今年前半は日本に関して書かれたよい本に数多く出会いました。画像はその一部(軽く目を通しただけの本も含みます)。

 

第二次世界大戦後、近世(江戸)、近代(明治)、神道、修験道、年中行事、古代から現代に至る歴史、などなど。

 

日本に生まれ育ってこの歳になるまで知らないことの多かったこと。

 

 

自分の知識とは異なる昔の人々の生活の様子。

 

日本人のすぐれたところと反対に劣ったところ(戦争でその欠点が多く露呈しました)も、一つの性質の逆の面ということがわかって理解が進んだこともありました。
 

 


そのなかで、<日本を日本たらしめてきたもの>がなんなのかも、自分なりにわかった気がします。
 
一つ確信したことは、神話の昔からこの国に伝わり、ご先祖たちが体現したきたものが、間違いなく世界に比肩すべくもない素晴らしいものということです。
 
 
一方で、現在の日本の状況が本当に危機的であることも感じずにはいられませんでした。

 

たしかに過去を振り返ると、いつの時代も危機を主張する人がいます。人は昔は良かったと考えがちなものだからです。

 

でも、現在がそれと一線を画すと思うのは、<日本を日本たらしめてきた>根っこにある屋台骨が壊れつつあるからです。

 

家に例えるとしたら、大黒柱の腐食が進んでいるようなもので、放置すれば倒壊は免れません。
 
 
いい本を読んで困るのは、本から受け取った思いを伝えたくて何か書いても、自分の書く文章が稚拙に見えて仕方がないことです。

 

けれど、それもちっぽけな自分の利己的反応でしょう。

 

 

一隅を照らすの精神で、大切な故国日本が喪われないよう少しでもできることをしていきます。

今日は、おひつじ座の新月。情熱を持って行動し、ヴィジョンの現実化を図る願いごとには、もってこいの日です。

 

私は、「精神成長を通じて、一人でも多くの人の人生がよくなる」というテーマについて、さらに本気で活動していくことを決めました。

私が仕事として携わっている一悟術は、日本古来より伝わる精神成長に関わる方法論です。

その精神は、「どのように行えばできるか」というやり方ではなく、「自然にできる状態にどれだけ近づくか」を重要視します。

つまり、「ハウツー」ではなく、「あり方」を限りなく高めるということです。

私が思う「悟り」も、すべての問題が雲散霧消するような魔法の杖ではなく、人生を通して歩く「道」のイメージです。



今年に入り秋田で日本の伝統的な祭りを体験したのをきっかけに、日本固有の精神成長の取り組み方に意識が向きました。

それは、性善説の人間観、すべてを肯定する世界観、喜びや楽しみ、笑顔、思いやりを大切にする人生観に基づくものです。

 

その方法論こそ、真面目で几帳面な日本人の性質にマッチしている、と思いました。

 

「悟り」というと多くの人には仏教のイメージがあると思いますが、悲観的、深刻になりやすいのが、玉に瑕です。

でも、今の日本人は日本固有の方法論を忘れ去ろうとしているようです。

その復興こそ、これからの時代に必要だと思いました。

 

これまでどおりやってたらみんなが不幸になりそう。

「でも、一体何をどうすれば?まぁ誰かがやるだろう」という風潮の世の中で、「変わるのは自分から」と考える。

そんな人同士でつながり、何かできたらと思っています。



具体的に何をするかはこれからですが、まずは自分の中でまとまったところをメルマガで発信していきます。

 

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新元号決まりましたね。

「令」という字は、初めて年号に使われるということで、大方の人にとってほぼノーマークの意外なものでした。

個人的には、令月という語句は初耳で、馴染みがあるのは、号令、命令、令状、司令など上から指示されるイメージがありました。

正直言って、「んーーー?」だったのですが、昨日言語学者の金田一秀穂さんのコメントを知り、なるほどと思いました。



「令」はもともと「神のお告げ」という意味なんだそうです。

ネットで調べると、屋根の下でひざまずいて神意を受け取る姿の象形と出ていました。



そして、神とは、古来の日本においては自然すべてであり、森羅万象の精妙な運行を司る見えざる偉大な存在であり秩序のことと考えられます。

個人的には、

「自然や見えざる偉大な秩序に謙虚であり、その望みである和の心を持った生き方において、世界の魁となる」

それがこれから令和の時代に、私たちがなすべきことと受け取りました。



一方で、「令」は神のお告げから転じて、王など権力者の意志というように意味が広がっていったようです。

ある日本のジャーナリストは、一部の外国人ジャーナリストの新元号への見方について、次のようにコメントしていました。

「上からの命令には“イエス”と言って和を図ることで安心を得ようとする日本人とでも言いたいのだろう」と。

お分かりのとおり、それは和を図っているのではなく、媚び、へつらいにすぎず、決して本当の「和」の心ではありません。

「和して同ぜず」が本来あるべき姿ですね。

でも、「長いものには巻かれろ」という保身、「目立つことはさけよう」という日和見が、いつからか日本人の心性を蝕んでおり、外国人にもバレバレということです。




すべての生命の源である神に対する畏敬心を取り戻し、自分の内側と深く繋がって神の意思である和の心に立ち還り、精神性の時代の魁となるのか。


それとも、我が身大事と権力者に言われるままに流されて、多大な犠牲を払うことになった過去の轍を踏むのか、あるいは、ジリジリと衰退の道をたどるのか。



いよいよ日本の真価が問われるタイミングだなと感じています。

どっちの「令和」を選ぶのか、日本に住むわたしたちの選択にかかっています。

 

それが日本、ひいては、世界の明日を大きく左右することになるのかもしれません。

 

 


<まとまった記事をHPに綴っております>