【音声配信版】



前回はサム・クックの2つのライブアルバムの融合について話していたんですけど、今回は2つのブルースアルバムについて話してみようと思います。


以前のブログ記事にも書いてて、ここでも話したことがある未出版の論文で、石黒隆之さんの『甘やかなブルース サム・クック論』っていうのがありましたよね。

その著者の石黒さんがツイッター(今はXですが)をやってられてフォローさせて頂いてるんですが、先日のツイートで、まだ一冊も本を出版したことがないし、別にする気もないようなことを書いてられて、思わず「石黒さんのサム・クック論を出版して下さい」って返信したんです。

そしたらね「なぜそんなことをご存知で!? もうあれ20年ぐらい前ですよ。残念ながら紙でもデータでも残ってないんです。」って返信頂いたんです。

もう、えー!って驚いちゃって。いやいや、新潮社の新人賞に選ばれて出版しかけたほどの論文のデータが無いって嘘でしょってね。

ま、それでも僕は石黒さんのサム・クック論が読んでみたいんで、新しいサム・クック論でも書いて下さいってお願いしました。

石黒さんはやる気スイッチがって言ってられましたけどね()


その2004年に書かれてた石黒さんの『甘やかなブルース サム・クック論』は、結果的に選考委員の1人だった町田康さんに

音楽の制作のプロセスを間違って理解していると言われ、今はポップスはコード進行を先に決めておいてメロディを作るのが主流なんだけど、サム・クックの時代にはメロディを先に作ってコードはあとからつけていた。しかし著者はコードが先の制作プロセスとしてサム・クックを論じてしまっている。という理由で却下された訳ですけど、もう1人の選考委員だった保坂和志さんは、それでもやっぱりこの『サム・クック論』には大事なことが書かれている。私はここに書かれているいくつかのことを忘れないだろう。と言われてるんですよ。


それが今回のテーマにもなっている2つのブルースアルバムの対比で。

1つは61年のアルバム「My Kind Of Blues」と、もう1つは63年の「Night Beat」。


石黒さんはこの2つのアルバムは対をなすもので「Night Beat」は、作られねばならない作品だったと冒頭で書いてられました。


サム・クック論の一部分だけ分かっているので、勝手に引用させて頂きますが、その保坂さんが大事なことが書かれてるという箇所を読ませて頂きますね。


「ホーンセクションを多用し、華々しく猛々しいサウンドの「My Kind Of Blues」は、BBキングやレイ・チャールズが、白人の聴衆を相手にするときと同じやり方でブルーズを聴かせている。『ホーンセクションが、明確な記号となって音楽に輪郭を与えているから、聴き手は安心感を得られるのである。』」


『』で括ったこの最後の一文だけで、保坂さんは文芸評論として掲載される価値があると思ったって言ってられたんですよね。


『一方、「Night Beat」には、ギター、べース、ドラムス、ピアノ、オルガンという小編成のコンボで、極めて淡々と熱することも冷めることもない演奏と歌が収録されている。過度なアレンジメントなどない。コードチェンジを示唆するピアノと、四分音符を確実に刻むベースラインは、楽曲を急かしたりしない。ギターのカッティングとオブリガードは、行間に吸い込まれそうな、仄かな感情を掬い上げ、ドラムスが派手なフィルインを見せびらかすことなど、ここでは起こり得ない。この音楽は、誰に向けられているのでもない。演奏する本人達のためにあるでもない。皮膜に覆われ続け、輪郭を失ったものへの、鎮魂歌としてのみ、存在している。』


ここでの皮膜とは、区別しがたいような微妙な違いのことを言います。

My Kind Of Blues」は明確な輪郭があって、「Night Beat」にはその輪郭がない。


確かにこのアルバムの制作段階では、ライブバーの閉店時に、従業員が掃除や片付けを行ってる中で、静かに演奏し、片付けの終わった従業員や厨房の人たちも椅子に腰掛けタバコを吸いながら聴いてる状況をイメージして作ったと言われてます。

それはその従業員に向けてでも演者に向けてでもない感覚ですよね。

制作段階でも明確な輪郭は持たせて無かったように思います。


映画「ジーサンズ」で「Night Beat」の収録曲である「ミーンオールド・ワールド」が流れてきた時も、こんな人生でもまんざらじゃなかったなと思わせるようなレクイエムにも聞こえました。


輪郭があるというなら小編成によって前面に押し出された、ゴスペル時代から培われ、タバコと酒によって熟成されたサム・クックの喉ですかね。


なんて言ってますけど、石黒さんの書かれているここでの輪郭をちゃんと理解出来てないと思いますけど()


