新米は食べられるか? その顛末
新米は食べられるか? その顛末
2011年の新米ができたとき、福島県は「コメは汚れていない」と安全宣言をしました。その時、このブログでは、「新米は来年まで待った方がよい」と書きました。
新米が汚れているかどうかは「政治の問題」ではなく、まぎれもなく「科学の問題」です。科学は「データ」だけでは判断しません。私が「新米は注意」と言ったのは、今までのデータでは「どのぐらい畑が汚れていたら、お米はどのぐらい汚染される」という「移行率」のデータがあるからです。
科学は、1)データをウソ偽りなく、詳細にとる、2)そのデータが過去の知見と合致するかどうかを見る、3)合致したら一応、データが正しいとする、4)合致しない場合はペンディングとして再実験する、というのが普通だからです。
福島の新米は安全なはずはないのです。これは農家の方が「懸命にやった」という人間的なこととは無関係で、汚染された畑からセシウム、ストロンチウムが稲に移るのは科学の問題です。 また、悪い人は東電であって、汚染米を買わない消費者でも、汚染米を予測する私でも無いのです。
また日本人の誠意という点から考えてみましょう。福島県はコメの安全宣言を出してから、危険なコメが多く見つかっています。それも暫定基準値です。だからすっかり信用を失いました。人間にとって間違ったことを言って信頼を得るのは困難です。誠実になってください。
・・・・・・・・・
安全宣言をしたコメが汚染されていたのですから、当然、福島のコメは汚染されているということになります。それも政府の暫定基準ですから、子供には危険な1年5ミリの被曝を受けます。また福島産のお米を宮城産と偽って販売していますから、宮城産もダメということになります。
すでに稲を植えるときに畑を耕してしまったので、あと30年、泥沼のようなコメ作りになる可能性があります。農業の人は「苦労しているからみんなも汚染米を食べてくれ」という考えから、「生活は政府に補償して貰い、汚染米を出さない」ということに変更して貰いたいと思います。
できれば、1年5ミリではなく、日本の法律(これまで日本人を被曝の被害から守ってきた法律)を守って、外部被曝を含んで1年1ミリにしてください。それを福島から率先して実施して貰いたいと期待します。事実は覆りません。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月29日)
2011年の新米ができたとき、福島県は「コメは汚れていない」と安全宣言をしました。その時、このブログでは、「新米は来年まで待った方がよい」と書きました。
新米が汚れているかどうかは「政治の問題」ではなく、まぎれもなく「科学の問題」です。科学は「データ」だけでは判断しません。私が「新米は注意」と言ったのは、今までのデータでは「どのぐらい畑が汚れていたら、お米はどのぐらい汚染される」という「移行率」のデータがあるからです。
科学は、1)データをウソ偽りなく、詳細にとる、2)そのデータが過去の知見と合致するかどうかを見る、3)合致したら一応、データが正しいとする、4)合致しない場合はペンディングとして再実験する、というのが普通だからです。
福島の新米は安全なはずはないのです。これは農家の方が「懸命にやった」という人間的なこととは無関係で、汚染された畑からセシウム、ストロンチウムが稲に移るのは科学の問題です。 また、悪い人は東電であって、汚染米を買わない消費者でも、汚染米を予測する私でも無いのです。
また日本人の誠意という点から考えてみましょう。福島県はコメの安全宣言を出してから、危険なコメが多く見つかっています。それも暫定基準値です。だからすっかり信用を失いました。人間にとって間違ったことを言って信頼を得るのは困難です。誠実になってください。
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安全宣言をしたコメが汚染されていたのですから、当然、福島のコメは汚染されているということになります。それも政府の暫定基準ですから、子供には危険な1年5ミリの被曝を受けます。また福島産のお米を宮城産と偽って販売していますから、宮城産もダメということになります。
すでに稲を植えるときに畑を耕してしまったので、あと30年、泥沼のようなコメ作りになる可能性があります。農業の人は「苦労しているからみんなも汚染米を食べてくれ」という考えから、「生活は政府に補償して貰い、汚染米を出さない」ということに変更して貰いたいと思います。
できれば、1年5ミリではなく、日本の法律(これまで日本人を被曝の被害から守ってきた法律)を守って、外部被曝を含んで1年1ミリにしてください。それを福島から率先して実施して貰いたいと期待します。事実は覆りません。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月29日)
