今回は同じ内容をブログ記事としても音声配信としても選んで頂けるように投稿しました。
【音声版】
今度の9月9日に高槻のナッシュビルウエストで行われるサム・クック・ナイトでのトークなんですが、テーマを「2つのライブ、ハーレムとコパの対比」ってことで話そうかなと思ってます。
サム・クックのファンでこの2枚のライブアルバムを聴いたことのある方なら、一般的には黒人向けのハーレム・スクエア・クラブと、白人向けのコパカバーナという感じで認識されているかと思います。
対比については今度のトークで話すとして、その2つのライブが行われた後の、64年の11月の終わりにアトランタのロイヤル・ピーコックで五夜にわたる公演が行われたんです。
その公演が終わった後のサム・クックは一カ月の休暇があって、その休暇中にあの忌まわしい事件があってサムは亡くなってしまうんですね、なのでそのロイヤル・ピーコックのライブがサム・クックのラストライブになりました。
ロイヤル・ピーコックはスターラーズ時代から馴染みのあったハコなので、コパの時のような緊張感はサム・クックには無かったようで、毎晩11時と1時にショウがあり、しっかりしたサポート・アクトもついていたので、シャカリキにステージをこなす必要もなく落ち着いて挑めたそう。
その時にいたアップセッターズのグラディ・ゲインズは「どの夜も超満員で、あらゆるショウの中でも最もグレートな出来栄えだった」と言っていました。
僕が思っているのは、観衆は黒人だけでしたがこの時のロイヤル・ピーコックでのライブ、もしくは、その前の東海岸のラスベガスと言われたアトランタ・シティにあるクラブ・ハーレムでのライブを録音して、3枚目のライブアルバムとしてリリースしていれば、コパとハーレム・スクエア・クラブを融合させた、サム・クックの最終的に目標とした「全ての人の心を捉える(ゲット・エブリワン)」のライブアルバムが出来ていたんじゃないかと思ってるんです。
ただ、コパのライブの成功後に意気揚々とその「全ての人の心を捉える(ゲット・エブリワン)」なシングルを録音すると言って録音した白人向けの「カズン・オブ・マイン」と、黒人向けの「ザッツ・ホェア・イッツ・アット」をカップリングしたシングルは、どちらの聴衆にもあまり受け入れられなかったことを考えると、サム・クックの時代を読む力がこの頃には落ちてきていたのかもしれませんね。
「ザッツ・ホェア・イッツ・アット」なんて今やサザンソウルの基盤となるような名曲だと思うんですけど。
その後に録音された最後のシングルでは「シェイク」でローリング・ストーンズのようなイギリスからの侵略者たちを死ぬほど踊らせようという試みは成功しましたね。
ということはサム・クックの先見の明は衰えてなかったのかも(笑)
ただ白人向けと黒人向けのものが単に融合しただけではグレイという面白味の無いライブになってしまうので必ずしも融合がベストであるとは限らないですよね。
そこに爆発的な化学反応が引き起こされるかどうかによるんでしょうね。
サム・クックのファンがよくタイムマシンがあるならハーレム・スクエア・クラブを観に行きたいというのを聞きますが、確かにそれも観たいですが、サム・クックが最後に作り上げた、全ての人の心を捉えたであろうゲットエブリワンなロイヤル・ピーコックのラストライブも観てみたいですね。