「あなたはロボットが踊ってるみたい。」
Ballet Mecanique(仏語:機械のバレエ)という曲や映像をご存知でしょうか?
坂本龍一"教授"の同名曲をご存知の方もいるかもしれません。
オルゴール風の音風景から、終盤にハードロック風へ急展開する曲でした。
でも教授のそれには元ネタがあります。
1920年代のこと、
フェルナン・レジェという方が映像作品Ballet Mecaniqueを製作しました。
共同制作者としてこれにあわせる曲を担当したのはジョージ・アンタイルという方でした。
曲のタイトルとしては、映像のタイトルがそのまま用いられています。
この映像のテーマのひとつは、その題名からして、
機械が踊るというところにあるようです。
坂本教授は、そのテーマを借りようとしたのでしょう。
製作された1920年代とは、アインシュタインの一般相対性理論が出現してまだ間もなく、
いまだゲーデルの不完全性定理の証明がされていない時点です。
(神のようなa prioriを否定しきれない状況)
生命科学の面でも、生気論と機械論の対立がほどけきっていなかったはずです。
前世紀末のダーウィン進化論によって、
生命も結局は物理で説明されていく雰囲気はあったでしょう。
しかし、機械論的に生命の発生から意識の存在(いわゆる魂)までを説明することも不可能でした。
遺伝子という概念がはっきりしてきて染色体というものが発見されてはいたものの、
DNAの構造や機能や機構が明らかになったのはずっと後のことです。
そういった時代の雰囲気が、この映像作品の背景に直接間接に影響しているかも、
していないかもしれません。
さて、映像に付けられたジョージ・アンタイルの前衛的な曲は、
映像からは独立して、曲として演奏されることもありました。
楽譜も残っています。256分音符なんてものが出現するようです。
自動演奏ピアノを16台同時に使おうとしてうまくいかず
人間が弾くピアノを複数しつらえた上、
実物のサイレンやベル、飛行機のプロペラを模した音を出すための送風機を使って
演奏したようです。
その時代の長厚重大な機械とそのノイズを、
騒がしいまま如実に表現しようとしたわけです。
紹介した映像でも、サイレンとかベルとかは随所に聞こえますし、
飛行機のプロペラ音のようなものが鳴っているところ(6:30あたりから)もあります。
ただし、音のレベルは大幅に抑えられてしまっています。
(現代でも、いかなる収録メディアのダイナミックレンジにも収まらないでしょうし、
再生できる音響システムもないでしょう。)
パリでの演奏会では、観客の持ち物が飛ばされたり、
客が傘で風をよけたりといった状況に陥り、賛否両論で騒動になったそうです。
騒動になるような演奏会なり舞台というものを一度観てみたいものです。
さらに、自分の踊りや歌や演奏や演技がもしも騒動を巻き起こすようなら、
それは相当なものなのじゃないかなと思います。
ド素人が何やっても、バカにされることはあっても、騒ぎになんてなりませんよね。
踏み外して法律違反とかに行ってしまえば別ですが。
映像が作成された1920年代、機械と人間の区別は明らかでした。
機械のバレエ、機械のダンスと、人間のダンスとでは、明らかな違いがあったことでしょう。
では今はどうでしょうか?
チューリングテストも、そう難しいテストではない雰囲気になってしまっています。
ナビアプリからは滑らかな音声が聞こえ、
フォームへの自動投稿を防ぐCAPTCHAは簡単に突破され、
モーションキャプチャでなく合成した動作も商業映画に使われ、
IBMのWatsonがクイズを理解してクイズ王を打ち破る時代です。
食べ物では、機械の料理と人間の料理を区別しようとする人など、もはやいません。
石黒浩先生の研究(http://www.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp/home/research)は、
もはや不気味の谷を越えたと感じる人もいるでしょう。
もう何が機械で何が生体なのか、区別のあいまい化が始まっているとも言えましょう。
こうした区別があいまいな中、
機械のダンス(あるいは「あいまいな何か」のダンス)をテーマに創作をするなら、
どういう方向の作品が出現するものでしょうか?
最初の話に戻ります。
踊る上では、自分の体を逐一操作が必要な機械のように不自由に扱って、
多関節からなる骨格の複雑な(乱雑あるいはchaos的)動きを脳で大量に計算しておいて、
踊らなければなりません。
そうすることで、見る側からは逆に
生き生きと、伸び伸びと、しなやかにあるいは力強く見えるのです。
体の構造を理解せず、脳がサボって踊る側の自由に任せて動くと、
見る側からは単純、退屈、あるいは気持ち悪い、生気のない機械のような動きになります。