日本の歴史を変えた内閣・・・菅内閣
日本の歴史を変えた内閣・・・菅内閣
日本のお城には殿様がおられ、住民は無防備でお城の外にいます。これに対してパリ(フランス)でも南京(中国)でも、城壁の中に住民が住んでいます。
この違いは、日本が「国」であったのに対して、フランスも中国も「地域」はあっても「国」ではなかったことを示しています(現代のコペルニクス参照) 日本が「国」だったのは、四面を海で囲まれ、天皇陛下をいただいていたことによります。
だから、アメリカでは銃が必要になり、中国人は我が身を守るためにウソを言うと言われます。日本人が銃を持つ必要もなく、ウソをつくこともないのは、「国」が常に正しく、国民を守ってくれるからに他なりません。
・・・・・・・・・
ところが、原発事故が発生してから、日本は国を失いました。政府が国民を被曝させることに熱心になったからです。そして巷では「自分の身は自分で守ろう」、つまり「銃を持とう」という考えが支配的になっています。ある若い人を対象としたアンケートでは、実に97%の人が「政府は信用できない」と言い、政府を信用できるという人はわずか1%(残りの2%は回答なし)でした。まさに政府というより、日本国の崩壊です。
・・・・・・・・・
当然です。原発事故が起こったら、「直ちに健康に影響はない」といって逃げるのを遅らせ、ウシが汚染された草を食べました。「規制値の3355倍でも健康に影響がない」と言って法律の価値を失わせました。「遠くに逃げろ。放射線は距離の2乗に反比例する」と言って長い時間、被曝させました。「1年20ミリまで大丈夫=1年400回の胸のレントゲン」と言って福島の人を被曝させ、「1年5ミリの給食を食べさせる」、「ストロンチウムは測定しない」、「横浜市は給食に暫定基準値も超える食材を児童に食べさせる」、「農水省は農作物の産地表示を曖昧にせよと指導する」、「裁判所は東電からの放射性物質はそれが降った土地の人のものだから、東電はかたづけなくて良い」と言う。
ここまで繰り返されれば、2000年の長い伝統を誇った日本の「国」も菅政権でもろくも崩れ去ったのである。いま、「私にできること」というのがはやっている。つまり、「国は何もしないから、私がする」ということであり、国はなくなった。
絶対にそれではいけない。子供たちが銃を持たなければ安心して生活できないような国、城壁の中に住民が住む国にしてはいけない。もう一度、「清貧」、「誠実」、「礼節」を重んじる国にしなければならない。それが大人の責任である。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月29日)
日本のお城には殿様がおられ、住民は無防備でお城の外にいます。これに対してパリ(フランス)でも南京(中国)でも、城壁の中に住民が住んでいます。
この違いは、日本が「国」であったのに対して、フランスも中国も「地域」はあっても「国」ではなかったことを示しています(現代のコペルニクス参照) 日本が「国」だったのは、四面を海で囲まれ、天皇陛下をいただいていたことによります。
だから、アメリカでは銃が必要になり、中国人は我が身を守るためにウソを言うと言われます。日本人が銃を持つ必要もなく、ウソをつくこともないのは、「国」が常に正しく、国民を守ってくれるからに他なりません。
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ところが、原発事故が発生してから、日本は国を失いました。政府が国民を被曝させることに熱心になったからです。そして巷では「自分の身は自分で守ろう」、つまり「銃を持とう」という考えが支配的になっています。ある若い人を対象としたアンケートでは、実に97%の人が「政府は信用できない」と言い、政府を信用できるという人はわずか1%(残りの2%は回答なし)でした。まさに政府というより、日本国の崩壊です。
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当然です。原発事故が起こったら、「直ちに健康に影響はない」といって逃げるのを遅らせ、ウシが汚染された草を食べました。「規制値の3355倍でも健康に影響がない」と言って法律の価値を失わせました。「遠くに逃げろ。放射線は距離の2乗に反比例する」と言って長い時間、被曝させました。「1年20ミリまで大丈夫=1年400回の胸のレントゲン」と言って福島の人を被曝させ、「1年5ミリの給食を食べさせる」、「ストロンチウムは測定しない」、「横浜市は給食に暫定基準値も超える食材を児童に食べさせる」、「農水省は農作物の産地表示を曖昧にせよと指導する」、「裁判所は東電からの放射性物質はそれが降った土地の人のものだから、東電はかたづけなくて良い」と言う。
