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原発事故を混乱させたもの(2) 危険の確率と約束事

原発事故を混乱させたもの(2) 危険の確率と約束事

原発事故の直後、福島に入った山下医師が「1年100ミリまで被曝しても1000人に5人しかがんで死なないから心配はない。むしろ病気になるのではないかというストレスの方が問題だ」と発言しました。

この発言は医師という社会的な影響の大きな人であること、後に福島県の役職に就くことなどを考慮すると医師としての倫理を大きく逸脱しているので、山下医師は早く医師の免許を返還しなければならないと思いますが、そのことはまた別の機会に整理をします。

ここでは、「危険の確率」と「社会的な約束」について整理をして、原発事故以来、混乱を招いていることをはっきりさせて、これ以上の被曝を避けるための武器にしたいと思います。

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被曝と病気の関係ばかりではなく、この世のもので多くの人やものが関係していると「統計的に起こる」ということがあります。道路で制限速度が時速50キロの場所でも100キロで走っても「必ず事故が起こる」という訳ではありません。

2回に1回、つまり確率50%で起こると言うことも普通にはなく、1%か2%ぐらいが普通です。でも、それは現代の日本では「あまりに交通事故が多い」と言うことになるので、時速が50キロに制限されていると言うことです。

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つまり、少し数学的なグラフになりますが、多くのものはこのグラフのように何かが起こる確率が山のようになっています。山の形を「正規分布」とかいろいろな名前がついていて、それが起こることの性質に関係しています。でも原理は変わりませんから、まずは「物事は確率的に起こることが多いのだな」と理解しておいてください。

ところで人が「危険」と感じるのはどのぐらいの確率の時でしょうか? これは時代、場所、またそのときの社会の状態によって変わります。昔は寿命が短かったので、危険と隣り合わせの生活でした。また戦争が起こると急に「普段の危険が安全に感じられる」と言うこともあります。

また人間は「自分で好んでする」と言うときや「自分の得になる」という場合には危険を危険と感じないという自己中心的なところがあり、それでもかなりの差があります。

現代の日本では交通事故が標準的で、「自動車が走ることは自分の得になるが、自分は運転しない」という状態の時に交通事故死が1万人を超えると「大変だ!交通戦争だ」と社会では大騒ぎになり、何とか交通事故を減らそうとします。

原発の場合、「原発から電気をもらうけれど、自分は原発から給料をもらっている訳ではない」ということが普通ですし、自動車がなければ社会はかなり困りますが、原発がなくても石油や石炭を燃やせば電気ができるので、代換えがあります。

このような時に原発によってどのぐらいの被害までは「大したことはない」と感じるかですが、おおよそ交通事故の10分の1ぐらいでしょう。というのは、これまでの研究で、意思のありなし、得の大きさで最大1000倍ぐらいの差があると言う結果が得られているからです。

そうすると原発による被曝がもとでがんで死ぬ人は、交通事故(1万人に1人)の10分の1とすると年間1000人ということになります。人によってはそれでも多いように感じるでしょう。確かに、福島原発事故の前には原子力安全委員会は「1年に150人まで」としていました。

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これらのことと、山下医師が言った1000人に5人だから大したことはないとの発言と比較すると、日本社会が認める危険性は1億人で150人から1000人ぐらい、山下医師はそれを1億人で50万人までOKと言ったのです。現在でも福島県は1億人に50万人までOKと言うことを元にしていますから、日本の社会が全く認めないような状態のところに人が生活しているのです。

ちなみに日本の法律(1年1ミリ)はその100分の1ですから、1億人で5000人まで認めているということになリます。これが少し大きめの数字になっているのは、交通事故は日本人にとって一生同じような状態が続くのですが、原発事故ではある時期に限定されるなどの条件が少し違うからです。

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マスコミもこの「統計的な現象」をよく理解せずに報道しています。たとえば東京でかなり高い線量の場所が見つかったとき、そこに住んでいた人が元気だったので「かなり高い被曝を受けても元気だ」と報道しました。

