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子供たちの被曝の責任(1)・・・原子力安全委員会の辞職

子供たちの被曝の責任(1)・・・原子力安全委員会の辞職

今、日本社会はなんでも「優しさ」を求めています。その結果、原発のような厳しいことが必要なものでは、爆発がおきて子供たちが被曝しました。いったい「心の痛みがわかるか?」とか「優しい言い方」とは何なのでしょうか?

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● 原子力安全委員会は「日本国民を危険な原子力から国民を守る」という任務を持って設立されたものです。ところが今回の福島原発の爆発は、原子力安全委員会がその機能を果たしていなかったことを示しています。

● ところが、事故後、原子力安全委員会から詳細な「事故の本質的原因」についてほとんど言及されていません。それどころか、原子力安全委員の一人は「天寿を全うしてこの世を去った人の原因がガンである場合に比較して、15歳で東電の漏らした放射性物質でガンになって亡くなる人の比率は低いので、問題では無い」と国会で発言しました(発言した委員の辞職を求めます)。

● つまり、原子力安全委員会は自らの責任がどこにあるのか、理解していないのです。国民にとって怖いことは、能力のないことが証明された原子力安全委員会がまだアドバイスをしていることです。同じ人が同じやり方でやっているのですから、また事故が起こるでしょう。

● さらには、「我々は内閣に忠告するアドバイス機関に過ぎない」と責任を回避していますが、仮にアドバイスしかできなかったとして、事故が起こったとすると内閣がどのような具体的なことでアドバイスを聞かなかったから事故になったのか、これも国民に対して明らかにしなければなりません。

● 原子力安全委員会の設立の考え方はアメリカなどに学んでいるのですが、アメリカではこのような事故の時に、原子力安全委員長が度々、記者会見を行い、国民に直接、説明をしています。日本の原子力安全委員長はまったくやっていません。

● 原子力安全委員会は「官僚に取り囲まれて身動きができない」、「経産省の保安院が勝手に行動して、情報を出さない」(原子力安全委員会は内閣府)などと苦情を言ってきました。それについても言及が必要です。

● 事故が起こったのに、原子力安全委員の責任は全く追及されておらず、もしかすると今でもお手当を貰っているのかも知れません。とんでもないことです。自分たちに力が無かったから事故が起こったのですから、直ちに責任を明らかにして、辞職すべきです。

● 原子力基本法は「自主・民主・公開」を求めていて、原子力安全委員会こそが、それを他の機関に求める立場にありながら、それもやっていません。

● 今後、日本が原発に依存するかどうかを含め、きわめて重要な問題なのにメディアもほとんど原子力安全委員会の責任を追及していません。姉葉事件(マンション耐震性)、食品不祥事事件、酒井法子さん事件などの追及に比較してメディアの追究は不十分です。

事件が起きたとき、その責任を追及しておくことは事故の再発を防ぐためにも大切です。原子力安全委員会は自ら謝罪と理由の説明を行い、メディアは厳しく追及するべきでしょう。私たちの子供たちのために。

中部大学武田邦彦
(平成23年12月2日)

【カイロ蜂起・第2幕】 まだ浅きアラブの春 ~下~

tanakaryusaku

 28日(現地時間)から、ムバラク政権崩壊後、初の議会選挙が始まった。1月末まで続く。エジプト国民にとって初めての自由選挙である。
 投票所前には長蛇の列ができた。ほとんどの有権者は「(投票は)もちろん初めて」と答えた。ムバラク政権下の選挙は恐くて行けなかったのである。投票所前には秘密警察が立ち、「誰に投票するのか?」と尋ねる。ムバラク派以外の候補者の名前を挙げようものなら、追い返されるか、警察署に連行された。
 選挙はムバラク政権下で非合法とされていたムスリム同胞団の政治組織「自由・正義党」が第1党になるものと予想されている。カイロ旧市街地の投票所近くではムスリム同胞団のメンバーがインターネット端末をテントに持ち込み、有権者に選挙人登録番号などを教えていた。
 多くがムハマド、アブダラといったイスラム教徒独特の名前であるため、名前だけだと識別がつかない。割り振られた登録番号で投票所に入るのである。ところが有権者のほとんどは、これまで選挙に行ったことがない。自分の登録番号を知らないのだ。
 同胞団が教えていたのは、有権者の登録番号である。投票誘導ではない。同胞団の真骨頂である社会奉仕活動の一環である。ナセル政権以降、半世紀余りに渡って弾圧を受けながらも人々のために尽くしてきた同胞団が民衆の支持を受けるのは極自然なことと言える。
 同胞団の政治組織「自由・正義党」に投票した有権者は、理由を「(同胞団は)一般の人に尽くしてきたから、独裁政権は欲しくない」と口々に答えた。
 今回の蜂起が不発に終わったのは、ムスリム同胞団が参加しなかったことに尽きる。同胞団はエジプト国民の70%が何らかの形で関わり合っている、と言われるほど裾野の広い組織だ。
 だが、観光立国のエジプトは欧米文化の刺激を常日頃から受けていることから、イスラム原理主義の戒律の厳しさに違和感を覚える向きもある。女性を中心に男性の間にもある。政治や法律にまでイスラム原理主義が持ち込まれるのは、避けてほしい、と言うのである。
 通訳者のラザーヌ・マフルートさん(25歳・女性)は「イランのようになってほしくない。キリスト教国をはじめ海外諸国と仲良くしてほしい」と語る。
 カイロ大学教員のラドワ・タウードさん(27歳・女性)は「世俗主義の人が政権トップになってほしい」とまで話す。