で、サム・クックが亡くなる前に、サムは長年取り組んできた課題に再び挑むことにエキサイトしていたようです。

それは新しいブルースアルバムを作ることだったんです。

もしもそれが「My Kind Of Blues」と「Night Beat」とが融合されたブルースアルバムだったらどんな、3枚目のブルースアルバムになってたのか。

うっすらと輪郭が分かるような、見える人にははっきりと見えて、見えない人には全く見えないような、まるでサム・クックが答えを明かさず問題定義したまま作り置きしたブルースアルバムが出来ていたかもしれませんね。


最後に保坂さんの石黒さんのサム・クック論に対する感想の続きを読んでみますね。


『聴き手、観客、読者は、輪郭を与えられることによってはじめて、作品に対する感想や評価を持つことができる。「輪郭を与える」「受け手に対する方向づけとなる」等々、言い方はいろいろできるが起こっていることは一つのことで、作品の中に「こういう風に受けとめてくれ」という方向づけや輪郭づけがないと受け手は明確な感想を持てないのだが、受け手だけでなく作り手もまた、受け手が抱く感想を想定することが作品を作るときの拠り所のひとつとなる。つまり、引用に即して言うなら「作り手もまた安心感を得られる」。

これは非常に重要な指摘で、このような指摘を書けた人が受賞しないのは本当に惜しいことではあるけれど、このような指摘ができる人だからこそ、この評論によって受賞しなくても、遠からぬ将来私たちはこの人の書いた評論をどこかの誌面で読むことになるだろう。』


と、保坂さんも言ってられるので、石黒さん、新しいサム・クック論を書いて下さい()














今回は同じ内容をブログ記事としても音声配信としても選んで頂けるように投稿しました。


【音声版】



今度の99日に高槻のナッシュビルウエストで行われるサム・クック・ナイトでのトークなんですが、テーマを「2つのライブ、ハーレムとコパの対比」ってことで話そうかなと思ってます。


サム・クックのファンでこの2枚のライブアルバムを聴いたことのある方なら、一般的には黒人向けのハーレム・スクエア・クラブと、白人向けのコパカバーナという感じで認識されているかと思います。


対比については今度のトークで話すとして、その2つのライブが行われた後の、64年の11月の終わりにアトランタのロイヤル・ピーコックで五夜にわたる公演が行われたんです。


その公演が終わった後のサム・クックは一カ月の休暇があって、その休暇中にあの忌まわしい事件があってサムは亡くなってしまうんですね、なのでそのロイヤル・ピーコックのライブがサム・クックのラストライブになりました。


ロイヤル・ピーコックはスターラーズ時代から馴染みのあったハコなので、コパの時のような緊張感はサム・クックには無かったようで、毎晩11時と1時にショウがあり、しっかりしたサポート・アクトもついていたので、シャカリキにステージをこなす必要もなく落ち着いて挑めたそう。


その時にいたアップセッターズのグラディ・ゲインズは「どの夜も超満員で、あらゆるショウの中でも最もグレートな出来栄えだった」と言っていました。


僕が思っているのは、観衆は黒人だけでしたがこの時のロイヤル・ピーコックでのライブ、もしくは、その前の東海岸のラスベガスと言われたアトランタ・シティにあるクラブ・ハーレムでのライブを録音して、3枚目のライブアルバムとしてリリースしていれば、コパとハーレム・スクエア・クラブを融合させた、サム・クックの最終的に目標とした「全ての人の心を捉える(ゲット・エブリワン)」のライブアルバムが出来ていたんじゃないかと思ってるんです。


ただ、コパのライブの成功後に意気揚々とその「全ての人の心を捉える(ゲット・エブリワン)」なシングルを録音すると言って録音した白人向けの「カズン・オブ・マイン」と、黒人向けの「ザッツ・ホェア・イッツ・アット」をカップリングしたシングルは、どちらの聴衆にもあまり受け入れられなかったことを考えると、サム・クックの時代を読む力がこの頃には落ちてきていたのかもしれませんね。


「ザッツ・ホェア・イッツ・アット」なんて今やサザンソウルの基盤となるような名曲だと思うんですけど。


その後に録音された最後のシングルでは「シェイク」でローリング・ストーンズのようなイギリスからの侵略者たちを死ぬほど踊らせようという試みは成功しましたね。

ということはサム・クックの先見の明は衰えてなかったのかも()


ただ白人向けと黒人向けのものが単に融合しただけではグレイという面白味の無いライブになってしまうので必ずしも融合がベストであるとは限らないですよね。

そこに爆発的な化学反応が引き起こされるかどうかによるんでしょうね。


サム・クックのファンがよくタイムマシンがあるならハーレム・スクエア・クラブを観に行きたいというのを聞きますが、確かにそれも観たいですが、サム・クックが最後に作り上げた、全ての人の心を捉えたであろうゲットエブリワンなロイヤル・ピーコックのラストライブも観てみたいですね。