しかし、時速50キロ制限の道路を高速で走っても「事故を起こさない人が大半」であることからもわかるように、「1年100ミリ浴びても1000人で995人は無事」なのですから、「被曝しても大丈夫な人がいた」と言うことと「1年100ミリの被曝を受けても大丈夫」と言うこととは全く違うのです。

さらに、「被曝よりストレスの方が危険」という比較は許されていません。というのは、「高速道路を制限速度で走ると、いらいらしてその方が体に悪いから、スピード違反してもよい」とか、「たまにはお酒を飲んで運転するぐらいの方が健康によい」などという論理はないからです。

いずれにしても、原発事故が起こってから多くの人が東電をかばい(強いものに応援する)、大したことはないを連発しましたが、確率的におこることをよく理解して、感情的・衝動的に記事を書いたり、報道したり、まして社会の指導者が安全な日本の伝統を崩さないようにしてほしいと思います。

「statisticstdyno.12-(10:05).mp3」をダウンロード





中部大学武田邦彦
(平成24年4月1日)

新しい環境学(1) 森林・・・花粉症、紙のリサイクル、割り箸、CO2

新しい環境学(1) 森林・・・花粉症、紙のリサイクル、割り箸、CO2

(新年度、原発事故から1年ということで、頭が「まとめ」の方にいってしまいます。)

1990年に日本では突如、「環境学」というのが現れ、「ゴミが増えてゴミだらけになる」とか「ダイオキシンは人間が作り出した猛毒だ」というような話になり、最近では「CO2で地球が温暖化して大変だ」というようなこと(すべて間違い)を言い続けました。

学問ができたばかりですから少し間違うのはよいとしても、あまりに幼稚なレベルが続いています。もう20年も過ぎましたので、「小学生でもおかしいと思う」ということが多い環境学を少し修正しておかなければならなりません。

また、「環境とはこういうものだ」という間違った空気を作り出し、それが「空気が事実だ」と変わり、「正しい環境学の人」を誹謗中傷するまでになったのです。でもこれは修正しておかなければなりません。

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簡単なことから始めますが、日本では「花粉症」、「紙のリサイクル」、「割り箸忌避運動」、それに「森林がCO2を吸収する」というような森林に関する基本的な機能に全く反する「幼稚な環境認識」が蔓延しています。

「自然界の中の森林の役割」、「人間との関係における森林の役割」から森林の環境問題を考えなければなりません。自然には海、平野、森林などがありますが、それらは地質学的な成因に応じてできていて、それぞれが全体として調和しています。これらは人間が決定したり左右したりすることはできず、自然をそのまま受け入れるという性質のものです。

一方、人間と自然、その中でも人間と森の関係はこれまでの歴史的な経験でかなりのことがわかっています。標準的に言えば、森は天然林と人工林の比率を半分半分ぐらいにして、ドングリなどの実がなりやすい天然林を山の奥の方に、定期的に切り出して運搬する必要のある人工林を人里の方にと配置するのがよいとされています。

このことでわかるように、人間と森林の関係では、人間が森林の半分を利用することが望ましいと言うことです。そしてその指標として「森林利用率」というのがあります。この指標はかつて「森林保護派」と言われる人たちによって間違った使い方をされました。

森林保護派の人は森林のことはよく知っていましたので、おそらくは「森林を守るために嘘をついてよい」と思ったのでしょう、「森林利用率が90%などけしからん!森林が破壊されてしまう」と言ったのですが、実は森林利用率は「今年、新しく伸びた樹木量」が分母で、「人間が切り出した樹木量」が分子ですから、100%の時にちょうど森林はよい状態になるということです。

森林を大切にしているスウェーデンなどの北欧の国の森林利用率が90%であることからもわかります。でも、日本では「森林保護派」と言われた人たちは、今の環境省のように名前だけで実際には森林を保護する気持ちはなく、それを通じた利権を狙っていました。

かくして、戦後、植林した日本の森林の利用率は40%まで減りました。40%というと60%が伸びたまま放置されたと言うことを意味していますので、日本の森林はひどいことになったのです。何しろその年に伸びた樹木がそのまま放置されたのですから、自分の家の庭を想像してみればわかりますが、森林がひどいことになったのです。