 一方で、軍事援助をテコにした米国の介入を防ぐことができるのは、イスラム原理主義であるとしてムスリム同胞団の政治組織「自由・正義党」を熱烈に支持する男性有権者は多い。
 「軍は嫌いだ」と抗議して選挙を拒否し、タハリール広場を占拠していた若者たちは、大衆の支持を失った。参加者は日を追うごとに減っていくばかりだ。前回(1月~2月)の市民革命は「人民の海がうねっている」とでも形容したくなるほど民衆の熱気が凄まじかった。今回の蜂起は「池のさざなみ」にすぎない。
 現地の老練ジャーナリストは筆者に「どこが第1党になろうが、軍の特権は維持される、国民のほとんどが軍を支持しているから」と言い切った。
 イスラム「原理主義」と「世俗主義」の間を適度に揺れながら、アメリカの言いなりにはならない国造りを進めてゆく。中東の大国エジプトには、地域の安定に貢献してもらいたい。民衆がアラブの春を実感できるように。
               (おわり)

【カイロ蜂起・第2幕】 まだ浅きアラブの春 ~上~

tanakaryusaku

 軍は今回もしたたかだった。議会選挙の延期を求めて学生をはじめ若者たちがタハリール広場や政府庁舎前を占拠したが、盛り上がらないと見るや、予定通り選挙の実施に踏み切った。
 30年間に及んだムバラク独裁を倒した前回(1~2月)の民衆蜂起と今回の“占拠騒動”を比べると、「大火」と「ボヤ」くらいに違う。
 10か月前を振り返るといまだに身震いがするほど緊張する――
 先ず、入国が一苦労だった。週刊誌などで有名な日本の人気カメラマンは空港で商売道具のカメラを没収された。筆者は間違ってもジャーナリストと気付かれないように工夫した。赤いヤッケを羽織り、花柄のボストンバッグを持った。
 カイロ市内の主要交差点には戦車が置かれ、通行車両を検問した。自警団も辻々で車を止めた。筆者が投宿するホテルの玄関前には戦車が横づけされていた。検問を受けるのが嫌で毎度、裏口からホテルに入っていたのを思い出す。
 政府施設などを撮影したのを見咎められカメラを没収されそうになったことが幾度もあった。現地コーディネーターが上手にとりなしてくれ、メモリーカード提出で難を切り抜けた。5枚は軍に取り上げられただろうか。
 軍の兵士がホテルの部屋に踏み込んでくるのではなかろうか、といつも身構えていた。実際、タハリール広場のもようをライブ中継していたアルジャジーラは、警察に踏み込まれている。

 軍のヘリコプターが四六時中、タハリール広場上空を旋回した。プロペラの重低音が今も耳に残っている。カイロ市内の緊張が高まれば高まるほど、民衆は昂揚した。
 建設現場の労働者たちは戦車のキャタピラに背中や頭を寄せ、タハリール広場を守った。午後ともなると仕事を終えた人たちが続々とタハリール広場に押し寄せた。連日、10万人を超す人民の海が広場を埋め尽くしたのである。蜂起から18日後、ムバラク大統領は辞任に追い込まれた。
 この間、軍は民衆にいっさい手出しをしなかった。民衆が腐敗しきったムバラク政権を追い詰めるのを静観し利用した。軍は市民革命を「乗っ取った」のである。
      (つづく)