久しぶりに映画館でサム・クックが聞けるということで、早々に観に行ってきました。

 

映画『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』

 

タイトルはジャズ・スタンダードの名曲ですが、どうやらサム・クックの弟子となるボビー・ウーマックの曲が採用されていました。

サントラで使われたサム・クックの曲は下記の3曲。

 

The Best Things In Life Are Free

These Foolish Things

Nothing Can Change This Love

 

劇中に使われる60年代ソウルの中での3曲の選曲は、明らかにサム・クック好きの監督の影響だと思われます(笑)

 

映画のストーリーはラブコメなのですが、政治やビジネス的なシリアスな要素も含まれていて、しっかりと練られた脚本に拍手を贈りたくなりました。

やっぱりハッピーエンドが最高です。

 

ストーリー的なネタバレは避けるとして、ここでは僕のサム・クックにこじつけたネタを紹介していこうと思います(笑)

 

まず何といってもオープニングの「The Best Things In Life Are Free」

サム・クックのコパのオープニング曲でしたが、この曲の

「月はみんなのもの 人生で最高のものに お金はいらない」

という歌詞が、映画の全体像を表現しているくらいマッチしたものでした。

 

出会いで流される「These Foolish Things」

人の過去には愚かな過ちがいくつかあります。

その愚かな過ちですらあなたを思い出されるものになっている。

とっても映画のシーンにあったロマンティックなサム・クックのバラードです。

 

そんな愚かな行動の一つに「ホウキ」が使われました。

一瞬ヒヤッとするシーンでしたが、サム・クックはその「ホウキ」でとどめを刺されて亡くなりましたね。

 

年代的にサム・クックの愛車だった赤い「フェラーリ」も登場します。

 

同じく当時流行っていた「オメガ社」も。

オメガの時計もサム・クックの愛用でした。

サム・クックと同じオメガの時計を持っているサム・クックのファンを、僕以外に2人知っています(笑)

今度、東京で行われるサム・クック・ナイトの時に着けていきますね。

 

 

そしてこれは明らかにサム・クックからでしょっていう「クック議員」というチョイ役が登場します(笑)

冷戦推進派の議員だったのでサム・クックの思いとは逆でしたがニヤッとしました(笑)

 

この作品に出てくる黒人俳優陣もNASAの職員役だったせいもあるのか、サム・クックと同じスマートな顔立ちの俳優だったので、サム・クックの自伝もいけるんじゃないかと思ってみたり(笑)

 

 

セリフの中には「If you ever~」とサム・クックの曲「Bring It On Home To Me」の冒頭の歌詞を思わせるものもありました。

 

これはと思ったセリフは、多分この作品の格言となるものなんですけど

「辛い出来事は、生き抜く力になった」に対して

「辛い出来事は、世界を変える力になった」と、「個」に対しての「全」の発言。

チェンジという言葉が出てきて、思わずこれもサム・クックからかと唸りました。

 

こじつけの最後は、エンディングで使われた「Nothing Can Change This Love」。

 

スティーブン・キングの小説『11/22/63』のドラマ化のラストでもこの曲が使われましたが、「You Send Me」でもなく「Bring It On Home To Me」でもなく、僕が最初にサム・クックを好きになった曲「Nothing Can Change This Love」が使われたことに喜びを感じました。

 

またラブストーリーにはサム・クックのこの曲が合う!

 

ラストにサム・クックが流れれば、どんな物語も丸く収まるってもんです!

 

ということで、今回はサム・クックのファンにお薦めできる2024年の代表作となる映画作品の紹介でした。

 

ちゃんとした映画評論でなくてごめんなさい(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~リトル・リチャードを聴きながら~

ロックンロールのパイオニア、リトル・リチャードのドキュメンタリー映画『アイ・アム・エヴリシング』の公開を記念して、観た人も観てない人もワチャワチャ語る夜です。

 

リトル・リチャードのことを語れるほど知らないのですが、映画を観てきて感動したことや、サム・クックと繋がりもあったので、そんなことを交えながらすうじぃさんと語ってきました。

 

 

前半はリトル・リチャードのデビュー辺りからスペシャルティ・レコードに移籍してロックンロールが生まれ、飛行機事故からゴスペルに移行するあたりまでです。

 

映画を観に行ったのですが、印象に残った部分だけ覚えてはいるものの、前半なんてどんな感じだったか忘れてしまってて、スタートからいきなりつまずくという(笑)

 

曲に関してはゴスペル移行時代もそうですが、スペシャルティ時代以外の印象が残ってませんでした、すみません(^^;)

 

さほど打ち合わせもせず(前飲みはしていましたがw)、流す曲は殆どスペシャルティ時代のロックンロールでしょって思ってたのが”Tutti Frutti”と"Long Tall Sally"ぐらいで、ファッツ・ドミノやビートルズと聴き比べたりして意外な方向に進んでいったのが逆に面白かったです。

 

純粋にロックンロールとしてのリトル・リチャードを聴くのであればスペシャルティ時代だけで十分だと思うんですが、トーク的にはそれだと物足りなく「イイですねぇ、イイですねぇ」だけで終わってたと思うので、色々聴けて新たな発見があって勉強になりました。

