないことを求めて、相手を窮地に陥れることなどで使います。
現実にも、「環境が大切だから、ガソリンを節約しよう」と言いつつ、「高速道路はタダがよい」というようなことで、この二つが明らかに矛盾しているので、ダブルバインドの例です。日本社会はそれを自分でやって自分で苦しんでいるように見えます。
●原子力発電は安全だ≠僻地に原子力発電を作る
●原子力発電所は地震に強い≠震度6に耐えた原子力発電所はない
●ゴミを分ければ資源≠分別したプラスチックは燃やしている
●CO2で日本は温暖化する≠水の比熱は空気の3500倍
●アルプスの氷が融けているのはCO2の温暖化だ≠イギリスのテムズ川が1814年から凍らないのは太陽による温暖化だ
●少子化を食い止めれば年金が安定する≠ピンピンころりが理想だ
●命を大切にする教育≠福島の子供は1年20ミリ
●中国の食材は危険だ≠日本の食材はセシウムだけで1年5ミリ
●中国は情報統制している≠福島3号機の爆発の写真は報道しない
●東京に住んでいる≠温暖化防止を叫ぶ
●東京に住んでいる≠生物多様性を叫ぶ
●トキを保護する≠ゲンゴロウの絶滅には関心がない
・・・・・・・・・
私たちはこの際、「今だけ良ければよい」、「言葉だけ優しそうに見える」ということから、自らの意志、誠意、良心に戻らなければならないように感じられます。
「takeda_20111030no.283-(7:16).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月30日)
1990年、バブルが崩壊すると、それまであれほど贅沢をしていたのに、180度転換して「節約」、「環境破壊」、「資源の枯渇」などが流行しました。
なぜ節約が必要なのか? 環境は破壊されているのか? そして、本当に資源は枯渇するのか? そんなことにはあまり関心もなく、真剣に考えもしないで、社会は「地球に優しく」という言葉に酔ってしまったのです。
中国は発展して良いけれど、日本は節約しなければならない・・・なぜ、同じ地球に住む人間としてこれほどの違いを認めていくのか、その理由すらハッキリしませんでした。
また、「事実を見ずに御札(建前)だけで進む」ことも当然のようになったのです。まだ、検証が十分ではありませんが、その結末が福島原発事故であり、東海地震を心配して阪神淡路大震災、東北大震災で犠牲をだしたのではないかと思います。
私たちはここで立ち止まり、真剣に考えなければならないでしょう。つまり、今度の福島原発事故は、1990年以来、日本社会が「現実逃避、ダブルバインド」に陥ったことによると考えられます。「ダブルバインド」とは、たとえば子供に「こっちに来なさい。あっちに行っていなさい」と二つを同時にすることができないことを求めて、相手を窮地に陥れることなどで使います。
現実にも、「環境が大切だから、ガソリンを節約しよう」と言いつつ、「高速道路はタダがよい」というようなことで、この二つが明らかに矛盾しているので、ダブルバインドの例です。日本社会はそれを自分でやって自分で苦しんでいるように見えます。
●原子力発電は安全だ≠僻地に原子力発電を作る
●原子力発電所は地震に強い≠震度6に耐えた原子力発電所はない
●ゴミを分ければ資源≠分別したプラスチックは燃やしている
●CO2で日本は温暖化する≠水の比熱は空気の3500倍
●アルプスの氷が融けているのはCO2の温暖化だ≠イギリスのテムズ川が1814年から凍らないのは太陽による温暖化だ
●少子化を食い止めれば年金が安定する≠ピンピンころりが理想だ
●命を大切にする教育≠福島の子供は1年20ミリ
●中国の食材は危険だ≠日本の食材はセシウムだけで1年5ミリ
●中国は情報統制している≠福島3号機の爆発の写真は報道しない
●東京に住んでいる≠温暖化防止を叫ぶ
●東京に住んでいる≠生物多様性を叫ぶ
●トキを保護する≠ゲンゴロウの絶滅には関心がない
・・・・・・・・・
私たちはこの際、「今だけ良ければよい」、「言葉だけ優しそうに見える」ということから、自らの意志、誠意、良心に戻らなければならないように感じられます。
「takeda_20111030no.283-(7:16).mp3」をダウンロード
中部大学武田邦彦
(平成23年10月30日)