もう一つの原因は、戦後のうちの方はある程度改革しましたが、林野庁がサボって森林の改革をしませんでした。そのため小さい地主がいたり、山の奥の方に植林したりしたので、有効な利用ができなかったのです。

ここでも日本の官僚の能力不足で、日本の森林が利用できなくなったという事情が見られます。仮に戦後に森林の改革をして山の奥の方は天然林、人里に近く伐採、運搬に便利なところに杉を植えていれば、1950年に植林した樹木は1980年ぐらいになって利用できたのです。

樹木の利用は太陽エネルギーの最も優れた利用方法ですから、現在の太陽光発電などより効率もよく、「再生可能エネルギー」を支持している人はまず杉を伐採することから始めなければならないのです。

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森林の利用と言ってもほとんどが樹木ですが、樹木は単位面積あたり150立方メートル伐採しても、そのうち30立方メートル、つまり5分の1しか材木としては利用できません。それは間引き、枝打ち、伐採のための道路、断面積が円形であるので四角い材木との関係で「みみ」がでることなどが主な理由です。

伐採した樹木のうち5分の4が無駄になるのですから、これをどのように利用するのかがポイントとなります。それが「割り箸」、「ベニア」などだったのですが、ここでも森林保護派が割り箸の忌避運動を展開して森林を破壊してしまいました。

つまり、森林保護というのは半分を自然林にして、そこが野生動物と人の緩衝地帯になり、計画的な地形と植林で災害を防ぐなどの意味を持っています。しかしそれが成立するには、1)林野庁が計画的な森林の改革をすること、2)5分の4出る「劣位の資源」を有効に利用すること、にかかっているのです。

世界の3大森林国である日本が森林を放置しているのは「人災」であることがわかります。この人災は林野庁、環境省、そして森林保護派の共同人災で、その結果、1980年代に伐採して利用するべき杉が利用できず、杉の花粉による花粉症が蔓延した原因を作りました。

その意味では日本人の健康を損ねたという点で、林野庁はサボりによる傷害の原因を作り、環境省、森林保護派は積極的に花粉症を作り出したという点で罪深いのです。紙のリサイクルも、森林がCO2を吸収するという非科学的なことも、すべては森林を愛し、大切にすることよりお金、利権、名誉などを追求した結果でした。日本は人災だらけですね。

今からでも改善はできるので、森林の利権者の話し合い、杉の伐採などにこそ太陽電池の補助金の予算を回して、日本の自然を守り、自然からに恵みを大切にしたいと思います。

「foresttdyno.11-(10:00).mp3」をダウンロード






中部大学武田邦彦
(平成24年4月1日)

「衝撃 福島原発沖の奇形魚 放射能で突然変異始まる」

NHKでも放映された震災後の三陸沖を水中撮影した水中カメラマン鍵井靖章氏が、広東省撮影家協会潜水委員会設立のイベントに出席した。
鍵井靖章氏は、東日本大震災後の4週目から現在に至るまで、福島原発の沖の海中に潜って被災地の海底を撮影し続けている。
福島原発の放射能汚染海域での撮影写真を中央日報が掲載した。撮影された魚はカサゴのようにも見えるが、ひげがいろんなところから出てきて先は珊瑚のような花のような突起となっている。もう一枚は緑色に気味悪く光る魚の卵の写真である。これまで見たことないという。

放射線生態学ウォルト・ウィクラー氏によると、海洋生物の卵と稚魚は放射性物質に敏感に反応するため、被爆によってDNAになんらかの異常が発生した可能性がある。仮に生物連鎖全体でDNA 異常が発生した場合、全人類が被害者になる可能性があると指摘している。
放射性物質は、既に海底泥の中20メートルの奥深くまで浸透し、長い年月をかけても簡単に取り除く事はできないのが現実だ。底物の魚は特に影響が大きい。

山谷川の多い福島県、あちこちにホットスポットがある。今回帰郷となる地域は大丈夫だろうか心配でならない。特に細胞分裂が激しい幼児や子供たちが低放射線にやられ続けることになる。その影響は一生続く可能性もあるのだ。


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