 

タイム感の話が出ていましたが、前のめりにツッコんでいくリトル・リチャードは、ファッツ・ドミノの後ろに乗せていく感じとは違って、あの突然変異はどこから来たのか、はたまた誰かを手本にしていたのかも気になるところです。

 

そういえば、すうじぃさんにもツッコまれてましたが、改めてソウル・ミュージックの定義となるポップスにゴスペルを融合したその「ゴスペルっぽさ」というのも前半の終わりに考えさせられました。

 

う~ん、深い。

 

リトル・リチャードの前のめりのタイム感と、ソウルの「ゴスペルっぽさ」について、これですって答えをお持ちの方は教えてください(笑)

 

 

 

 

後半はリトル・リチャードがロックンロールに復活するきっかけとなったサム・クックとのイギリス・ツアーの話からスタートしました。

 

 

 

 

ロックンロールに戻った経緯は動画を観てもらうとして、持っていったOK盤のアルバム「エクスプローシヴ」(動画でエクスキューズと言い間違えてました(^^;))から色々とノーザンソウルやサザンソウルを流して、60年代のリトル・リチャードで終わるのかと思ってましたが、そこよりも後の音源までいきましたね(笑)

 

しかしこれまた70年代以降の音源も面白く、ヒットはしないまでも後年まで声の張りはあって驚きました。

 

リトル・リチャードがサム・クックは録音していないけどソングライティングした曲を2曲歌ってるのでその曲を張り付けておきます。

 

 

 

 

 

 

 

サム・クックがソングライティングした2曲ともカッコいいですよね!

 

相変わらず人の話をちゃんと聞かずに的外れなことを言ってしまいがちな僕ですが、すうじぃさんの言ってた57年って年が、本当にリトル・リチャードがロックンロールを止めてゴスペルに行き、サム・クックがゴスペルからソウルに行く転換点だったんだなって感じました。

 

ゴスペルを中心にあって、ロックンロールの時代が終わり、そしてソウルの時代が始まった年です。

 

凄い時代ですね、57年って。

 

 

 

ピーター・バラカンさんの翻訳監修のことにも触れていましたが、以前からある固有名詞のカタカナ英語を正す方向に力を入れてられました。

 

僕たちの古くからブラック・ミュージックに触れてきた世代は、アレサをアリーサとか中々変えられない親しみ方をしているのですが、バラカンさんはそんな僕らの世代というより、これからブラック・ミュージックに触れてくる若い世代の人たちに、正しい固有名詞の呼び方を違和感なく当たり前なものとして親しんでもらうためにやっていると言ってられました。

 

なるほどです。

 

うるさい古参の人間に敢えてそこまで変えろと言ってるわけではなくこれからの人に向けてだと。

 

これはディズニー映画やスパイダーマンの主人公を黒人に変えてきた流れと似ています。

 

黒人が主人公であることにこれからの若い世代の人たちには違和感なく捉えてもらいたいという。

 

しかしブラック・ミュージックが好きな僕ですら、既存の作品の主人公まで変えてくるこの流れはちょっと過剰すぎるのではないかと思っていました

 

ディズニーはその移行に少々焦りすぎていたと認めていますが、こういう流れは早めにしておかないと人の意識というものは直ぐには変えられないと急いていた部分もあるようです。

 

 

 

トークの中でも言っていましたが、映画『グリーン・ブック』を引き合いに出して、上流階級の黒人ピアニストのドン・シャーリーが、同じ黒人のリトル・リチャードやサム・クックを知らないことや、ゲイであったこともあり、白人からや同胞の黒人からもバカにされて差別を受け、一体自分は何者なんだと思い悩む姿にリトル・リチャードを重ねました。

 

サム・クックはソウルの道を歩めど後年までゴスペルを捨てることがなかったため、いつでもゴスペルに戻る道は残されていました。

 

しかし、ゴスペルを捨てて白人市場に行ったサミー・デイビスJrなどは、もうゴスペルの道に戻ることはできず、白人市場からお払い箱になってしまえば、彼はもう行き場がなくなってしまうんだとサム・クックは言っていました。

 

同じように黒人でありゲイ(クイア)であったリトル・リチャードが、ロックンロールを捨てるということはどういうことか。

 

更に何者でもなくなってしまいます。

 

普通の人間として見られるのなら別に何者にもなる必要はありません。

 

けど、彼にはその普通さえ与えられませんでした。

 

だからこそ何者であるかであるために『ロックンロールの創始者』という肩書がほしかった。

 

それがやっと認められたという、あのアメリカン・ミュージック・アワードでの涙の受賞になったと思います。

 

 

 

 

人種差別もなくならず、LGBTQを認める声が高まっている昨今だからこそ、クィーンやリトル・リチャードのようなアーティストが題材とされた映画化に拍車がかかったのではないかと思います。

 

何か今の時代に合ったテーマがないと映画化にしようとする動きが起こらないのかもしれません。

 

そうなると亡くなり方は奇怪ではあるものの、人種差別だけではまだ恵まれていたサム・クックの映画化は程遠いかもしれないなと、リトル・リチャードの映画を観て感じたのでした(^^;)