ここまで繰り返されれば、2000年の長い伝統を誇った日本の「国」も菅政権でもろくも崩れ去ったのである。いま、「私にできること」というのがはやっている。つまり、「国は何もしないから、私がする」ということであり、国はなくなった。
絶対にそれではいけない。子供たちが銃を持たなければ安心して生活できないような国、城壁の中に住民が住む国にしてはいけない。もう一度、「清貧」、「誠実」、「礼節」を重んじる国にしなければならない。それが大人の責任である。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月29日)
自治体やマスコミは法律・倫理違反を推奨してはいけない
自治体やマスコミは法律・倫理違反を推奨してはいけない
原発事故の後、自治体もマスコミもまるで「17歳のぐれた青年」のようだ。17歳の頃、むやみに社会に反抗したくなり、「俺、免許なんかねえけど、高速を160キロで飛ばしてるぜ」とか、そんなことを言って他愛なくカッコをつけたくなるものだ。長じてもそんな若い頃の癖が抜けない人がいて、「俺なんかいつも酒飲んで運転しているけど、別に交通事故なんか起こさないぜ」といってカッコをつけている。
でも、法律や規則違反を推奨するのは感心したことではない。私はよく週刊誌などのマスコミで「武田は1年1ミリと言って危険を煽っている」と言われるが、「1年1ミリ」という法律や規則があるからこそ、これまで日本人は被曝から守られてきた。それでも「日本人は医療被曝でかなりのガンが発生している」という報告もあるぐらいだ。
私が法律による被曝限度を説明すると、「法律を説明する=危険を煽る」というのだから、こんなことはこれまでの日本にはないことだった。東電の手先であることは確かだが、なんでそんなに東電にゴマをすりたいのだろうか?
福島原発事故以来、誠実で遵法精神の高い日本人としては驚天動地のことが続いている。NHKは「被曝限度の法律」についてほとんど触れずに、「大丈夫」を繰り返している。地方裁判所は「東電からゴルフ場に降ってきた放射性物質の所有権はゴルフ場だから、ゴルフ場が勝手に片付けろ」などという非常識な判決を出している。
今後、日本社会は、時速80キロの高速道路を120キロで走ってもNHKは「大丈夫だ」というだろうし、誰かが他人の敷地に毒物をまいても「まかれた方が片付けろ!」と怒鳴られるという、とんでもない日本社会になりそうだ。
・・・・・・・・・
福島原発事故で気が動転したのはわかるが、それにしても日本全体の慌てようはどうしたものだろうか? 流山市長も17歳では無いのだから責任のある態度をとって法律ぐらい読んでください。また、報道関係もしっかりした遵法態度、危険に関して慎重な報道を望みます。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月27日)
原発事故の後、自治体もマスコミもまるで「17歳のぐれた青年」のようだ。17歳の頃、むやみに社会に反抗したくなり、「俺、免許なんかねえけど、高速を160キロで飛ばしてるぜ」とか、そんなことを言って他愛なくカッコをつけたくなるものだ。長じてもそんな若い頃の癖が抜けない人がいて、「俺なんかいつも酒飲んで運転しているけど、別に交通事故なんか起こさないぜ」といってカッコをつけている。
でも、法律や規則違反を推奨するのは感心したことではない。私はよく週刊誌などのマスコミで「武田は1年1ミリと言って危険を煽っている」と言われるが、「1年1ミリ」という法律や規則があるからこそ、これまで日本人は被曝から守られてきた。それでも「日本人は医療被曝でかなりのガンが発生している」という報告もあるぐらいだ。
私が法律による被曝限度を説明すると、「法律を説明する=危険を煽る」というのだから、こんなことはこれまでの日本にはないことだった。東電の手先であることは確かだが、なんでそんなに東電にゴマをすりたいのだろうか?
福島原発事故以来、誠実で遵法精神の高い日本人としては驚天動地のことが続いている。NHKは「被曝限度の法律」についてほとんど触れずに、「大丈夫」を繰り返している。地方裁判所は「東電からゴルフ場に降ってきた放射性物質の所有権はゴルフ場だから、ゴルフ場が勝手に片付けろ」などという非常識な判決を出している。
今後、日本社会は、時速80キロの高速道路を120キロで走ってもNHKは「大丈夫だ」というだろうし、誰かが他人の敷地に毒物をまいても「まかれた方が片付けろ!」と怒鳴られるという、とんでもない日本社会になりそうだ。
・・・・・・・・・
福島原発事故で気が動転したのはわかるが、それにしても日本全体の慌てようはどうしたものだろうか? 流山市長も17歳では無いのだから責任のある態度をとって法律ぐらい読んでください。また、報道関係もしっかりした遵法態度、危険に関して慎重な報道を望みます。
中部大学武田邦彦
(平成23年11月27日)