情報は常に価値を伴うだろうか | 科学のために科学を科学的に笑うべし

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ソフトウエア、ビジネスや行動のモデル、体制やシステム、
もっと一般化して情報は、その価値をみとめて「資産」であるかのように取り扱われます。
しかしその管理を考えると、古い情報は「負債」へと転落することはないでしょうか?

[持っているコスト]

かつて2000年問題というのが騒がれた頃、古いソフトウェアを使ってた会社は、
確認と更新に多額の出費を強いられました。
のみならず、社会全体に不安が広がり、陽に陰に様々なコストが生じました。
もしかしたら、当時買いだめをした方もいらっしゃるかもしれませんね。

アドレス帳やら元カレからのメールや契約形態にしばられて古いケータイを捨てられない人は、
スマホのアプリでサクサクと仕事をこなす機会を喪失しているかもしれません。

FacebookなどのSNSで最近はめったに会いもしない大量のお友達を抱える人は、
猫がどうしたとか、今日行ったレストランがどうとか、
そう知りたくもない情報の整理に貴重な時間をとられているかもしれません。
日々の諸々を綴ったり写真を公開するときにも、
本当の「お友達」相手なら本来要りもしないはずの調整を強いられたり。

政治システムや行政もソフトウェア/アルゴリズム/情報と言えますが、
古いシステムにこだわって抜け出せない国家は、
世界の潮流から取り残されて衰退していくのを皆さん目前に実感しているでしょう。

古いプログラム、古い携帯、古い知人、古い政治や行政、これらの情報は、
元々は最新の「資産」だと思い込んで溜め込んだものだったことを忘れてはなりません。
ところがいつのまにか、それらに縛られて、重荷になってしまっていることがあります


[忘れるコスト]

不要な情報は単に忘れればいいかというと、大抵はそううまくはいきません。
抜け出そうとしても、一旦心身のすみずみまで浸潤して
縁起ネットワークと絡み合ってしまった情報を抜くのは困難です
梅干の味を知った後で忘れることはできるでしょうか。
無理に忘れるには、命というコストを払うことになるでしょう。

不要と思っている情報が本当に不要なのかどうか決めるのは難しいこともありますし、
忘れることによって生じるリスクだってあります。
リスクとは、言い換えれば、ある確率でコストが生じる可能性です。

ホメオスタシス(恒常性維持機能:現状を維持しようという働き)も強力です。
政治や行政といったもののホメオスタシスは、まさに国家レベルですよね。
それに対抗して情報を忘れるには、国家的あるいは国際的なレベルのコストがかかります。

マックスウェルの悪魔だって、情報を忘れる際にはエントロピー増大というコストをかけています。


[まとめ]

今あなたが集めようとしている情報(技術や行動規範やシステムも含む)は、
資産として何かに活用して価値を生ませるつもりで集めているのでしょう。
しかし扱いを間違えば、たちまち負債へと転落するかもしれません。